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収入と余暇のトレードオフを乗り越える:最適なバランスの探求


1. はじめに 

 社会人であれば誰しもが、より多くの収入とより多くの余暇時間を望んでいることでしょう。しかしながら収入と余暇時間は大抵の場合、トレードオフの関係にあります。頑張って働くことで収入を高めることは出来ますが、代わりに余暇時間を失い、精神的に疲弊します。本稿では収入と余暇時間の最適化をテーマに、自身が望む趣味や余暇を楽しむのに必要十分な資金を出来る限り短い労働時間で稼ぐかを考察します。 

2. 収入の最適化と足るを知る心の持ち方

 社会人として働いていると仕事の価値(評価)=年収として示されることとなります。もちろん多いに越したことはありませんが、年収を高めるには努力に加え運も必要となります。よって闇雲に年収アップを目指すのではなく、自身に最適な年収水準の見極めと余暇時間の確保に焦点を当てます。 

 生活費は自身が望むライフスタイルによって大きく変化します。月20万円で充分な方がいる一方で、月50万円・100万円必要な方もいます。それぞれが望む生活水準に必要な収入を稼ぐことは必要不可欠ですが、実は稼ぎ過ぎないことも重要です。 

 所得税は累進課税なので収入が多いほど、所得税負担も高まります。住民税合算で最大55%が課税対象になります。年収1,000万円あれば充分な方は無理して3,000万円稼ぐ必要はありません。 

 仮に収入が不労所得で自身の余暇時間を消費しないのであれば稼ぎ過ぎを意識する必要はありませんが、そうでない場合は時間の切り売りで収入を得ているに過ぎません。どれだけ時間を売るかは個人の判断ですが、時間を売り過ぎるデメリットも認識すべきです。 

 人生のゴールは必ずしも死ぬまで働き続けることではありません。一部の経営者の方は働くことが人生のトッププライオリティになっていますが、それは仕事と自己実現が両立した稀有な事例です。 

 大抵の場合、仕事は人生を構成する要素の1つに過ぎません。何のために生きるかを自問したときに「仕事のために生きている」という方は稀でしょう。多くの方は「幸福追求や充実感の高い人生を送るため、経済的な基盤を確立するために働いている」と答えるのではないかと思います。 

 この場合、必要以上の資産のため必要以上に働くことは上記と矛盾することになります。収入と余暇時間がトレードオフの関係にある以上、最適化を目指すことが重要です。 

 最終的には生活に必要な収入を労働ではなく資産から得ることが望ましいです。不労所得で日々の生活に必要な資金を賄うことが出来ればトレードオフ問題は解決します。とはいえ、不労所得で生活費を賄う基盤を構築するには時間が掛かります。 

 よって不労所得でトレードオフを解消するのは最終ゴールとなります。その過程では、自身が苦に感じない(できれば面白いと感じる)仕事を通じて生活に必要な収入と将来の不労所得の基盤を準備します。 

 不労所得の基盤作りに該当する資産形成期は収入>生活費となるように調整し、一定額を財産形成に充てる必要があります。生活費以上に稼ぐと社会保険・税金の負担が重くのしかかりますが、NISAやイデコ、各種控除を活用し出来る限り節税・課税所得の圧縮を心掛けます。 

 人によって異なりますが、上記は少なくても10年~20年程度の期間を要します。一定の資産形成が完了したら仕事を時間単価と精神的負担・満足度を基準に見直します。この段階で仕事は時間単価が高く、精神的に苦にならず、充実感を得られる職への見直しが重要です。 

 一般にお金・健康・時間はトレードオフの関係にあり、若いころはお金は乏しいけれど時間と健康は充実し、中年に差し掛かると時間が不足する一方でお金は増加し、高齢になると寿命と健康が損なわれることとなり、各世代によって希少資産は異なります。 

 最終的にはお金よりも「健康・時間」が希少資産になることが多く、いかに余暇時間を確保するかが鍵となります。私はもうすぐ40歳になりますが、段々とお金よりも「健康・時間」の方が大切に感じるようになりましたので、これは中高年共通の価値観の変化なのだと感じます。 

 価値観が変化することで生き急ぐようにひたすら働くライフスタイルから、自身の価値観に適したライフスタイルに自然とシフトします。アクセル全開から少し緩めて巡航速度に切り替えるイメージです。 

 中年と呼ばれる世代に差し掛かると肉体的にもアクセル全開は厳しくなります。精神的にも余裕が生まれることで過度な上昇志向や生き急ぐ意識が薄まります。これらの肉体的・精神的な変化と相まって価値観が若いころと比較し角が取れ丸くなります。 

 20代の頃に描いたライフプランは希望的観測に基づく可能性の1つを示したに過ぎませんが、40代に差し掛かる頃に描くライフプランはある程度、地に足が付いた現実的な計画になっている可能性が高いです。20年の歳月は自身の着地点の見極めや能力の限界を認識するには十分な期間であり、人生の後半戦をどのように過ごすかを検討するには良いタイミングです。 

 多少は背伸びをしつつも無理のない現実的なライフプランニングが可能となるのが40代くらいです。自身の価値観に基づく着地点を朧気ながら見据えつつ、40年の残存期間をどう生きるかを整理するイメージです。 

 もちろん引き続き最前線を走り続ける選択も良いと思いますが、人生にリスクは付き物なのでリスクシナリオに備えたプランBがあると安心です。本稿の「最適な収入と余暇時間の最大化」は自身を俯瞰的に捉え、客観的に第三者の立場で振る舞うことで達成できる可能性が高まります。 

