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51【もう、あの世に連れてって】


7月2日(なのか定かでない) 

全く眠れないのと
ICUは一切、窓がないので
全くもって時間の間隔がない

1日目は全身が焼けるように熱く
至る所が痒くてたまらなかった

2日目になると徐々に痒みが治まって
より不快な痛みに襲われる

のたうち回るとはこのこと


ちなみに手術の前日から1週間は
食事はもちろん水分も一切
とってはいけない

術後の合併症で
誤嚥性肺炎で亡くなる人が
多いと聞いていた

誰も教えてくれないから
ツバも飲み込んではいけない、
飲み込んだら誤嚥して肺に入って
肺炎で死ぬかも。。。。

と思って全部、吐き出していた

後で聞いたらそんなことはないらしい

かるーく

そんなに神経質にならなくても
いいですよー
って

神経質になっていることを
責められる。。

なら、先に言ってよー
とイラっとする

命がかかってるってことを
本当の意味でわかってるのかな。。


徐々に猛烈になってくる痛み

まるで台風が徐々に近づいて
雨や風がどんどんひどくなるように

その痛みは口では言い表せない
今までに味わったことのない痛み

ここで書いている言葉にしても
絶対に、伝わるとは思えないけど

例えるなら

映画「シザーハンズ」の
爪がハサミになった手で
内臓の中からあばら骨を
掻きむしられ何度も何度も
折られるような


バキバキ、ミシミシと
音を立てながら

鋼鉄製のウニが
身体中を這い回る

ような

本当に頭がどうにかなりそうな
拷問をずっと繰り返されてるような

もちろん、喉元とお腹の傷もズキズキ
いろんな管を通されてる穴もズキズキ

ホントにホントにもうイヤだった


痛み止めの薬が3種類あって
それぞれ、投入できる間隔が決まってる

まずはアセリオ
これは、6時間おきに1日4回
7時、13時、19時、1時に点滴

この痛み止めはムウには全く効かない

次に名前が覚えられない薬
こちらは1日3回6時間は空けて
アセリオを投入した2時間半後ぐらいに
投入される

最後にソセボン
これが最も強い薬で
かろうじてこれだけ少し効く
これも1日3回でこれが聞いてる間、
それぞれ90分ほどは
なんとか人間を保っていられた

それ以外は地獄

ずっとずっとのたうち回っていて
気を失うように意識が飛んで
またすぐに痛みで目が覚めて
全然、時間が経っていないことで
また、ショックを受けて。。


これ、いつまで続くんですかね。。

術後、2、3日がピークだと
みなさんおっしゃいますね。


この日の朝、
ムウを担当する5人の外科医のうち
1番、若いO先生がやってきた

滝川さん どうですか?

(どうもこうもないです。。泣)

痛いですよね。。。
今がピークなので頑張ってください。

手術は無事に終わっていて
癌のあったところは全て
とってきていますので安心してください。


(それはよかった。。)

ただですね。。。

(やっぱりか。。。。)

回結腸再建を試みたんですが
滝川さんの腸の血流が悪くて
このまま繋ぐと壊死してしまう
可能性があると判断して
胃を持ち上げて繋ぐ

“胃挙上再建“

に切り替えさせてもらいました。

回結腸再建を希望されて
この病院に来られたのに
期待に添えず、すいません。

今日、土曜日ですが
主治医のU先生も出てくると
言ってましたので後で
詳しく説明があると思います。

頑張ってくださいね。。。。



そうだったのか。。。
ダメだったのか。。。

回結腸再建は
術後のQOLを考えて
虎の門のU先生のチームが
行っている術式で
逆流やダンピングがないため
ずいぶんと生活が楽な術式だった

手術の前に10−15%ぐらいの人は
腸が伸びなかったり、合わなかったりで
手術中に胃を持ち上げる方法に
変えるということは聞かされていた

それはそれで運命だと思っていた

だけど実際にそう聞かされると
ショックは大きかった

ここまでムウがやってきたことが
なんの意味もなく
最初にかかったC大でも
全く同じ術式で同じ結果だったんだと


でも、今更、そんなことを思っても
どうにもならないことなんだ

そう、

これが神様のくれた試練


ここから何かを学び取るしかない
そう、それしかないよ

諦めきれない気持ちはあったけど
それを深く考えるより先に
痛みがどんどん襲ってきて
それどころではなくなってる

お昼前だったと思う

ソセボンを投入してすぐに

リハビリやりましょうかーー


昼の担当の看護師さん

そう、この手術の後
次の日からもう歩かされると聞いていた

絶対、無理でしょ
こんな状態で歩くなんて
絶対、無理でしょ

と思っては見たものの

ムウの中の小さいムウがムウを挑発する

頑張るって言ったよね?
ムウ、頑張るって言ったよね?


