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利便性なき分散型サービス - イデオロギーの呪縛から抜け出す


1. はじめに 

 ビットコイン誕生以来、分散型と銘打った様々なサービスが急速に普及し、一部では「分散型至上主義」とでも呼ぶべき傾向も見られます。分散型〇〇の基盤となるテクノロジーがブロックチェーン技術であり、様々な仮想通貨やWeb3・DeFiなどのビジネス基盤となります。 

 本稿では「分散型」の本質的価値について考察します。分散型という言葉には中央集権に対するアンチテーゼが含まれており、反権力という思想と結び付きやすい傾向にあります。

 一見すると崇高に見える分散型ですが、ビジネスとして評価する際には落とし穴もあります。考察では一部の業界関係者が敢えて無視している問題点についても指摘します。

2. イデオロギー先行の弊害

 分散型〇〇やブロックチェーン技術を高く評価している方の多くはイデオロギーへの共感をビジネス価値と混同しています。中央集権組織やプラットフォーマーへのアンチテーゼとしての分散型思想をビジネスにそのまま移植しようとすると様々な弊害が発生します。 

 多くの方が個人の信条としては中央集権モデルや一部のプラットフォーマーに牛耳られる市場よりも、中央管理者がいないモデル、インフラやデータが分散された仕組みの方が良いと直感的には感じるはずです。実はここに落とし穴があります。個人の信条として好ましいと感じる分散型の思想と、ビジネスとして評価した際の価値観とのギャップです。 

 人類史を振り返ると過去に様々な統治モデルが存在してきました。しかしながら完全な分散・分権は存在しません。むしろ過去においては強力な中央集権(王政・専制君主制)が主流で、市民革命などを経て現在の議会制民主主義に至ります。 

 統治やビジネスの観点から整理すると分散・分権は理想論であり非効率であることを歴史が証明しています。限定された範囲において分散・分権が機能しているモデルはありますが、多くは中央集権的であり仲介者を要するモデルが主流です。 

 ではなぜ分散型至上主義思想が盛り上がっているのかを整理します。理由は複数存在しますので主だったものを紹介します。 

 分かりやすいものは反政府・アナーキーリズムを源流としたものです。これは初期のビットコイナーの思想に近いものがあります。政府や仲介者から独立した価値ある資産を自分自身で管理することに価値を感じるタイプであり、昔は主流でしたが現在では少数派です。 

 次は反社勢力による積極的な利用です。仮想通貨の闇ですがマネーロンダリングやダークWebでの取引、資産隠しなどの需要が相当規模で存在します。多くの仮想通貨は実際のところ利用価値(使用価値)を持たないので、不名誉ですがマネーロンダリングやダークWebでの取引、資産隠しでの利用が実需となります。

 ”通常の決済でも利用可能”という反対意見もあるかと思いますが、わざわざビットコインなどの仮想通貨を利用しなくても、もっと利便性の高い決済方法が存在しており一般人はそちらを利用するので仮想通貨は決済手段とは見做されません。 

 他にもブロックチェーン・Web3界隈で幅を利かせている思想として「なんにでもブロックチェーン」という考えが存在します。これは分散型がよいという個人の信念を、ビジネスの場面にそのまま当てはめることで生じる致命的な誤りです。

 実は多くの企業がこの病にかかり2017年頃から試行錯誤で様々な実験(PoC)やデモ開発・事業化検討を繰り返していますが、未だに有意な成果を得られた事例はほとんどありません。 

 英語のことわざに「If all you have is a hammer, Everything looks like a nail」 という言葉があります。「ハンマーしか持っていなければすべてが釘のように見える」 という意味です。これは限られた手段しか持たない、あるいは、固定概念や過去の成功体験から限られた手段に固執することで、問題の本質を正しく捉えられなくなることへの戒めといえます。 

 ここでのポイントは分散主義の妄信による既存モデルとの適切な比較評価の欠落です。本来、何らかのビジネスを立ち上げる際には競合分析は必須です。性能・コスト・安全性など様々な観点から競争優位性を見極めます。多くのWeb3プロジェクトではこのプロセスが致命的に不足しています。