 実は最適な収入と余暇時間の最大化を目指すことのデメリットも存在します。それは突出した実績を社会に残すことが困難と言うことです。偉大な経営者や科学者などは生涯に渡り該当分野で第一人者として活躍しますが、これは常に最大限の努力が伴い、自己を犠牲にしてでも成果を目指すことが必要となる場面も生じます。 

 このような偉人の場合、本稿の最適化論は不要です。本稿はボリュームゾーンである一般層を対象としており、具体的には「仕事も大事だけど、それ以外(以上)に大事なものが別にあり、人生のリソースの配分は仕事に偏り過ぎることなく、余暇や趣味、家族・友人にもしっかりと割り当てたい」という考えの方をイメージしています。 

 価値観の変化によって最優先事項が仕事→プライベートというように変化することはありますが、人生の最後まで仕事が最優先という方は稀です。従って、実際に行動するかどうかは別として「最適な収入と余暇時間の最大化」というライフスタイル自体は検討に値するものとなります。

 検討の結果、しばらくは仕事優先でいいやとなるかもしれません。それはそれで良いと思います。5年程度の頻度で定期的にライフプランを見直すことで価値観のアップデートが反映された最新の計画が手元に残ります。 

3. 経済合理性の追求と搾取の檻を越えて

 収入の最適化は余暇時間の確保に繋がりますが、他にもメリットが存在します。日本は累進課税・社会負担が強い国なので自身の時間を削って頑張って稼ぐほど、負担が増加します。(負のスパイラル)週5日働くと2日は国のため(税金・社会保障のため)に無償労働しているようなものです。 

 この現状をどう捉えるかはそれぞれですが、時間的な損失は間違いなく大きいです。前章で余暇時間の最大化を念頭にちょうどいいバランスを模索しましたが、別の角度から見ると税・社会負担の最小化という観点からも収入はほどほどが良いことが分かります。 

 不労所得ではない勤労所得の場合、時間を切り売りしている面が否めないことから税・社会負担が増えるほど、多くの無償労働を強いられているのと同義です。社会全体として税・社会保障の財源確保は必要ですが、個人としては「損失」以外のなにものでもありません。 

 よって収入の最適化による余暇時間の最大化は単に自由な時間を確保するだけでなく「搾取率」の低下にも貢献します。理想は無税・免除ですが、その場合は生活水準がかなり制限されることから過剰な生活水準を望まず、自身の価値観に照らしコントロールすることが重要です。 

 給与のようなフロー収入よりも金融資産のようなストック収入を増やすことで搾取率の低下が期待できます。日本は資本主義を装っていますが、局所的には「社会主義」であるため、あちこちで制度の歪みが生じています。様々なメディアで指摘されていますが、自民党政権はこれを是正する気は無さそうなので、合法的な欠陥を積極的に利用し、搾取率の低下を目指すことが重要です。 

 国と国民は持ちつ持たれつの関係です。一方的に搾取される道理はありません。負担に見合う国家・行政サービスが提供されているか厳しい目線で評価する必要があります。

 昨今の日本では国家と国民の間で適切なギブアンドテイクの関係が構築出来ているとは思いません。一部の上級国民と利権団体がテイカーとして社会全体から搾取し、多くの一般的な会社員は社畜として搾取の対象となっています。 

 昨今話題となっているFIREはこのような歪んだ社会構造からの脱却なのかもしれません。真面目に考えると社会制度の矛盾に気付きます。頑張れば頑張るほど搾取される負のループです。そのループから降りたのがFIREです。必要に応じ自身のために働き・自身のために時間を使う生活スタイルです。 

 一般に高所得者の税負担は所得税・住民税を指して55%と表現されますが、正しくありません。他にも高額な社会保険(税)や消費税、贈与税・相続税、固定資産税、金融所得課税(20%)、酒・たばこ・ガソリン、その他・・・無数にあります。80%程度は軽く負担しているのではないでしょうか。 

 消費税に関してはどう頑張ってもゼロにできませんが、所得税や住民税は課税所得を調整することでコントロール可能です。社会保険(税)も同様です。贈与・相続などは生前贈与・暦年贈与などの仕組みを使いつつ年間110万円の枠を使うことで多少コントロール可能です。酒・たばこ・ガソリンは生活スタイルに依存しますので、これらが不要であれば搾取されません。 

 日本では多少の工夫の余地はあれど、会社員の場合は「搾取の檻」から抜け出すことは困難です。FIREはこのような仕組みに気付いた個人のささやかな反抗なのかもしれません。無償労働による搾取を強いられるくらいであれば「搾取の檻」である社会制度から降りるという選択です。 

 日本の社会制度が現在のような重課税・重負担制度でなければFIREを目指す人は今より少なかったのではないかと考えます。FIREという選択は経済的・時間的な自由の獲得という側面以外にも、このような個人の努力が報われない社会制度への意趣返しにも思えます。 

 社会の歯車として走り続けるより、自身の幸福を最大限に追求して搾取の檻から抜け出す行為がFIREなのかもしれません。最適な収入と余暇時間の最大化は結果としてFIREにも繋がりますし、多くの会社員を縛る搾取の檻からの脱却を実現します。 

搾取の檻からの脱出しFIREを目指す投資家を示す図

 本稿がライフプラン検討のきっかけとなり、自身の着地点の整理の一助となり、価値観の棚卸、プライオリティの再確認、余暇時間の確保、搾取の檻からの脱出に寄与すれば幸いです。 

※用語解説
「搾取の檻」(私が勝手に命名した造語です)
 日本の局所的な社会主義制度・重い累進課税制度・社会保障負担、歪んだ利権・バラマキ・優遇などが複雑に絡み合って出来上がった社会制度を指します。特に会社員はこの「搾取の檻」を抜け出す手段がほとんどありません。自営業者・法人経営者・政治家などは比較的「搾取の檻」から自由です。

 

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