痛みに耐えてるだけじゃダメよね?

なるべく早く身体を動かさないと
ダメって言われたよね?



わかりました。。
頑張ってみます。。。


痛み止めがかろうじて
効いてる今のうちに

3人の看護師さんに支えられながら
なんとか身体を起こして
ベッドから這い出し足を地に付ける

自分の体の感覚がないけど

とりあえず2本の足で立ってる!

重力を感じて
内臓が下に降りるのを感じる

一歩、足を出してみる

おーーー出るね
足、出るね


ムウ、生きてるね


そうしてやっとその部屋の風景を知る

超絶な孤独を感じていたその場所に
意外とたくさんの人がいた

ムウが歩く姿をみんなが
暖かく、みつめ微笑んでくれる

あーそうだ
ムウはこの病院を選んできたんだ
とってもいいチームに出会ったんだ
それをもう一度、思い出して頑張ろう


そう思って一歩ずつ歩いた
おそらく、往復で20mほど

だいぶ、無理をした

だけど、我ながら
頑張ったと誇らしかった


午後になってU先生がきてくれた

滝川さん、お!元気そうですね!
歩いたんですって!
すごいじゃないですか!!




いやいや全然、元気じゃないよーーー

と思いながら

そうやって励ましてくれるんやね
と嬉しかった

U先生からも術式の変更について
話があった

わざわざうちを選んできてくれたから
何度も何度も結構粘ってやってみたと

だけど無理をしてもダメだから
こういう判断になったんだと

受け入れた
受け入れるしかなかった


受け入れてみると
強がりかもしれないけれど少しだけ
清々しい気持ちになった

もう、

そのことで悩むのはやめよう
ムウはこのムウの新しい身体で生きよう



無事に手術を成功させてくれて
本当にありがとうございます


と心で思った

奥さんとお母さん、昨日、手術の後
来られて、説明しておきましたよ


とった食道と胃と腫瘍も見せておきました

とムウにスマホを見せてくれた
ずいぶんと立派なデキモノだった

奥さんもねー
イヤだー怖いーと言いながら
主人に頼まれてるのでと
一生懸命写真、撮ってましたよ


と。

手術の成功を3人で大いに喜んだことも
伝えてくれて、

この後、電話しておきますね!
元気にベッドから出て歩いてますよ、って


ありがたい
ムウの地獄を伝えられたって
どうしようもないもんね

颯爽と去っていくU先生

この後、ソセボンが切れて
また、

地獄が始まる


歩いたことでより深く鈍い
新しい痛みがやってくる

全身がバラバラになってしまいそうな痛み

もう、殺して
もうやだ


こんなのに耐えないといけないなら
死んだ方がマシ

もう、やだ
もう、楽にして


と何度も何度も思った

死んだ方がマシ

命の時計を止めてほしい


痛みと苦痛で
こんなふうに思うことがあるなんて

朦朧とする意識の中で
ムウはムウの人生を思い返していた


全ての病いと向き合う存在に
心からリスペクトをできるように
なったのはせめても救い

とか
なんとかあとで言うんだろうけど

こんなこと
正直、知りたくなかったし
味わいたくなったな。。



こうして書いても
まるであの日のことが
表現できてるように思えない。。。

ムウは痛みに弱い人間だと思い込んで
自分はダメだー、ヘタレだーと
思い込んでいたけれど

このずいぶん後になって
ムウが

HSP

ハイ、センシティブ、パーソン
という性質を持っていることがわかった

生まれ持った性質的に
他の人より、より微細に
いろんなことを五感を通して
感じ取ってしまうらしい。。。

これは鍛えられるものでもなんでもなく
人類を危機から救うために
ある一定の人間に与えられた性質らしい

まぁだから何ってこともないけど
それでちょっとだけ楽になった


だから手術を受けた人
みんながみんなこんなに
のたうち回るってことはないと
思うのでどうぞご安心あれ。



教訓
:痛みそのものよりもそれが果てしないことが
 何よりも苦しい
:こんな状況でも頑張ることで自分を
 自分のことを褒めることはできる

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