なんで柴犬はこうも可愛いのか?考察してみた
柴犬は可愛い。
私は犬好きだ。そのなかでも特に柴犬が好きだ。
どれくらい好きかというと、夜は柴犬のYouTube動画を観ながら入眠し、昼は散歩中の柴犬がいれば後ろから少し尾行するくらい好きだ。
完全なる不審者である。
とにかく柴犬は可愛いから好きだ。(小学生の作文並みの文章である。)
しかし、なぜ可愛いと思うのだろう。
みなさんの中にも表現したいけれど、うまく言語化できずにもやもやすることがある人は少なからずいるのではないか。
言語化の練習と、柴犬の可愛さに対する解像度を上げるために文章化してみる。
なかには柴犬に限った話ではないこともあるかもしれない。だが私の実家では長年、柴犬を飼っていたため柴犬のことしか語れない。
あらかじめ、ご了承いただきたい。
表情が可愛い
柴犬はいろいろな表情を見せてくれる。
笑顔が可愛い
まず見てほしい。
画質は荒いが、実家の愛犬だったランちゃんとハチくんである。
どうだろう。笑顔といっても過言ではない。
偶然知ったのだが、犬の笑顔にも「ストレススマイル」と「リラックススマイル」というのがあるらしい。
この表情は確実にリラックススマイルであってほしい。
お迎えの様子である。
こんな表情で、寄ってこられたらそれはキュンキュンする。
可愛い。
しょんぼり表情が可愛い
飼い主の帰宅を喜び、はしゃぎ散らかし水桶やら何やらをひっくり返してしまった。
こんなに見事にシュンとした表情は人間でもなかなか出せない。
可愛い。
わかりやすい性格が可愛い
こちらは狩猟後のランちゃんだ。ランちゃんは豆柴の女の子だが、とてもケンカっぱやい。特にメス犬とはケンカしっぱなしだった。
うちは農家だったため、父が畑仕事にランちゃんを連れていきリードを外して自由にさせていた。
しばらくすると、イタチを捕まえて帰ってきたらしい。少し首回りが汚れているのは返り血だ。
この狩猟後の堂々とした貫禄はなかなか出せないだろう。
そして狩猟を終えた疲労感、満足感さえも醸し出している。
可愛い。
ちなみにランちゃんは「可愛い!」と寄ってくる他人には、すました顔ですり寄っていくので自分が可愛いという自覚があるようだ。もしくは自分の名前が「可愛い」とさえ思っているかもしれない。
歩く後ろ姿が可愛い
先に行く柴犬を見かけると、ついお尻に目がいってしまう。ふかふかのお尻をプリプリさせながら歩く姿は愛くるしい。
走っている姿もプリプリ感がたまらなく、また良い。
用を足す場所を探しながらクンクン、うろうろ。
可愛い。
甘え方が可愛い
お腹を見せ、とにかくナデナデしてほしい様子の初代柴犬。
お腹という重要臓器が入っている場所を無防備に、いとも簡単にさらす。
そんな姿を見ると、人間も心を許してしまう本能が備わっているのだろうか。いつまででも撫でていたい。
撫でているときの恍惚とした表情もまた、可愛い。
まとめ
ほかにも、出迎えの様子が可愛い、伸びする様子が可愛い、柴ドリルが可愛い……など書きたいことは山ほどあるが、止まらない。
このあたりでやめておこう。
なぜ、可愛いと思うのかがテーマである。
和犬らしい朴訥としたルックスに、ふわふわとした尻尾。
さまざまな表情や性格。
特に私においては、高校を卒業するまでの18年間、生活のなかにはほぼ柴犬がいたことが大きいだろう。
ここだけの話だが、父が亡くなったときより愛犬の柴犬が亡くなったときのほうが涙が出た。愛犬に対しては感情を抑えることができなかった。
それくらい柴犬は身近な存在であり、今も隙あらば近づきたい欲求がある。
自分に対して心を許してくれる愛くるしい存在であること。
たとえ、吠えられたとしてもどうにかして触れ合いたい。
そんなセンサーがどうやら私には備わっているようだ。もはや本能ともいえるだろう。
本能が柴犬が可愛いと感じる所以だと思料する。
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