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震災のあったあの日から(6)

 その年の九月には、もう日常が戻ってきていて、目標計画を立案させられたり、売り場計画を実行させられたり、面倒な日常になっていました。
 色々不便なこともありましたが、振り返ると、私はわりと生活できていた方かと思いました。
 あの時期は、Twitterに本当に助けられていました。
 電気がない時は、夜にすぐに寝ていたのもあって、電気は節約できていたかもですが、実は電池で行う充電器があったので、それで見ていました。
 他の電気機器はどちらにしろ使えないから、電池はここに使っても良いと思っていましたし。
 ただ、職場の人にも充電器を使っているのを見られ、色々貸してをされていて、ちょっともやったりしていました。
 あれで電池結構消費していたりしたので、電池返してよという気持ちでしたね。
 助け合いかもしれないですけど、わりと一方的なように感じていたので。
 助け合いでも、ちゃんと返してくれる人は返してくれてましたし。
 私が下っ端だったのもあるかもですが、こういう時も人の性格って出るんだなぁって思いました。
 あと、私の携帯電話がつながりやすかったので(やはりどこもは強い)、みんなへの連絡係してた時の電話代も払ってほしい、という気持ちはありましたね。
 そんなこんなで、みんなに分けれるほど余裕がありました。
 食料もためこむ癖があったし、スーパーに勤めていたこともあって、食べ物も困らなかったですし。
 電話がつながったのは、本当にありがたかったですね。
 コンビニの公衆電話にみんな列を作って並んでるのを見て、恐ろしい気持ちになったので。
 水だけは、本当にどうしていたのか記憶になくて、それだけがちょっと不安要素なのですけど。
 風呂は嫌いだったから気にしてなくても、トイレとか大変だったよな、とか。
 二、三日は、タンクにあった水でどうにかできたけど、その後は空になったはずだし。
 すみません、ちょっとそこだけ記憶がないです。
 あとは、日常が戻ってくると、皆で飲み会に行くことも増えてきました。
 復旧お疲れ様会みたいなのもあって。
 そこで話題に出るのは、やはり震災での出来事でしたね。
 どんなに年月がたっても、ふとぽつりぽつりと語り出ることがあったので、本当に人の心に色々なものを残した出来事だったのだと思いました。
 私も、何かあればつい語ってしまいますからね。
 そう、このエッセイのように。

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