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赤ちゃんができまして<3>

 全然動けなくて、ただスマホやテレビを見る日が過ぎていきました。
 スマホに入れていた電子書籍は、これのおかげでたくさん読めた気がします。
 病院の食事も、制限の中でおいしくいただけたし、とても快適でした。
 そして、お腹の赤ちゃんもなんとか耐えてくれて、36週になったので抑制剤を切り、出産に向けて動くことになりました。
 ちょうど令和に変わろうとする時期で、予定日が令和以降だったので、そうしたら家族で三つの年号が揃うねとか話していたのですが、早く出てきてしまったので、残念ですが平成生まれです。
 そんなことより、無事に生まれてくる方が大事なんですけどね。
 容体が落ち着いたので、そんなことを言えるぐらいには落ち着いていました。
 世の中無痛分娩というものも広まってきている頃でしたが、私の周りではまだやっているところは少なく、また私も無痛分娩のリスクが少し気になるところだったので、自然分娩の病院を選んで進めていました。
 薬を切ったばかりだと、そんなにすぐ動きはなく、変わらず過ごしていました。
 夫も一緒にいてくれましたが、さすがにずっと病院に一緒にいるのは向こうもつらいし、そもそも家のこともあって何もできないので、買い物や家のことをするのに帰ったりを繰り返していました。
 おかげで着替えも何も心配することがなく、とても快適でした。
 変化が起きたのは、夜になってからだったかと思います。
 記憶が怪しくなってきていて申し訳ないのですが。
 ご飯は食べた後だったかなと。
 夫もご飯を済ませて戻ってきたところで、だんだんと生理痛のような痛みを繰り返すようになってきました。
 陣痛ってこういう感じで痛いんだな、と理解しました。
 生理痛が重かったので、この痛みなら自分は耐えられるなと思ったのですが、生理が軽い方でこれが来たら、確かにびっくりするかもなと思いました。
 内臓が重くなるような感じの、他では感じないだろう痛みですからね。
 胃カメラをやった後だと、あれにも似てるなとも思いましたけど。
 それが確かに、重く来たり軽くなったりを繰り返して、だんだんその感覚が短くなっていきました。
 その間は耐えられたのですが、最終的に一番きついなと思ったのは、直前の時でした。
 そうなると、痛みがあるというより、もう何か出てきそうな感覚でした。
 その何か出てくるのをこらえなければいけない感覚が、一番つらかったです。
 子宮口が開かないと分娩台に向かえないので、夫に腰を押してもらいながら耐えていました。
 テニスボールは必要だな、とあの時とても感じました。馬鹿にできません。
 病院でもらったものを必死で押してもらっていました。
 自分で押すのも難しく、夫に押してもらって何とか耐えていました。
 もう必死でした。夫にも大変な思いをさせたと思います。
 本当にしんどくて、一回目読んだ時はまだと言われ、まだなの?とがっかりしていました。
 そして、それから程なくして、やっぱりつらくてもう一度呼ぶと、もうがっつり開いていたみたいで、何とか我慢しながら歩いて分娩台のある部屋へ向かいました。
 よく歩けたと思います。歩いてって言われた時、無茶苦茶言うなって思っていましたから。

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