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花が人間に教えてくれること

週末、家の小さな庭に花とハーブを植えました。もともと雑草で生い茂っていましたが、除草して植えました。

ハーブは「食べられる」という機能を有しますが、花は機能が皆無です。ただ咲いているだけです。それ以上でもそれ以下でもないです。ただ、いたずらに咲いているのです。誰にも頼まれていないのに、咲いているのです。

あらゆる経営資源が効率化・機能化・データ化されている現代社会において、言葉だけ並べると「機能のないもの」は全く不要な存在です。しかし、花と人間の歴史は人間が言語を操らなかった時期にまで及び、花は世界中の人々に長く愛され続けています。花と人間の関係は切っても切り離せない関係にあるのです。

そんな不思議な力を持つ花。心に豊かさをもたらしてくれます。まさにアートの一種ですよね。音楽や絵画も機能的には何の価値も生み出していないですが、花同様に世界中の人に広く愛されてます。

しかし、大衆をターゲットにしたお金の匂いのするものは、何かいけ好かない感じがします。一方、花にはお金の匂いは全くしません。何故ならただ咲いてるだけだからです。お金目的に咲く花はないですよね(笑)

日々加速度的に技術及び科学が進化する現代社会の風潮を見ていると、花のような心の豊かさをもたらしてくれるものが忘れ去られていくような虚しさを覚えます。社会が目まぐるしく変化し続ける中、花は淘汰されずに誇り高く生き残ってます。何故生き残っているのか。それは人間が支配している現代社会において人間が花に何か価値を見出す為ですよね。それは花と人間の歴史を見ても明白です。

花はお金目的には咲きません。いたずらに咲いているだけです。しかし人間はそんな花に長い歴史の中で価値を見出してきました。つまり人間本来は、人間と花の関わり方の歴史から見ても分かるように、お金目的に動く生き物ではないということが言えないでしょうか?

しかし、お金目的で頑張って働く人は多くいます。企業別の年収がいくらだの、老後資金にいくら必要だの、安定した収入が必要だの、良い収入の企業に入るための就活テクニックだの、良い大学出て大企業に行くべきだの、社会はお金に支配されています。だから疲れるのです。それは人間本来の人間らしい生き方ができいない為です。

つまりお金は目的ではなく、飽くまでも手段であるべきです。目的となった途端、疲弊します。虚しくなります。人間味がなくなります。生きる喜びがなくなります。良い要素が全くないと考えます。

しかし、社会はどうでしょうか。社会はそんなことに目もくれず、待ってくれません。社会は人間の集合体であり、多数派が正しいであろうと認知している概念に支配されます。ましてや、日本のような年功序列社会においては「先輩」の発言力が強いです。100年時代と言われる昨今、少子高齢化が進むと先輩の絶対数が増えます。先輩でありながら多数派でもあるのです。つまり、多数派の先輩が変わらないと社会は変わらないのです。

だからこそ次世代の先輩になる若者が変わる必要があるのです。少なくとも今の社会は人間が人間らしく生きる構造になっていないと思います。

この社会構造の土台にあるのが教育だと考えます。教育に対する考え方を改めれば、これからの社会は少しずつ変わるのではないでしょうか。

また別の記事で教育に対する思いなどについて書きたいと思います。










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