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梅あれこれ②

昨日の大阪は雨ながらも気温は高く、梅が一気に開いたのではないかと思います。お住まいの地域はいかがでしょうか。

万葉の時代に宮人から愛でられた梅ですが、これは白梅だったとか。その後紅梅も日本にもたらされ、平安貴族の愛でた梅は主に紅梅だったと言われます。俗に十二単と呼ばれる五つ衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)からなる公家女房の公の晴れの装いや、私の装いの小袿(こうちぎ)姿における襲の色目(かさねのいろめ)という、重ね着する着物の色の組み合わせに紅梅襲(こうばいがさね)というものもありました。

これは表が紅梅、裏が蘇芳(すおう)という組み合わせです。紅梅襲はよく取り上げられるので、耳にされたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、平安貴族は梅が大好きだったようで、他にも梅、裏梅、紅梅匂、蕾紅梅といった襲の色目もあり、現代人にとっては中々手ごわいおしゃれの法則です。

今回、「襲」って急襲などの「おそう」意味しか思いつかないな、でも部首が衣・・・と思って漢字辞典を開いてみると、元々、重ね着をする、という意味があり、重ねる、おそう(継承する【例:踏襲】、不意打ちをかける、など)・・・となっていました。

今日は、そもそも「源氏物語」の玉鬘の巻の、光源氏による女君たちの正月衣装選びに確か紅梅襲のことが書いてあったな・・・と思って調べていたのですが、原文にあたると「紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたるとはかの御料」となっていて、色々な訳を当たったのですが、「紅梅の模様が浮いた・・・」と訳したものが多く、「紅梅襲の模様を浮き織にした・・・」という類のものは少数派でした。わたしの記憶していた現代語訳も少数派のものだったと思われます。

この紅梅襲、梅の字を含むだけあって着る時期も決まっており、大体旧暦十一月から二月ごろ。「枕草子」の「すさまじきもの(興ざめなもの、とよく訳されます)」の中に「三四月の紅梅の衣」と挙げられています。いくら美しい色の組み合わせであっても、梅の名がつくものを梅が散った後に着るのは野暮だったのでしょうね。

今日の菓銘は「花の兄」。
年が明けて一番に咲く梅を花の兄、年の最後に咲く菊を花の弟とも言います。現代人の感覚で花だから姉、妹、とならないのがいい、と感じました。

美しい染め物も絵も、本物の梅には敵いません。できるならのんびり梅見に行けるとよいですね。

参考文献:「全訳 漢字海」(三省堂)
     「日本服飾史 女性編」(光村推古書院)




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