見出し画像

横溝正史と日ユ同祖論

1. 国内再発見の旅

まだまだ旅行と行ったら国内派の我が家です(パスポート切れたまま…)。
が、改めて国内各地の様々な文化に触れて(主に郷土料理と温泉)、景色を楽しみ、そして「日本人なのに日本のことを何も知らなかった〜!」と猛省しつつも、まだまだこれから色々な情報を自らの体験で吸収し、寿命が来るまで己の糧にして行ければ良いかと(笑)。
そんなたまの旅行を楽しむ生活が続いています。

さて、旅行と言えば昨年夏の「スマホ海ポチャ戻り事件@伊豆」以来、訪れた土地の神様へのご挨拶はマストになりました。
「国内旅行保険」みたいなものか!?

紀元前からの古い歴史を持つ神社を参拝する度に「こちらで祀られている神様は一体?」と考えるにつれ、自ずと超古代の歴史に思いを巡らせてしまいます。

そしてあることに気付きました。
「これって…横溝正史の小説に出て来るあの描写に似ているな」と思うことがしばしばあると言うことに。
しかしながら一度に皆様にご紹介する筆の力を持たない私。
今回は横溝作品の中で最も有名であろう『犬神家の一族』だけに焦点を当ててお話させて頂きます(^^)。


2. 長らく禁じられた日ユ同祖論

(1) GHQと日ユ同祖論

近年では遺伝子レベルでも医学的に解明された、と噂される日ユ同祖論。
私の知人には「それでも信じない」「そんな太古の昔に大勢の人が海を渡れるハズがない」とまだまだ否定的な方がいますが、別にそれはそれで良いと思います。個人の自由です♪ そうした方々のご意見も尊重したいと思います。

一応、戦後にGHQが日ユ同祖論を唱える書籍を発禁した歴史があったことだけ書いておきます(ネットで検索したらすぐに分かることでしょう)。
余談ですが神社での「二礼ニ拍手」もGHQが決めたことです(長きに渡る洗脳を解くのは難しいことです)。

ダグラス・マッカーサーと敗戦国・日本との間でどんな協議がなされたか?
現代人が社会生活を送る中で、何かギスギスした心地を感じているならば、その由来は70年以上も前に遡るのかもしれません。あるいは開国か、もっと前か…

(2) 金田一耕助 誕生の背景

さて、横溝正史のペンにより、冴えないけど冴えてる名探偵・金田一耕助が世に登場するのは、終戦(1945年)からさらに3年を経ての1948年です。

戦前から『真珠郎』をはじめ推理小説を得意とした横溝(以下、敬称略)でしたが、この「推理小説」なるジャンルは戦中に発表が制限されてしまいます。

失意のまま岡山で疎開中だった横溝。「どねェもおえりゃあせんわァ〜」。しかし彼は来たるべき日に備えてクサることなく晴耕雨読。
やがて「推理小説」そろそろ解禁の風潮が訪れて…書き上げられた『本陣殺人事件』にて、横溝は再び推理小説家としての脚光を浴びたのでした。時に46歳。

最も有名になった『犬神家の一族』は、さらに2年後の1950〜51年の作品です(石坂浩二主演で最初に映画化されたのは1976年。そのリメイク版は2006年でした)。

探偵・金田一シリーズの殆どは、ストーリーのバックグラウンドに古き田舎の因習血縁同士の因縁憎悪、これらがベースになっており、個人的にはそこに日本人の抗い難い日本人さを感じずにはいられないのです。

怪奇で◯生臭い犯行現場、それ以前に犯人の自分では押さえ難い◯意、どうしようもなく犯行に駆り立てられる様は、あたかも脳内に寄生虫の住む如く…。
俯瞰的に見れば「どうしてそんな理由で人をあやめてしまったのか?」と問いたくなりますが、正に現代の日本人はちっとも変わってはいない
などと一人でヒートアップしてしまいました。失礼しました。


