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震災のあったあの日から(3)

 電気も何もない夜は不安でした。
 電気が使えないので、家の外も中も真っ暗。
 唯一、自分の携帯電話だけが外とつながれる手段でした。
 その頃にはツイッターがあって、小説を書く仲間とつながっているのが主で、心配してもらいながら、仲間と話しながら過ごしました。
 真っ暗だったので、できることが本当に何もなかったものですから。
 必要最低限のご飯を食べる、ということだけをして、早めに休みました。
 こういう時は、日が昇る頃に起きて、日が落ちたら寝るという生活が最適でした。
 部屋の様子はあまり変わっていなかったからか、案外その日はちゃんと眠りました。
 いつもよりもぐっすり眠ったかもしれません。
 何にも邪魔されない、静かな夜でしたから。
 そして、特に行く時間は指定されていませんでしたから、日が昇って目が覚めて、支度をして家を出て仕事に向かいました。
 割と早い家にいても何もすることがなく、職場に行く方が気が楽だったのもありました。
 職場に行くと、管理職の人はすでに来ていたので、さっそく仕事を始めました。
 前日に、写真を撮りたいからカメラ持っている人ということを言われたので、カメラを持っていったら、カメラ要員にされました。
 今でも実はその写真とっておいてるんですけど、見るたびに思い出してつらい気持ちになりますね。
 ひたすら写真を撮って、その写真は後で落ち着いたらデータにまとめて総務課長に渡すことにしました。
 被害の写真を撮ったら、あとは片付けです。
 店もいつ再開するか、従業員は出勤できるのかを確認しないといけないし、やることはたくさんありました。
 従業員の安否の確認も、私の部署は私が自分の携帯を駆使してずっとやっていました。
 上司の主任以外は連絡がとれて、やはりほとんどの人が難しい状況でした。
 それはそうだと思ったので、落ち着いたら店に来てほしいということでそれは済ませました。
 問題は上司でした。
 全く連絡が取れないし、どうしたのだろうかと心配と不安がありました。
 そうしたら、上司と仲が良かった隣の部署の主任さんが家に行ったらしくて、状況を聞けました。
 上司はもともと精神的な病を抱えていたらしくて、今回の震災でその症状がひどくなって、家から出られない状態だそうです。
 出勤なんてもちろん無理なようで、話もできないので、私が上司の代わりに色々することになりました。
 と言っても、震災直後で何もできないし、周りには主任たちがいるから、特にいつもと変わりはありませんでしたが。
 とりあえず、私の中でもう上司を頼るのはやめよう、という気持ちにはなりましたね。

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