 これは「分散型モデルは素晴らしい」という個人の思い込みが冷静なプロコンを阻害した結果です。素晴らしいという前提があるため、その素晴らしい技術をベースに開発したサービスは素晴らしいはずである、という残念な思考回路となります。 

 これが多くのブロックチェーン関連プロジェクトが期待はされつつも実質的な成果を得られない点、Web3プロジェクトの提供するサービスの多くが既存サービスの劣化である要因です。 

 金融業界では早くからブロックチェーン技術に着目し様々な検証を進めましたが、実のところ有効活用できる領域は限定的です。(私は以前、証券業界でブロックチェーン事業の責任者・事業開発を推進していたので断言できます) 

 金融では信用が不可欠であり、そのため多くの場合、中央集権モデルが適しています。加えて処理性能を求められる場面も多く分散基盤はパフォーマンス懸念も存在します。

 総じていうと既存金融の取引システムに分散型モデルが入り込む余地はほとんどありません。この点はJPXが2016年にレポートを公開しています。 

金融市場インフラに対する分散型台帳技術の適用可能性について

 金融取引で分散型モデルを効果的に活用できるシーンとしてはP2Pに近い金融取引が考えられます。例えば自己募集などです。自己募集は仲介者である証券会社を介さない発行体と投資家の直接取引です。この場合、ブロックチェーン技術を用いたデジタル取引として活用するケースが考えられます。 

 尚、証券業界ではセキュリティトークン(ST)という法的な整理がされたスキームが存在します。この点は他の無価値な仮想通貨や有象無象の草トークンとは一線を画しますが、STと既存金融商品との差別化が課題となります。 

 現状、投資家は無理にSTを選択する必要はなく、上場株や投信などと比較してリスク・リターン・流動性などが優れている場合にのみSTを選択肢に含めれば良いに過ぎません。上記のスクリーニング基準に照らすと現状の不動産STや社債STは特にメリットがないので積極的に購入する必要はありません。 

 特に不動産STは組成・運用・販売にかかるコストが一般投資家に見えにくい構造となっており、アセマネ会社・信託会社・証券会社も自社の取分のみを認識しているに過ぎず、その全容を正確には把握していない可能性が高いです。

 不動産STの費用・手数料構造は投信の信託報酬・実質コストのように分かりやすい体系ではないので理解できないと感じたら近づかないのが正解です。

 図はSBI証券で過去に販売されたSTのコストに係る部分を抜き出したものです。これだけでもかなり難解ですが、正確に把握するのであれば150ページ相当の目論見書のチェックが必要です。

SBI証券のST概要ページから抜粋

 纏めると証券市場の場合、法的な整理によってSTに価値を持たせることには成功しましたが、ST自体の利便性(投資商品なのでリスク・リターン・流動性など)が既存金融商品と比較し優れているかというと現状ではそうではありません。 

 ある程度普及している金融商品の取引は既にある程度効率化されており、STが入り込む余地が無いのが実態です。すると必然的にニッチな分野(取扱い金額が小さく、取引の自動化や決済の自動化が未対応な領域)や未開拓な分野(P2Pによる直接取引など)に活路を求めることになりますが、これらはゼロからの事業化が必要であり、即収益化が難しいのが実情です。 

 Web3の場合は更に悲惨です。STのように法的保護の仕組みが存在せず、イデオロギー先行で分散型〇〇が素晴らしいという前提を元にサービス開発がすすめられ、最終的に既存プロダクトの劣化版が爆誕します。 

 多くのWeb3プロジェクトは利便性の壁・収益性の壁にぶち当たります。プロダクトの利便性を考えた場合、GAFAなどのプラットフォームの提供するサービスの方が便利で使いやすいです。この便利で使いやすい、という点が非常に重要です。多くの分散型〇〇サービスはUIが壊滅的であったり、機能が限定的であったりします。これもイデオロギー先行の弊害です。 

