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n回目「涙の晴れ姿」に想う《陳情令の沼から考える》

※ネタバレありです。お気をつけて・・・

少し前の記事で
「ここ(n回視聴)までくると、ありとあらゆる
細かいシーンに対して異常なまでの執着が生まれ(笑)
それがまた、この作品を愛するあまり、解釈も進化してきたように思ったりする。」

と書いていた。
このドラマは 本当に奥が深くて深くて
うぅ~・・・ん。ちょっと違うな。

たくさんのシーンで、
言葉にならない(言葉に表していない?)感情
(あ・・・陳情だ・・・・マサシク( ;∀;))を
自分なりの感性で受け取ってきて
それが、正道なのか邪道(?笑)なのかを決めるのもまた
自分である、というなんともいえないエクスタシーを
自覚する昨今です(*^^*)

少し前に、n回目#30「涙の晴れ姿」を見まして。

今更ですが。


とても大切な回✨だと新たな認識が発芽したので
ここに備忘録として書いておきたいと思いました。

私は
乱葬崗が、魏無羨にとって
心穏やかに過ごせる場所(時間)であってほしいと
思ったし、政争の具として扱われる以上
彼は、表舞台に出ようとは
本当に考えてはいなかったんだと思うのです。
だから、
ここ(乱葬崗)での生活は幸せの時間だと
私は 思っていた。

でも。それは 少し勘違いだった。

ある日
江澄が花嫁衣裳の師姉と共に魏無羨の前に現れて
ほんのひと時
三人で、あの“汁物”を食べるシーン。

師姉は言う

「阿羨、字を考えてほしいの」
「阿澄がつけてもらったらって・・・」

私はこのシーンの会話を聞いて
あらためて、

あぁ。
三人は、本当は一緒にいるべきなんだ。
と心底思いました。
江澄の、またなんとも言えない穏やかな表情よ。
姉上の存在が、
ふたりをたしかに繋げていて、幸せの時間は
この三人がこうして一緒にいるかぎり、
ずっと続くんだろう… と思っていました。
でも

現実は違う。

魏無羨は乱葬崗で、温情等と共に生きている。

江澄曰く
「厄介事は向こうからやってくるんだ」

そんな運命って  あっていいの  ?

もう、そっとしておいてほしい・・・・

別れ際、江楓眠からだ、という蓮の根付を受け取った魏無羨
の背中に向かって師姉が叫ぶ

「阿羨!!!!!」

(ここからがとても重要で )

魏無羨の感情は乱される
師姉の声に初めて抗う(振り返らない)自分がいる
意に反して?
いや。
残酷だけれど
今では、意志通り 抗った。

なぜ?

戻れないからだ

元の自分には もう 戻れないからだ。 

乱葬崗に帰ってからの魏無羨の心は
激しく波打つ。
それを
過去のシーンを再現したことで
その時の彼の感情が手に取るようにわかる。

~雲夢双傑の願い

~姑蘇での誓い  ~雨の中の別れ

そして、

~・・・・金如蘭・・・・
次の世の幸福を
自分は果たして 見ることができるだろうか

あの涙は
戻りたい自分と、戻れない自分の境遇に対する行き場のない悲しみ
なんだろうと感じた。 

流れる「あきらめきれず」のメロディはやはり
チェロ独奏で。

いやもうね・・・・
心すべて持ってかれました・・・・

そしてね。

50話あって、ほとんどなかった《心の声》で

《魏無羨。本当にまた同じ選択をするのか》

私は、
この一言で、
彼は戻れない現実を理解しているけれど
戻りたいのだ  と確信しました。
そして
この「戻りたい」は
江家に、雲夢に、みんなの元に だけじゃない。
陳情笛を手にする以前(金丹を失う前)の自分に戻りたいのだ と。

※余談
#20「変化」あたり(たしか…)
怪しげな笛を操る魏無羨に、藍忘機が
「姑蘇に帰ってゆっくり聞こう」という。
すると魏無羨は
「姑蘇? いやだね。・・・・雲夢がいい」と。
これもひょっとして 「雲夢」が“あの頃に戻りたい”ことへの
暗喩となっているんじゃないか… 考えすぎかなぁ
(もう、8割がた妄想馬鹿になっています( ;∀;))

考えてみれば
まだ、青年である。
世の中はみな、彼のことをまるで悪の権化ごときに
仕立て上げ、追放したはいいが、
彼の陰虎符だけは手に入れたい

なんとも都合良い輩ぞろいだ。
物語はこのあたりから非道な道筋を通ることになりますが
そんな中にあって
魏無羨という一人の人間が、私たちと同じように、
普通の感情を持って生きていたんだ
って思えました。

翻弄されるこの青年の
まだ青竹のような感情を
私は心から慈しみたいと思いました。


あぁ  毎度毎度、長文化してしまってすみません…
陳情令の話になると、いーっぱい書きたいことばかり。

何度も書くけれども
この沼は 底なしですぞ・・・・💛💛


 






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