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藤原道長異聞

立春を迎えたとはいえ、暖かくなるにはもう少しかかりそうですね。今週関東では「大雪」の日もあったようで。

今年の大河ドラマは本名も詳しい生涯もわからない『源氏物語』の作者紫式部(←本名ではなく呼び名のようなもの)を主役にした『光る君へ』。一年話をもたせるために、後に彼女の仕える藤原彰子の父である道長と幼い頃知り合っていたという設定になっています。

道長というと

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

の歌がよく知られています。これは寛仁2年(1018年)10月、道長の三人の娘が太皇太后、皇太后、皇后(中宮)の地位に就くことになった折に詠んだ歌として藤原実資の日記『小右記』に記載があります(道長自身の日記『御堂関白記』にこの歌は載っていません)。道長の傲慢さ、得意満面さがうかがえるとして有名な歌ですが、面白い説を聞いたことがあります。

以前NHKで「偉人達の健康診断」という番組があったのですが、道長を取り上げた回で「〇〇かもしれない!?」という可能性はかなり低そうな言い方で、道長がこの時、糖尿病が原因で目が悪くなっていて望月は見えていなかったのではという説を伝えていたのです。

道長は寛仁3年(1019年)3月出家し、その後日記の量は減っています。日記は政治関係のことを記録として残すことを主目的としていたなら、目が悪くなっていたから書く量が減った、とも単純には言えないのですが、1018年の段階で数えで53歳、目が何らか悪くなり始めていた可能性はあります。

もはや真実はわかりませんし、可能性は低そうなニュアンスで紹介されていた説でしたが、この歌のせいで道長にはただただ傲慢な印象を持っていたため、初めて知った時は衝撃を受けました。もし靄がかかるとか視界の一部が欠けるような症状が既にあったとしたら、本当はまんまるの望月には見えておらず(しかも周りは気付かず)、強がって読んでいる歌というか、哀愁漂う歌というかとも取れるのですよね。歌の「解釈」の可能性の広さに触れた気がしました。ま、やっぱり道長はあまり好きにはなれないのですけど。

NHKの番組で紹介されたものの、結構「トンデモ」説的な扱いでしたが、大河ドラマでここをどう描くのかは少し気になっています。

今日の菓銘は「梅一枝(うめいっし)」。
観梅にもちょうどいい時期ですね。

そろそろ進路が決まり始めた方もいらっしゃるでしょうか。新しい生活が始まるまで時間がありますので、準備を万全に整えてくださいね。







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