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Web3:話題の某書回収に思うこと

 今回はタイムリーな時事ネタとなります。Web3界隈の方であれば知らない方はいないであろう「いちばんやさしいWeb3の教本」です。

 なんと7/25(月)に回収が決定いたしました。7/20(水)の発売以降、購入した方やWebで無料ダウンロードした方から様々な指摘を受けた結果です。関係者の方々は週末必死で協議して月曜に回収を決意したのだと思います。本当にお疲れ様でした。 

 電子書籍の自己出版ではなく出版社を通して出版された書籍がわずか1週間足らずで自主的に回収というのは珍しいケースです。出版元のインプレスは昔からテック関連の書籍を数多く出版している実績があり、なぜ今回このような事態に発展したか興味深いです。 

1. 本件の問題点

 アマゾンでKindle ダイレクト・パブリッシングの仕組みを利用した自己出版が普及し始めてから書籍の信頼性が薄らいだのは事実です。今回の書籍が出版社を通さず自己出版であればこれほど話題にはならなかったと思います。

 色々と騒がれている理由の1つにこれまで実績のあったインプレスが出版元であったにも拘わらず、執筆者の選定を誤ったこと・編集が機能していなかったことにあります。出版社は当然ながら目利きと編集の力を有しており、読者のニーズを掴んだ良質な書籍を出版し書籍を通じた文化・知識の普及に努めるべきです。 

 今回は両方ともミスってしまった結果として「回収」という事態に発展しました。それぞれの要因について整理します。まず執筆者の選定ですがこれは非常に難しい問題です。Web3は定義が定まっておらず、人によって解釈の幅に大きな差が生じやすく誤解を招きやすい表現です。自称専門家は多く存在しますが、自他共に認める専門家は殆ど存在しない状況です。 

 またWeb3は非常に流動的・スピーディであるため半年前の常識が現在はもう古い、といった事態も生じます。トレンドの移り変わりや解釈の変更によって何がWeb3を体現しているのかが刻一刻と変化します。またこれまでの初期資本を要するビジネスと異なり、小さく始めることが容易であることから高速でプロダクトを開発・検証しサイクルを回す特徴もあります。発展途上であるがゆえに常に形を変え進化し続けているため実態の把握が困難となっております。 

 上記背景からそもそも網羅的かつ適切にWeb3を解説できる人材は業界内でも希少種と言えます。本来であればこの有識者の発掘は出版社の機能なのですが今回は機能しませんでした。新しい業界の立上げフェーズにおいてはそもそも有識者が乏しいという問題があります。またビジネスにコミットしている実務者は出版に時間を割いている余裕がないので辞退するケースもしばしばあります。(知名度より自社ビジネスのスケールを優先) 

 執筆者の田上智裕氏について調べてみるとアプリ開発の経験がありそうですが、私はビジネスサイドのマーケターという印象を受けました。経験があることと深く理解していることは別問題であり、今回の書籍に関しては明らかに知識の欠如に伴う誤解と誤認があったことからそのように感じました。今回の一件はWeb3のブロックチェーンには黒歴史としてしっかり刻まれてしまいましたが、まだ若いので下手に欲を出さず今後挽回して欲しいところです。 

Web3関連の書籍には本書以外にも怪しい書籍がたくさんあります。

代表的なものとしては「Web3.0の重要性を徹底解説! 初心者向け入門書:イケダハヤト」があります。これは出版社を通さない個人出版で電子書籍のみであり、読者もまわりもそういうものだと割り切っている(最初から期待値が低い)ので誤った情報が含まれても問題にならないのです。 

また「メタバースとWeb3:國光 宏尚」も色々と課題の多い書籍ですが、今回のように誰がどう見ても誤った記載ではない点がポイントです。冒頭で説明した定義と解釈の幅で吸収できる範囲に収まっており、著者の主張に関しても現時点では正しい・誤っていると明確に証明することは困難です。抽象的で具体性に欠けたり、負の側面の分析が甘かったりしますが新しい産業をテーマとした書籍の場合にはこのレベルの記載もギリギリで許容されるようです。ただ著者自身が業界に大きく投資していることからポジショントークが多分に含まれていることは認識しておく必要があります。

 結論ですがWeb3をテーマとした執筆者選定の難易度は非常に困難であるため出版社の目利きが機能しなくても仕方なかったと思います。ですが今回はその後も対応にも問題がありませんでした。編集と出版前の有識者によるレビューが全く機能していなかったのです。