 Web3プロジェクトは同じ思想を共有している仲間内では評価が高いケースが多く見られますが、価値観を共有しない一般人の目線から見るとアピールポイントがずれている場合がほとんどです。(一般人からすると大抵「それで?」って感じになります)

 他にも分散型を志向しつつ株式会社形態で運営され、資金調達では株式とトークンを都合よく使い分けているケースも散見され中途半端な感が否めません。加えて詐欺やペテンが非常に多いので注意が必要です。過去のICOに近い雰囲気があります。 

3. トークン化プロジェクトの残念さとRWAの矛盾

 分散型志向の残念な派生形として〇〇のトークン化と評されるRWAの動きが存在します。STも広義ではRWAですが本章で指摘するトークン化プロジェクト・RWAは法的保護の仕組みが整備されていないものを対象としておりますのでご注意ください。 

 調べてみると不動産のトークン化、金のトークン化、国債のトークン化・・・など様々な事例が確認できます。しかしながら、本当にトークン化って必要でしょうか?(煽りではなく本心で疑問です)

  議論の前提としてトークン化と電子化・デジタル化について補足致します。有価証券の場合、昔は実際に券面(株券・債券)が存在していましたが、2006年・2008年には電子化に移行し保振による集中管理体制となっています。

 上場株、一般債振替制度を利用した債券、投信などは電子化され保振管理であり15年以上前に「無券面化≒電子化≒デジタル化≒帳簿DB管理」に移行しています。まずこの前提が重要です。 

 そのうえで現在の電子化された有価証券とトークン化有価証券の違いについて整理します。有価証券は投資家の権利にそれぞれの性質に応じ「株式・債券」というように名前を付けた概念に過ぎません。

 そもそも特定の権利の概念化に過ぎない有価証券を更にトークン化することに何の意味・価値があるのでしょうか?ブロックチェーン技術を活用した基盤を用い、そのインフラ上で取引可能なデータ(トークン)として有価証券を表現すること自体には別に何の付加価値もありません。 

 不動産のトークン化ですが、これは従来の不動産証券化と何が違うのでしょうか?不動産という実物資産を「権利」という概念に落とし込み収益商品に仕上げるという面では大差は無さそうです。

 不動産証券化の場合、対象は有価証券に分類されます。(通常は二項有価)トークン化の場合はこの点が曖昧です。トークン化を規制する法律や投資家保護が整備されているか、発行体がそれに準じているのか不明であり、本当にトークンが不動産を表章しているか疑問であり、登記の問題も存在します。 

 特定のブロックチェーン上で発行・管理されるトークンをどうしても取引したいという強い願望が無い限り、既存商品の劣化に過ぎないので合理的に考えると、金融規制を迂回した事業者や資産課税を避けたいグレーな投資家くらいしかニーズは存在しないはずです。 

 トークン化された資産が法的保護の枠組みに含まれていないと、発行体の詐欺や資金流用などの危険性が高くなります。投資家保護の観点から、一定の規制と透明性の確保が不可欠です。STのように法的に権利が担保されていれば、一定の信頼性は確保できますが、無秩序なトークン発行では投資家が被害を受けるリスクが高くなります。 

 金のトークン化もまた謎です。金も実物資産です。証券化された金としてETFが存在します。SPDRゴールド ミニシェアーズ トラスト(GLDM)は経費率0.1%の金ETFです。

 金は「有事の金」と呼ばれることからも現物で保有する限り、有価証券とは異なる付加価値を発揮します。しかしながら現物ではなく権利化された金は単に収益資産に過ぎません。

 この場合GLDMではなくトークン化された金、という謎商品を選択する意義はあるのでしょうか?トークン化された金は本当に金の現物の裏付け・紐付けを法的に担保出来ているのでしょうか?ETFには無いメリットがあるのでしょうか? 

