見出し画像

平安時代を観察②

今年は全国的に梅雨入りが例年より遅くなるとか。大阪はもちろんまだですが、カラッと晴れる日も少ないように思います。

さて、昨今はペーパーレス化の時代に入っています。現代では紙について、場所を取るとは思っても、高価だと考える人は多くないかと思います。が、平安時代ではまだまだ高価なものの一つでした。

製紙術は奈良時代に高句麗から伝わったといわれます。平安時代には、朝廷用の紙を製造する紙屋院(かみやいん、かやいん)と呼ばれる、中務(なかつかさ)省の中の国家の蔵書を管理する図書(ずしょ)寮に付属する、紙漉き技術者を指導したり養成したりもする機関がありました。

紙の主な原料となるガンピという木は、生育地にも条件があり、樹皮を採る木はそう高くも太くもなく、更に製紙に適するのは五年生から九年生くらいのようで、大量に採取できるものではなく、それを原料に一枚一枚手作業で製作するため、生産量には限りがありました。そのため高価になる紙は、仏典や四書五経などの学問の書、医学書などの実用書、公文書などに優先的に使われていました。

貴族たちも、より必要とされる知識を写し、手元に置くために、紙という資産の有効活用を考えました。ですので、物語のような娯楽に紙を費やすことは後回しにされ、中々の贅沢。ですから「竹取物語」のように、物語の初期の作品にそう長いものは無いのですね。

そこに「源氏物語」。全54帖からなるこの作品はそれまでにない長編です。下書きから始まり、中宮彰子のところにはこれだけ面白い物語がある、という宣伝も狙って、献本用だけでなく写しも当初から多く作っていたでしょうから、どれだけの紙が使われたことか。紫式部日記には、藤原道長が高価な紙だけでなく、筆や墨を提供したことが書かれていますし、達筆の清書者や製本する人の「人件費」など考えれば、道長の財力があったからこそ、紫式部は書き続けることが可能となり、長編が回し読みで広く知られ、話題となり、読み継がれたとも言えます。もちろん紫式部の書いた作品そのものの面白さが根底にあってのことですが。

今のわたしたちは、訳本なら5000円前後で「源氏物語」を通読できます。昔は間違えないよう一字一句丁寧に書いた手「紙」も、今は指一本であっという間にメッセージを仕上げることができ、紙を使う必要すら無く相手に届けられます。今と昔、どちらがいい、と一概に断じえない気もします。

今日の菓銘は「牡丹」。
寒牡丹もありますが、お菓子の題材にされるのはこの時期が多いようです。

春が短いまま、夏のような気温になり、体はこの環境に適応しようとがんばっていると思います。できるところは休んだり、リラックスして過ごせるとよいですね。よい週末をお過ごしください。

参考文献:「和紙植物」(法政大学出版局)有岡利幸




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?