(3) 横溝も金田一も「多くを語らず」

あまり知られていないことですが、横溝正史の経歴は小説家以外にも、第一銀行(現・みずほ銀行)行員、大阪薬学専門学校(現・大阪大学薬学部)を経て薬局(実家)の薬剤師、雑誌の編集長、とかなりのキャリアです。

金田一耕助も見た目とは裏腹に頭脳明晰です。日大予科(薬学専攻)を中退して渡米。帰国後の逸話が『本陣殺人事件』に続きます。

金田一は探偵として事件の真相に迫りますが(犯行を未然には防げない)、時には犯人や遺族に配慮して真実を知りながらも口をつぐみます。

筆者の横溝氏は酒豪でしたが、性格は決して豪胆などではなく、むしろ臆病による飲酒であったと推測されるエピソードが残ります(極度の閉所恐怖症のため酒なしでは電車にさえ乗れなかった、等)。

人柄は温厚で誰に対しても偉ぶることなく、金田一が登場する一連の作品は、特にシリーズごとの契約を交わすことなく角川書店によって書籍化・映画化が成なされていた辺りに、どこか金田一耕助の人間像と重なる部分を感じてしまいます。

果たして横溝氏は自身の書きたいことを、戦後は全て表現できていたのでしょうか?(因みに戦時中は「推理小説」の代わりに「家庭小説」を書くことで困窮・闘病生活を凌いでいたそうです)

ここからは私の推理です。
横溝氏の小説の基盤、それは彼が持つ様々なジャンルの知識によって構成されたものだったでしょう。さらには戦中であっても「推理小説」執筆の情熱は冷めやらず、情報収集は続けられていたことでしょう。
そしてそこには「日本の歴史」も当然ながら含まれていたに違いないのです。

3.「犬神家」とは、とどのつまり…

(1) 三種の神器「よきこときく

本題に入ります。『犬神家の一族』のストーリーはあまりに有名なので詳細は割愛しますが、物語の発端は信州の大地主・犬神佐兵衛さへえが遺した莫大な財産、その相続条件がかなり異質であったことから事件は始まります。

当初、犬神佐兵衛は自身の財産の全てを若き愛人・青沼菊乃とその息子・静馬に譲る考えでした。
佐兵衛は犬神家の家宝「よきこときくを菊乃に贈ります。しかしこれに激怒した佐兵衛の3姉妹たちが家宝を奪還。さらには菊乃・静馬の親子らに大変な仕打ちを与えたのでした。

この家宝よきこときくが日本の三種の神器をモティーフにしているのは言うまでもありません。
歴代の天皇が皇位の御印「レガリア」として受け継ぐ八咫鏡やたのかがみ天叢雲剣あめのむらくものつるぎ草薙剣くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの三宝です。
(※実物は非公開。皇族であっても見られたものではありません)

犬神家の正当な継承者は、財産分与以前にこの犬神家流・三種の神器を継承しなければ認められない仕組みです。


(2) 犬神佐兵衛さへえのモデル・片倉佐一

あまり知られていないことですが、犬神佐兵衛さへえにはモデルがいます。それは「日本のシルクエンペラー」と呼ばれた片倉財閥の二代目・佐一です。

片倉財閥の歴史は1873年、長野・諏訪地域にて片倉市助が10人取の座繰り製糸を開始したことから始まります。
その5年後に初代・片倉兼太郎が製糸所を開設。時流に乗り瞬く間に事業は発展を遂げて…
1917年、二代目・片倉兼太郎を襲名した佐一の代にもなると、朝鮮半島を含めて最大62カ所の製糸工場に事業拡大。日本最大級(世界最大級とも)の製糸企業に昇り詰め、信州随一の財閥となりました。

片倉佐一がシルクエンペラーと称された名残りを、諏訪湖畔の「片倉館」で今でも見ることができます(千人風呂は入浴料:大人750円)。
余談ですが、飛騨から多くの少女たちが諏訪の製糸工場に駆り出され、その悲惨な労働を描いたのが『あゝ野麦峠』です。