 国債のトークン化もまた謎です。どういう思考回路だとこのような無駄なプロジェクトを思い付くのか知りたいです。国債は広義には債券に分類され有価証券の一種です。国債の券面は発行されないので保振やDTCCによって権利者が管理されています。

 これをわざわざトークン化することに何の意味があるのでしょうか?トークン化することで利回りが向上するのでしょうか?そんなことは絶対にありません。考えられるとしたら通常国債とトークン化国債のアービトラージくらいです。

 これも一時的なものであり、流動性が確保されるにつれ一物一価に落ち着きます。そのように考えると国債を敢えてトークン化するメリットは存在せず、違法業者が詐欺で活用するか、金融規制を逃れ資産逃避させたいかくらいしか考えられません。 

 良くて既存商品と同等、ほとんどが劣化版に過ぎないトークン化〇〇は分散型至上主義の残念な派生形であり、今後はそれって本当に意味あるの?という議論が活性化することになります。

 投資家はトークン化〇〇には関わらず、経費率が安く、過去のデータからリスク・リターンが証明され、法的なスキームが整備された株式や債券などへの分散投資を通じて着実に資産形成される手法を選択すべきです。 

RWAの事例や法的な整理に関しては以下の記事が参考になります。

4. 結局、利便性が全て

 前章では分散型思想・イデオロギー、トークン化の弊害を中心に解説しました。本章では一般人の視点で評価します。 

 多くのサービス利用者は「利便性が高いか・価格は安いか」を軸に購入判断をします。利便性・競争力が高い製品であれば、それなりには売れます。もちろん業種によっては製品の耐久性が重視されたり、エラーや誤作動の発生率が重視されるようなケースもありますが、汎用的な判断基準としては機能性をベースとした利便性やコストに集約します。 

 利用者は「製品を手に取ってすぐに判断できる価値」を基準に可否を判断します。その次に製品のコンセプトや開発思想、ブランド価値などを評価します。しかしながらWeb3の場合、コンセプトや開発思想が全面に押し出され、結果として基本的な点(利便性・価格)が疎かになっているケースが散見します。 

 これでは業界関係者ではないマス層には届きませんし、プロダクトがキャズムを超えることも決して訪れません。事業を推進している当事者の方も薄々はプロジェクトに価値がないことに気付いており、その状況を打破するため意味不明なマーケティングや他技術領域とのコラボを模索しています。 

 最近ではWeb3はAIと相性が良いという声がよく聞こえますが、ChatGPT以前はあまりそのような話は聞きませんでしたし、逆にメタバースが盛り上がっていた際はWeb3とメタバースが一体として語られることも多く見られました。これは実態が無いものをよく見せようとする際に用いられる常套手段です。 

 ブロックチェーンゲームやGameFiなどは失敗事例の典型です。単純にゲームとしての完成度がお粗末で全く楽しくありません。これもブロックチェーンという技術を利用することが全面に押し出されゲームの本質価値(面白さ)が蔑ろにされた結果です。ゲームは面白ければ正義であり、そこに開発者の独善的な思想の押しつけは不要です。 

 ブロックチェーンとは異なる分野ですがイデオロギー先行の事例としてEV自動車が挙げられます。EVは「環境」という表面的には誰も反対しにくい大義名分を掲げてエンジン自動車を政治的手法を用いて駆逐しようと画策しています。 

 これもEVという技術・思想が先行しエンジン自動車は環境に良くないので悪という前提があります。EVの場合、政治的な思惑もあり数年で一気にエンジン車包囲網が世界各地で敷かれましたが、テスラの失墜から分かるように綻びが出てきました。 

 EVの場合、政治の援護射撃(規制や補助金)もあり、イノベーターやアーリーアダプターの需要の取り込みには成功しましたが、マス層へは全然リーチ出来ていません。これは利便性・コスト・安全性など車という製品に総合的に求められる魅力が欠如しているからです。 

 環境という大義自体に間違いはありませんが、環境保護のアプローチ(手段)としてEVが最適なのかは議論の余地がある、ということです。従来のエンジン車の技術の延長では実現できないのか、EV以外の別の方法は模索出来ないのか?色々と疑問は付きません。 

 ちなみに私は15年以上、運転したことがないベテランペーパードライバーなのでEV・エンジン車・ハイブリッド車のどれにも思い入れも・偏見もございません。単にイデオロギーでは一般消費者は動かないし(アーリー層が限界)、いずれ限界が訪れるという話の一例として自動車を取り上げたに過ぎません。 