 1週間で回収判断されるほど問題だらけの原稿をなぜ事前のチェックで見抜けなかったのでしょうか?理由は色々と推察できますが正式なアナウンスがまだ出ておりませんので推察の域を超えません。(編集者に当該分野の知識が不足していた、執筆者の権威を盲目的に信頼してしまった、スケジュールがタイトだった、適切な有識者のレビュアーが確保できなかった・・・) 

 新しいビジネス本の場合、複数の執筆者で専門分野を分業して一冊の書籍を完成させる手法がしばしば採用されます。Web3といっても様々な視点から整理可能であるため1人の執筆者ではなく専門家集団にそれぞれ得意分野の執筆を依頼する形が良いかと思います。特にビジネスが本業の方が執筆する場合、網羅的・体系的な理解が出来ていることは稀であり、特定の分野に関してはスペシャリストだけど隣の領域は全くの素人ということもあり得ます。(私もそうです)

 これが学者や弁護士などの専門家の場合にはきっちりと根拠を調べたうえで執筆し、必要なレビューを受けることから客観的に明らかな事象に関する誤りはほぼ発生しません。専門家の書籍でも持論に該当する部分は解釈の余地があることには注意が必要です。 

話を戻すと今回の出来事は以下の通りです。

執筆者の選定:×
編集:×
記載内容:×
回収対応・意思決定:〇

 私が学生のころは紙の書籍しか存在せず、書籍=専門家が書いた正しい内容、と考えておりました。現在は誰でも自己出版が可能な時代であることからこのような認識は改める必要があります。最近は実績のある出版社から紙媒体で発刊される書籍=専門家が書いた正しい内容、と考えておりましたが今回の事件はその前提が覆りました。 

 今後はどのような形態の書籍であれ批判的な目が必要となります。自身が一定程度の知識を有している分野の場合には今回のようなミスを気付くことが出来ますが、前提知識がない領域のインプットの為に書籍を購入するケースでは、何が正しく・何が誤りなのかを判断する知識がないことから書籍レビューやSNSのコメント等で主体的に情報を得ない限り予防できません。 

 書籍は安価かつ時間効率の良いインプットの手段として重宝しておりましが今後も同様の事例の可能性を考慮すると、情報源の1つとして過度に信頼しない方が良いかもしれません。尚、最新の情報の取得には書籍よりも信頼のおける有識者コミュニティや有識者が自身で発信しているブログの方がリアルタイム性も高く情報源として重宝します。(もちろん目利きは必要です) 

 今回の「いちばんやさしいWeb3の教本事件」にはWeb3業界の闇が詰まっている気がします。誰でも自称専門家になれます。情報発信とマーケティングが上手ければ周囲を誤魔化すことは容易く、限定されたコミュニティの中では権威を確立できます。著者は詐欺師ではありませんが、詐欺師にも簡単に同様のことが出来てしまう業界ということに注意が必要です。 

 Web3プロジェクトと呼ばれているものの多くは詐欺とまでは呼べなくても、実態が伴わないもの、ビジネス価値に乏しいもの、実現性が非常に低いもの、手段の目的化に陥っているもの、が散見されます。 

 過去の記事でもWeb3とは何なのかについて触れておりますのでWeb3賛美とは異なった視点からの解説に興味がある方は一読ください。物事には様々な側面があり、一般メディアではWeb3の素晴らしい面がクローズアップされておりますが、実態はそれだけではないことをご理解いただければと思います。

2. Web3業界とのかかわり方

 新しいビジネスにはそのビジネスに関わる人の数と同じくらい様々な評価が存在します。ポジティブな意見もネガティブな意見も混在するなかで何が正しいかを見極めることは容易ではありません。ある時点で正しいと思えた理論も将来には誤りだったと証明される可能性もあります。

 評価が定まっていないということはチャンスでもあり、正しい選択と行動が出来れば成功の可能性が高まります。ベンチャーが事業成長を目指すのであればリスク・リターンで考えると割のいい事業領域と言えます。よってベンチャーは新しい産業に群がり、その一部が成長し次の時代を支える企業に成長します。Web3には怪しい部分が多いのは事実ですがそれを根拠に過度な規制を適用し成長の芽を摘む必要はありません。 

 Web3の成長の過程で今後もたくさんの事件・事故が発生し消費者問題に発展するのではないかと思います。それを承知のうえで割り切ってWeb3という産業(概念)を支援し成長を促すのであれば良いかと思います。Web3はWeb2.0サービスを駆逐することは出来ませんし、今後もGAFAのサービスは残り続けます。そして多くの消費者は無料でWeb3サービスよりも使い勝手の良いWeb2.0のサービスを利用し続けると思います。 

