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宮古島のパワースポット (2) 創世神話と蛇の神様
宮古島・平良のパワースポット、スローペースで書かせて頂いてます。
前回に引き続き、今回は漲水御嶽をご紹介(^-^)
漲水御嶽
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御嶽は宮古島に数多くありますが、基本的に観光客が参拝できるのは漲水御嶽に限られます。
たいへん貴重ですので機会ある方には是非訪れて頂きたい場所ですが、くれぐれも聖域であることを意識して、島の神様に失礼のないように参拝しましょう。
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上記の写真でお分かり頂けたと思いますが…
島の神様を祀る聖域は、島独自の文化に複数の宗教的エッセンスが加わった、唯一無二のチャンプルー(混ぜ混ぜ)スタイルと言えるでしょう。
文化的な意味でもたいへん貴重であります^o^
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宮古島の創世神話
ではここで漲水御嶽(別名:ツカサヤー)にまつわる宮古島の創生神話を。
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昔々、天の帝の命により、この地に
「コイツノ(恋角・古意角)とコイタマ(恋玉・姑依玉)」
という2人の男女神が降り立ち、宮古島の人々の始祖となった物語が伝えられているのです。
因みに沖縄本島・古宇利島には、聖書の「アダムとイブ」を彷彿とさせるような伝説があり、
また宮古島を含む八重山諸島には、他にも
洪水後の兄妹始祖による創世(世界再生)神話も残されています。
記紀の「イザナギ・イザナミ」もそうですが、
世界各地に伝わる創世神話、比較してみるのも面白そうですね^ ^
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ところでコイツノとコイタマ、どちらが男性でどちらが女性の神様か?と問われると、殆どの人が
「コイツノが男神、コイタマが女神」
と答えるのではないでしょうか。正解です。
日本人の共通認識で
・ツノ→角→男根→男
(記号では「Λ」あるいは「△」)
・タマ→玉→子宮→女
(記号では「∨」あるいは「▽」転じて「○」)
と連想するのだと思います。
このコイツノ・コイタマ2神の間には、その後、
「宗達と嘉玉」
の男女 2人の子供が生まれます。
この場合もやはり
宗達が息子
嘉玉が娘、です。
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年頃になった2人の子供たちの元に、天の帝の命で、今度は
「秋の紅葉をまとった木装神と、春の青草をまとった草装神」
が降り立ちます。
木装神が男神
草装神が女神、です。
かくして「宗達と草装神」、
そして「嘉玉と木装神」が、
それぞれ夫婦になります。
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つまり漲水御嶽にまつわる創生神話は、島の始祖が近親婚ではなかったことを強調しているかのようです。
(兄妹始祖がタブーであるため後に作り変えられたのか?あるいはそもそも兄妹ではなかったのか?…謎です)
そして宗達夫婦は御嶽の西方の西仲宗根に、
嘉玉夫婦は東方の東仲宗根に、
それぞれ居を構えました。
「仲宗根」という地名は、この神話の頃から現在に至るまで、とても長い間継承されているのですね^ ^
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仲宗根 豊見親について、詳しくは前回の記事にて。
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人蛇婚説話
漲水御嶽にまつわる伝説を、さらにもう1つ。
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平良の住屋に貴人の夫婦が住んでいたが子供がなかったため、授かるよう天に祈ったところ、美しい娘を授かる。
若くして身籠ったため両親が問うと、若い男が毎晩夜這いで閨を訪れていたと言う。
父が男の居場所を突き止めると、それは漲水のイベ(御嶽の中心部)の洞窟の中に居た大蛇であった。
その晩、身籠った娘の夢枕に大蛇が現れた。大蛇は自らを古意角、島立の神と名乗り、島の守り神を造るために娘のもとに来たと言う。
娘は三人の娘を産むので三歳になった時、御嶽に連れてくるように大蛇は告げた。
果たして娘は大蛇の言う通り三人の娘子を産んだ。
子供らが三歳になり、御嶽に連れて行くが大蛇の恐ろしさに母は逃げ帰った。
子供達は大蛇を恐れる事なくそれぞれ首、胴、尾に抱き付くと、大蛇は涙を流して喜び、子供達を島の守り神に変え御嶽の中へと姿を消した。
大蛇(古意角)は光を放ちながら天に昇っていった。
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類似したお話が日本各地にありますね。
これらは異類婚姻譚の代表格で、「蛇婿入り」と呼ばれています。
代表的な蛇神の婿のお話は、『日本書紀』に登場する倭迹迹日百襲姫命にまつわる逸話でしょうか。
百襲姫は大物主神の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られた。
時の人はこの墓を「箸墓」と呼び、昼は人が墓を作り、夜は神が作ったと伝え、また墓には大坂山(現・奈良県香芝市西部の丘陵)の石が築造のため運ばれたという。
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箸墓古墳は奈良県・纒向遺跡を代表する遺跡。
百襲姫 の夫・大物主神を祀る三輪山の麓にあり、3世紀後半の建造とされる大型の前方後円墳です。
現在、宇宙から降り注ぐ素粒子・ミューオンの透過測定による非破壊調査が行われています(そろそろ結果が出る頃かな?)
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1974年公開の映画『卑弥呼』では、卑弥呼= 百襲姫と解釈されていましたが、真相はいかに??
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蛇の神様、と聞くと何だか怖そうですが、私たちは太古の昔から蛇を神様として祀って来たようです。
神社の注連縄や…
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お正月の鏡餅も…
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縄文土器の「縄文」も、蛇紋が起源とする説も。
ところで、もし蛇を記号で表現するならば
「〜」
でしょうか?
これは川や水の表現と同じになりますね。
先にも書きましたが、蛇は男根の象徴でもありますから
「Λ」あるいは「△」
とも書けますね。
また、とぐろを巻いて丸くなった姿からは
「○」
ともなりますね。
これは子宮を表す「▽」にも通じますし、また、私たちが住む世界(宇宙)の象徴にもなりそうです。
蛇は脱皮したり形状を変えることからも、変化や万物流転のシンボルとも言えそうですね。
蛇神のお話の続きは、また後日…^ - ^
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仲宗根 豊見親 凱旋の石垣
では最後に、漲水御嶽と豊見親たちの功績を。
かつて宮古島を統制し、伝説の聖地・漲水御嶽を始め島内の御嶽を再興したのが、島首・目黒盛 豊見親でした。15世紀頃のお話です。
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それから約100年後。オヤケアカハチの乱での出陣に際し、この地で戦勝祈願をしたのが目黒盛 豊見親の玄孫、仲宗根 豊見親です。
凱旋後、仲宗根 豊見親は戦勝記念に漲水御嶽の周囲に石垣を建造。
現在の南側の石垣は当時の姿を残します。
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さて、いかがでしたか?ここまでお読み頂ければ、あなたもかなりの宮古島ツウ(笑)。
レジャーやグルメを楽しむ他にも、その土地の歴史を知ると、きっと旅の楽しさも倍増すると思います。
次回の記事で宮古島・平良のパワースポット特集、最終回になります(^o^)
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