日本の輸出総額の4割が絹製品だった時代、世界中の人々を日本の良質なシルクが魅了した時代…
現在の日本で養蚕が営なまれているのは、ほんのごくごく僅かです。
時代が流れて財閥制度は解体されてしまいましたが、片倉工業(株)として今でも引き継がれているようです。

(3) 横溝正史と長野

横溝が岡山(倉敷)に疎開していたことは有名です。多くの物語の舞台が岡山であることから世間に知られることとなりました。
ですが横溝が長野で肺結核の療養生活を送っていたことはあまり知られていないようです。

『犬神家の一族』の舞台が長野(諏訪)であることから、氏が療養中に得たであろう現地情報を基にストーリーを描いたことが推測されます。
大財閥・片倉佐一が長野で没したのが1934年。横溝が八ヶ岳の麓の療養所で療養を開始したのが同年です。当然、地元のシルク王の噂は横溝の耳にも入ったでしょう。

犬神佐兵衛の「佐」は、片倉佐一の「佐」であることに、分かる人には分かる、これもちょっとした謎解きです。

(4)『犬神家の一族』最大のミステリーは未解決のまま

小説に始まり映画、ドラマ…と、『犬神家の一族』ほど日本人に広く愛されている小説は、他に類を見ないのではないでしょうか。何度も読み、何度も映画を観た方は、私だけではないでしょう。
しかし何か腑に落ちないものを感じることは、ないでしょうか?

物語最後の金田一耕助による謎解きと、犯人の自〇、犯行を幇助した跡取り息子の法的償いを待つと約束した美しい恋人…。これで全ての事件はスッキリ解決したでしょうか?

私たちは何か忘れているのです。そう、この物語の最大のミステリーは、全ての始まりであり物語の原点である、犬神佐兵衛の出自がまるきり分からない部分なのです。

犬神佐兵衛は17歳のときにどこからともなくふらりと諏訪の地に現れて、諏訪神社の神主・野々宮大弐に保護されます(両者が同性愛の関係だったことは割愛)。

「昔はそうした孤児はしばしばいた」と言われれば、話はそれまでですが、
ある日ある場所にどこからともなく現れて定住し、産業を発展させ、その土地の支配者になる話。そして跡取りに代々三種のアイテムを継承する話。
横溝氏が伝えたかったストーリーは、実はもう1つあったのではないでしょうか。


(5) 謎は謎のままに

探偵小説、それは残忍な〇人事件であったとしても、いつの時代も私たちの興味を惹くものです。
それは登場人物たちのキャラクターだったり、欲にまみれた人間の愚かさだったり、土地や時代の悲しいバックグラウンドだったり…。
ほんの小さなことで、人間は道を踏み外してしまう、危うい生き物であるということ。犯人の動悸や心境に、どこか共感を覚えてしまうこと。そして怖いものを見てみたいと言う、好奇心…。

殊に『犬神家の一族』の映画化された映像では、目で見るインパクトや、何とも物哀しい音楽に、私たちは何度も魅せられてしまいます。

現代では『名探偵コナン』など、探偵小説はマンガやアニメとした媒体になり、子供でも楽しめる公認の娯楽になっています。
時代が変わっても、人間の本質は、変わることはないのでしょう。

横溝正史氏に敬意を込めて。


【あとがき】AIに検閲を受ける時代

歴史に触れていて、自分なりに色々発見することが多いのですが、まず筆が遅いです。そして、こうした公的な場所(私にとってはこのnote)にどこまで書いて許されるのか?そこが1番の悩みどころです。
(戦中・戦後に表現の制限を受けた横溝氏の辛苦を、少しですが察することができます)

人間とは、結局何なんですかねェ?それすら良く分かっていませんが(たいしたモノではないんでしょうけど)、まずは地球生活を楽しく過ごせれば良いようです。

本日でnoteを始めてちょうど2周年。
アカウントがバンされない範囲でこれからもボチボチ書きますね(^^♪

信州は縄文土器も沢山!空気も美味い!景色もきれい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?