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セルフヒール

フィンドホーンに行ったのは、オウム死刑囚13名が処刑された年だ。あの年は3月に交流している死刑囚が突然、東京から仙台に移送になり、仙台まで面会に通っていた。もう執行が近いことはわかっていた。
日本で、13人もの死刑囚がひと月の間に処刑されたことに関して、社会の関心は薄かったし、冷たかった……と感じている自分がいた。それは14年も文通していた死刑囚が私にとってすでに友人や親族に近い存在になっていたからだと思う。被害者の気持ちを考えると、私の発言は鈍り、思っていることがぜんぜん表現できないし「罪を償うために死刑は必要だ」という圧倒的世論の前に、語るべき日本語がまるで見つからず、日本語を聞くことも話すことも苦痛になってしまい、英語留学の目的で、スコットランドのフィンドホーン・コミュニティに、日本社会から逃げるような形で1ヶ月、滞在した。

いつか行きたい場所が私には3つあった。フィンドホーン、エサレン、ダマヌール。世界の三大コミュニティ。中でもフィンドホーンはパーマネントカルチャーと歌やダンスなどのアート、そして瞑想を中心に人々が暮らすスピリチュアルなコミュニティだった。

ここでの体験は、私が失いつつあった人間への信頼感の回復にものすごく役立った。もし、行っていなかったら……と仮定してみる。たぶん、人とのコミュニケーションになにかしら困難を抱えたかもしれない。どこかしら自覚できないところで、世の中にすねていたかもしれない。

1ヶ月の滞在を終えて、日本に帰って来た時は、よくインドから帰国した人が陥る文化差みたいなものに苦しんだ。別の星に来たような気分になった。日本の上滑りな挨拶や、コミュニケーションに混ざる演技、全体に対する自己犠牲が苦痛で、どうしていいかわからなかったが、それでも人間にへの敵意や怒りのようなものは消えていた。

翌年もまた、夏にひと月、フィンドホーンに滞在した。なるべく日本語から離れたくて、離島のリトリートに一人で参加した。フィンドホーン・コミュニティの「苦しんでいるのはその人の問題。成長しようとしているのだから手出ししない」というスタンスは、居心地が良かったと同時に東洋人の私には他者への無関心とも感じた。自分が日本人であることを、海外に行って意識することになり、見えなかった自分のさまざまな側面を、世界各国の仲間たちと接する中で発見していった。ここで12カ国の人とルームシェアをし、一緒に学んだことで、他国のひとから見れば私は日本的なあまり日本的であることを理解できた。

コロナの拡散が続き、フィンドホーンにも転機がやってきた。海外から学びに来る人を受け入れることができなくなり、財団は金銭的な危機に陥った。不幸な出来事もあり施設も壊れた。もう一度フィンドホーンに行けるのかなあ。行ったところで以前のあの場所とは違うんじゃないだろうか?など、未来を不安に思っている自分に気づき、それはくだらぬ心配だと感じた。
だったら、自分がフィンドホーンで学んだことを、フィンドホーンを知っている人たちと共に思い出し、シェアしあい、少しでも生活に役立てたり、この惑星の一員としてのモチベーションを上げたりするほうがずっといい。

フィンドホーンでは、惑星の生態系に影響を与える私のふるまい、ことば、考えに責任を持つことを誓う。私自身の内面に起きていることと、外的な事象を紐づけて考える。このユング的な世界観を私は自分の人生のいたるところで実感し、生きる指針としてきた。けれど、その自覚は日々の生活に追われる中で忘れがちだ。フィンドホーンで確認できたことを、日本で、仲間と確認しあいたい。そう思って、フィンドホーン・フレンズ・リトリートをやりたかった。

一人ではとてもムリ。だって私は2回しかフィンドホーンに行ったことがない。そこで、フィンドホーンのガイド役を務めていた青木麻奈さんと、通訳のまりりーなさんに相談したところ、一緒に企画してくれると言う。最高のパートナーを得て、三人で1泊2日のリトリートを実施した。

自然界との共同創造……フィンドホーンは農業を通してそれを実践している場だ。この湯河原では何ができるだろうか?しかも1泊2日で。短い。そこで、海岸の丸石たちに協力を求め、石との対話を通して自然界とリコネクトできるように、石に頼んだ。
花にも協力を頼みたい、と思ったけれど、長雨続きの天候で、しかも蒸し暑く庭には花がまったくない状態になっていた。酷暑で花が枯れてしまうのだ。だったら、写真でもいいかと思い、友人の花曼荼羅作家、アイルランドの中林真由美さんに、花曼荼羅の写真をリトリートで使わせてもらえないか?とメールした。

すると、真由美さんから「ランディさんのセレモニーの時間に合わせて、私もアイルランドで花曼荼羅を創ります。いっしょに共同創造しましょう」というお返事をいただいた。

当日、私たちの元に、アイルランドの真由美さんからのビデオレターと花曼荼羅の映像が送られて来た。

セルフヒールという紫の花を中心にしてつくられた、黄色、赤、緑の花曼荼羅は、森の中で創作された。写真を見た私は「いつもと違う」と感じた。真由美さんのいつもの花曼荼羅とはエネルギーが違う気がする。何が違うのだろう。主催者としてさまざまな雑務をしていたせいもあり、この不可解な感覚をその場で言葉にすることはできなかった。

家に戻って、落ち着いてからもう一度この花曼荼羅を見た。

大地を感じた。大地の息吹、鼓動。引き込まれそうだった。引き込まれまいと抵抗している自分に気づいて、なんで抵抗しているんだろう。引き込まれてしまえばいいんだよ、と力を抜いて感覚を開放した。

降りていくと、深いところでとても傷ついて責めているものに出会った。この痛み、大地の痛みではなく、大地を傷つけている私の影の痛みだと思った。傷ついているのはむしろ私の奥深いところで、それは自覚できないほど深い。私自身の影の回復が世界への小さな、そして最大の貢献であることは間違いなかった。

一人ではない、誰かと支え合っていることを思い出せ、そのせつなく、なつかしいような悲しみに丸ごと包まれてごらん、と言われた気がした。地球は悲しみの星。悲しみは人をつなげ回復させる。それがこの星なのだ……と。

悲しみは傷を癒す。そんなこと考えたこともなかったけれど、そう感じた。セルフヒールとはあなたの悲しみによって他者とつながる時に起きる……と。

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