 本章でのポイントは特定の課題(ニーズ)を解消(満たす)方法として、何が最も優れているかを見極めるという点です。仮にある課題の解決方法としてブロックチェーン技術が最適解の場合にはそれを製品化することで利便性は保証され一定の需要を獲得できます。 

 しかしながら現実は逆の状況で利用者の課題やニーズではなく、開発者の思想が先行し、結果として需要が存在しない誰得?なサービスが生み出されます。事業者はこの点を特に注意する必要があります。 

5. 賢い愚か者の末路

 ブロックチェーンにしろ暗号資産にしろWeb3であれ、多くの著名人・有識者・学者が関与しています。何事にも推進派と反対派が存在しますが、この業界は特に見解が分かれています。 

 なぜ議論が収束しないかというと前章で示したような利用者の課題を解決する利便性の高い有益なプロダクトがいつまでたっても登場しない為、反対派に対する反証が出来ずにいるためです。

 目の前に有益なプロダクトを持ち出されれば反対派も口をつぼむしかありませんが、各業界で7年くらい試行錯誤していますが結果が表れていません。 

 これが何を意味するかは明白です。生成AIはChatGPTの登場後、1年足らずで様々な発展的なプロダクトが登場しました。未だに発展途上ではあるものの、既に有益なプロダクトの域に達しており、利用者の課題を解決しています。 

 イデオロギーではなく本質価値に重きを置いた技術進化・プロダクトはこのようにすぐに結果に反映されます。数年経っても有益な結果が表れない場合はアプローチが誤っていたと素直に認める必要があります。 

 これは分散型〇〇全般に言えることであり、各種暗号資産・ブロックチェーン技術を活用したプロダクト・Web3プロジェクトはそのほとんどが手段と目的を見誤ったのです。

 暗号資産はボラティリティを楽しむ以外に現実世界の利用価値は違法取引くらいしかありませんし、ブロックチェーン技術を活用したプロダクトの多くは既存製品の劣化版に過ぎません。Web3は定義が曖昧で詐欺が多く、プロジェクトに実態が伴わないものが多いです。 

 ではなぜこのようなビジネスが多くの有識者の支持を集めるのでしょうか?金融業界は昔は仮想通貨に否定的な金融機関が多数でしたが、直近ではビットコインETFの上場でブラックロックやフィディリティといった大手も取扱いを開始しており、多数の金融機関が何らかのサービスを検討しています。 

 一方でバークシャーハサウェイ(バフェット)やゴールドマン・サックスはこれらに批判的です。彼らは本質価値の有無に着目し、外野の声は無視して自身の判断として「価値なし」と結論付けています。 

 分散型思想は一見すると魅力的に映るものの、現実のビジネスにおいては本質的な価値を提供できていないことが明らかになりつつあります。多くの有識者が分散型コンセプトに共感し支持する一方で、バフェットやゴールドマン・サックスのような投資の権威は冷静にその実態を見抜き、批判的な立場をとり続けています。 

 いずれこの対立は決着を迫られるでしょう。仮想通貨やWeb3が実用的な価値を持つサービスを生み出せなければ、徐々に期待値は剥がれ落ち、投資家の関心も薄れていくことになるからです。結果的に価値が証明できなかったプロジェクトは維持が困難になり、消え去っていくことでしょう。 

 一方で、生成AIのようにユーザーの課題を実際に解決する技術は瞬く間に発展を遂げています。これは本質的な価値を重視したアプローチと、イデオロギー先行で本質を見失ったアプローチの違いを如実に示しています。技術の発展は前者によってもたらされ、後者は時間の無駄に終わるのみです。 

 本稿では分散型思想そのものを批判しているのではなく、ビジネスにおいては本質的な価値創出を常に意識し、過剰に振り回されることなく冷静な判断を下す必要があると指摘しています。イデオロギーに酔いしれた結果、本質を見失ってしまっては取り返しがつきません。引き際を間違えれば、共倒れを免れられなくなるということです。

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