 政治家はユートピアのようなWeb3の幻想を妄信せず、負の側面をきっちりと認識したうえで今後発生するであろう問題を乗り越えた先に実現するWeb3の世界を目指して対応して欲しいと思います。最近の自民党の政治家の言動を見ると一抹の不安を覚えます。 

 私はいち消費者としてはWeb2.0とWeb3のサービスのどちらかを選択するのであればWeb2.0のサービスを選択します。Web3で必ず語られる分散化自体にはそれほど価値はありません。分散化は実装手段の1つであり、目的ではありません。分散化させることでサービスは特に便利になることはありません。イデオロギーと実利は別物です。 

 Web3との関りに関してはDAO的な組織への参画が考えられます。私は今後も「民主主義・資本主義・株式会社」の3点セットが存続すると考えておりますので営利目的のビジネスを株式会社以外の形態、例えばDAOで実装することはナンセンスだと考えております。DAOが仮に株式会社形態の場合、株主とトークンホルダーの対立に双方が納得のいく決着は困難というのは2017年のICOブームの際に事業化検討した際の考察結果です。 

 ではDAOはどのような場面で機能するかというと非営利の団体・組織です。一般社団法人●●、△△NPOなどです。DAOはリアルの組織と異なり、階級がフラットで特定の個人に権力が集中することが少ない構造となります。活動はオンラインが基本で特定の目的の実現のために集まった有志の集団(コミュニティ)です。集合知を利用し民主的なプロセスで意思決定することが特徴です。コミュニティ内のインセンティブとしてトークンを用いるケースが多く、サービス利用等に用いられるユーティリティトークンと意思決定に用いられるガバナンストークンに分けられ、それぞれコミュニティ内での貢献に応じて取得可能な場合が多いです。 

 このような特徴を有するDAOは営利目的の株式会社ではなく非営利スキームの方がしっくりきます。今後は本業は株式会社できっちりと働き、副業や社会貢献はその目的応じたDAOコミュニティへの貢献というスタイルが登場すると考えます。金銭的なインセンティブを重視する場合は副業感覚でDAOに参加し積極的にコミットすればよいし、社会貢献を重視しDAOに参加する場合は金銭インセンティブよりもコミュニティへの帰属意識・貢献を重視すれば良いと思います。 

 日本ではDAOを適切に扱う法律がまだありませんが、米国では州法でDAOが認められている州もあります。DAOはふわっとした概念であるため権利義務の主体としてどう扱うべきなのかは難しいですが、少なくても株式会社とDAOを切り離すことで株主とトークンホルダーの対立構造は回避できるはずです。株式会社形態にも拘わらず、中途半端に金銭リターンを求めDAO要素を内包しトークンエコノミーの形成を目指すと間違いなく仁義なき戦いが勃発するのでそのシナリオは避けるべきです。 

 尚、日本では金銭価値を有し交換可能なトークンを発行すると法律上面倒が生じるため、トークンを発行する場合はしばらくの間はあえて制限を設ける方が良いと思います。例えば以下のような制限です。

譲渡不能
金銭を対価に取得不能
特定のコミュニティ内でしか利用できない

 会計・税務等の課題整理の完了後に必要に応じて制限を解除し、トークンの実態に見合った価値が反映されるよう市場へのアクセスパスを構築すればよいと考えます。非営利の団体の場合、そもそも活動にはそれほどリアルマネーが必要ではないことが多いことからベンチャー企業のファイナンスのように実態よりも大きく見せたり・煽ったりする必要はありません。

 DAOではメンバーがそれぞれ現物出資のようなイメージで自身の持つ専門性や知見をコミュニティに提供し目的の達成を目指します。その中でどうしてもメンバーの現物出資(ノウハウ)では補えない活動をトークンを介して獲得した金銭を通じて対応するイメージです。メンバーはこの現物出資を通じてコミュニティに貢献することで金銭価値は存在するかわからないけど、持っていると認められたような気分になってなんだか嬉しいトークンを獲得し自己満足に浸るという構造です。ちゃんと自己満足できていれば搾取構造にはならないのでWin-Winだと考えます。

 DAOの社会実装・株式会社との共存に関しては色々と思考しており、別の記事で近日中に投稿できればと思います。非常に柔らかく実験的な仮説になろうかと思います。

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