子どもが欲しい私達の奮闘記

2020年2月。
コロナウイルスが…とニュースになり始め、ざわざわとした雰囲気になりつつある中、日本に本帰国しました。
仕事に打ち込み日本での生活が落ち着いたある日、ふと「将来妊娠とかするのかな…。子どもの事もそろそろ考えないと」と疑問に思いました。
今までは避妊をきっちり行なっていた私達。
思い切って避妊をやめてみよう!と思い立ったのは、帰国から2年3ヶ月後の5月、ちょうど30歳になった時でした。

え…思った以上に難しい?

そう感じたのは3ヶ月くらい経った暑い夏の日でした。

Masaはブラック企業に勤めていましたが、月の半分は私に付き合って致してくれていました。(ありがとうよ旦那…!)
基礎体温をつけて排卵日と生理予定日を確認して、ここだ!という日にはMasaにいつも以上に頑張ってもらいます。(本当にありがとうよ旦那)

生理予定日周辺になると妊娠検査薬を買い込み、毎日のように尿を引っ掛けじわりと滲む結果を凝視していました。
しかし何度尿をひっかけようが、念願の縦線が浮かんできません。

いや…。よく「我慢汁とかで妊娠する」とか「安全日だけどできちゃった〜」とか聞きますやん!
できんのかい!なんで!?
私の頭は?でいっぱいです。

避妊しない事に怯えていたMasaは、「なぁーんだ、大丈夫じゃん。そう簡単にはできないんだね」とすっかり安心しきった様子でした。

私は思い立ったら吉日!のアクティブ行動主義。
行動には起こしているのに結果には結びつかない、何がどうなっているのか分からない状況にイライラを募らせ、遂に…

「私、検査するわ!」とMasaに断言。
Masaはのほほ〜んと「あぁそ〜か。気をつけて行ってきてね〜」と呑気な返事をしてくれました。
ここからゆっくりと妊活の沼にハマっていくわけなのであります…。

「産後の体みたいですね」

いやいやなんだとぅ!?そんなバナーナー!

検査すると断言した数日後に婦人科受診。
血液を抜き取られてその日はおしまい。
2週間後の夜に再度受診して聞いた結果がこれでした。
衝撃的すぎて思わず笑いが込み上げてきます。

詳しく聞くと、女性ホルモンの1つであるプロラクチンの値が非常に高い、『高プロラクチン血症』という疾患でした。

内診も受けて一通りのチェックを受けましたが、とりあえず他には異常が見当たりませんでした。

「こりゃあ妊娠するはずないよ。この値を下げたら可能性が出てくるよ」
そう断言する医師の言葉を信じて、怒涛の投薬生活が始まったのでした。

「日曜の夜に服用してください」の罠

処方された薬は週に1度飲むタイプのものでした。
「日曜の夜1錠」との記載があったので、その通りに服用していきます。

翌日の朝、何やら体がだる重い!!
8時間たっぷり寝たはずなのに、ずーんとした感覚と異常な眠気が取れない月曜日。
この調子で職場に行って2歳児保育をするのはきついぞ…!
そうは思ったものの、職員の手が足りず休むわけにはいかない!と気持ちを奮い立たせて職場に向かいます。
日中は燃えたぎるアドレナリンでなんとか乗り切り、休憩中に爆睡をかまして乗り切りました。

火曜日は月曜日に比べてマシにはなったのですが、だるさが抜けずとてもしんどかったのを覚えています。

この錠剤、恐るべし…!!!
1週目でホルモンの破壊力を知ってしまったので、これからは金曜の夜に服用しようと固く決意したのでした…。

ラスボスはこいつじゃない

数ヶ月後の血液検査では「ほぼクリアだね。できると思うよ」とのお医者さんの言葉!!!
タイミングばっちり!体温測定ばっちり!もう余裕だ!とるんるんで身構えます…が…

「また生理来た…」
毎月必ず28-30日で生理が来てしまうのです。
問題はクリアになったんやないんかい!と大憤慨の私です。

もしや不妊はMasaに原因があるのでは…?
そう思った私はMasaに泌尿器科に行くことを強く勧めました。
検査の結果を見て愕然。
無精子症と言われてもおかしくないほどの数値の低さです。
さすがブラック企業勤め!
1日16時間勤務、通勤時間トータル2時間ですり減らされた体力は、精液検査結果に如実に表れていたのでした。
Masaはというと、検査の結果に落ち込むどころか笑っています。
「僕精子ない。あはは」
もう笑うしかない、と2人してヘラヘラ過ごしていました。

いやいや、ヘラヘラしてる場合やない!
ふと気がついたときには、妊活から1年が経過しそうになっていました。

人生を変えた旦那

ブラック企業勤めであることに対して、何もしなかったわけではありません。
ヘラヘラ過ごしながらも、着実に転職に向けての準備を行なっていました。

そして某日…
「おぉ…受かった」
とある会社からの合格通知をもらったMasa。
その会社は残業ほぼなし、サビ残0、睡眠時間たっぷり取れる天国のようなところでした。

オーストラリア帰国後から働いていたブラック企業を辞め、天国な会社で働いて数ヶ月。
ついに精子の数値に変化があったのです!

前まではほぼ0だった精子が、「これならまだ可能性はあるぞ」と思わせてくれるほどに増えていたのでした。
Masaもこれには驚きだったようで、「やっぱりストレスってすごいね」と話していました。

さてさて、数値が回復したわけで、今度こそ!と意気込む私達夫婦ですが、ここから先の奮闘記はまた次回ということで。

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