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袖萩さんは、つらいことが多くて可哀相、だけど愛情深くまっすぐな人だった

人生初の歌舞伎鑑賞。終わった瞬間にテンションが上がってスタンディングオベーション!ではなくて、なんだか寄せては返す波のようにじわじわと翌日になっても感じ入っています。ふんわりと持続している感覚。とても愉しいです。

 初鑑賞にあたって事前イヤホンガイドを視聴したり、自分でもちょこちょこと調べたり。それをまとめたものを残しておこうと思います。最初に調べたのは出演する皆さんのこと。キホンのキのその手前という感じですが、こんなにもつながっているのですね。

図1

 まずは「奥州安達原 袖萩祭文」。人物関係とあらすじを知ると、どうやら袖萩さんはとても哀しい女性らしい。

図2

 しかしお話の背景に「至極当然です」といった感じで存在する「前九年の役」が私には分からない。あらすじを読んだ感想は「安倍貞任って誰?」でした。学校で習ったハズなのに、本当にすみません。

図3

 なるほど、そりゃ安倍氏は義家を恨んでいるわけですね。さらにこのお話には縁のある物語もあるようで、事前イヤホンガイドでも取り上げられていました。いずれ、能「黒塚」も観てみたいものです。

図4

 ざっくりとお話を知ったところで、いざ歌舞伎座へ。イヤホンガイドを受け取り、各階の座席から舞台がどんな風に見えるのか一通りチェックして着席。ガイドを借りると、開演前まで館内ラジオや演目の説明を聞けて飽きないので良いですね。

 さて「奥州安達原 袖萩祭文」、良かったです。物事は男性達の事情で動いていきますが、母(浜夕)と娘(袖萩)、母(袖萩)と娘(お君)が物語を彩っていく。

 これは現代的な見方なのだと思いますが、袖萩さんは、可哀相なほどツイていないけれど、不幸せではなかったんではないでしょうか。

 歌六さん演じる平傔仗直方と東蔵さん演じる浜夕の夫婦は、娘を愛情深く育て、どこの馬の骨と知れない男性との恋を知って勘当するまでにきっと何度も引き留めようとしたのに違いないと思われました。袖萩は、大切に育てられたことを知っていて自分も親を大切に想っていて、それでも好きな男に付いていくと決めて家を出た。何があったのかその男と別れてからは、娘の手を引き、手を引かれながら祭文で糊口をしのぎ、父親の危機を知ると娘を一目見せたいと駆けつける。意思を持ち、判断し、行動する女性です。大好きな人に愛情を惜しみなく注ぎこむ人なのではないかと思います。

 その女性の娘だから、お君ちゃんも愛情深い。まっすぐに母を想い、自分が寒くても着物を脱いで母にかけてあげられる。やっと会えた父に抱き着ける。袖萩さんは、親不孝の私の娘が親孝行者と言っていたけれど、まさにあなたの娘だからですよ、という気持ちになりました。お君ちゃんが肌着姿と気づいてぎゅっと抱き締める袖萩さん、本当にお母さんでした。 

 武家の夫の手前、思うように動けない浜夕さんも、雪の庭に出たり自分の着物を袖萩さんの方へ放ったり、なんとかできる限りのことを試みます。こちらの母娘もまた、やはり情が深いのだと感じました。

 とはいえ、父は娘を家へ入れません。門の外から状況を教えてほしいと激しく訴える袖萩さんの姿には、情の深さだけでなく強さも見えました。妙な言い方になってしまいますが、自害できてしまう強さ。勘当を持ち出された時、大人しく親に従って恋人と別れ、いずれ他の人に嫁ぐ人生もあったでしょう。父親のことを知った時、こんな身の上だからと後ずさり会いに行かない選択もあったでしょう。そうしない芯の強さが、あの場面に見えたように思います。

 袖萩さんに起こる出来事は、大変なことばかり。あきらかに運が悪い(父・傔仗直方も環宮のお守役を任じられた点で運の悪さは負けていません)。だから、とっても可哀相なのですが、不幸ではなかったと思います。

 物語の終盤、傔仗直方に自害をほのめかしに来た桂中納言が実は貞任だったと発覚してからの流れ。十七世勘三郎さんは、袖萩と貞任の二役をなさったそうですね。とすると、袖萩・貞任・お君と三人揃う場面はないのですね。あのシーンは、袖萩さんはこの人(貞任)が本当に好きなのだなあと思えて良かったのですが、それが無いとなればお話全体の印象も変わりそうな気がします。

 このお話が作られたのは宝暦十二年(1762)とのことですので、江戸では町人が活躍していた頃でしょうか。昔の人はどんな風に観たのか、きっと現代に生きる私とは違うだろうと思うと、どんなところが受けたのか気になります。

 あとはミーハーポイントで。芝翫さんの宗任、なんとも迫力があって格好良かったです。長三郎さんのお君は健気そのもの。そして雪の中に立つ袖萩、七之助さん。大変お美しかったです。

 しばし休憩。イヤホンガイドでは十七世勘三郎さんのインタビューが流れました。お得ですね。

 「連獅子」は勘九郎さん・勘太郎さん親子。超初心者の私にとっては、いかにも「歌舞伎でござい」な演目を観られるなんて本当にラッキーです。ただ毛振りを切り取った映像は観たことがありますが、それ以外なにも知らず、前半後半という構成も間狂言が挟み込まれることも知りませんでした。さらに獅子身中の虫と牡丹の花のお話も、事前イヤホンガイドで触れられていてそこで初めて知りました。

図5

  能楽をもとに作られた演目は、松羽目物というのですね。20代のある一時期、狂言を観るために月2回ペースで能楽堂に通っていたことがあるので舞台奥に松の絵があるとなんだか馴染みやすいです。

図6

 連獅子のもとになったのは能「石橋」。なにやら覚えがあるぞ、と本棚からコミックスを取り出して掲載巻を調べてしまいました。成田美奈子先生の「花よりも花の如く」、主人公は能楽師です。オススメです(脱線)。また、清涼山というのは実在ではないけれど、自然にできた石の橋のある天台山というのは本当にあると知り、Googleマップで場所も調べました。お寺もあり、日本のお寺からも視察旅行に行かれることも多いようです。

図7

  松羽目板の前に並ぶ長唄囃子連中の皆さんは、飛沫防止のため黒い布を垂らしていらっしゃり、これがまたとても格好良い姿でした。

 前半の「狂言師」パートも後半の「獅子」パートも舞踊。動きに集中して観たくてイヤホンガイドを外してしまったので、長唄を聞き取れずに迷子になることもありましたが、難しいストーリーではないのでなんとか大丈夫でした。

 勘太郎さん、10歳にしてすでに体幹が素晴らしいですね。気合十分、集中していて勢いそのもの。一方でピタッと止まり、ブレない。まさに溌剌とした動きで手足も伸びて、観ていて本当に気持ちが良かったです。その横で、子の勢いとは違う大人の安定感のある勘九郎さん。

 それしか感想がないのか、というほど短いですが、この点に集約されてしまうのです。それなりに長い時間の演目ですが、激しい勢いで過ぎていくような、それに付いていくため必死で観ていたような感じです。

 間狂言「宗論」。能楽堂で狂言「宗論」は観たことがあります。歌舞伎の間狂言はサクサクと進み、ハイライト版という感じでしょうか。言葉も声の使い方も足の運びも違うのか、と興味深く観ました。一方で、「型」について言及される方の気持ちはこれに近いのかも、と思うところもありました。「このシーンでこう動くはず」という絵が頭の中にあると、それと少しズレることでなんとなく違和感というか、鑑賞から一瞬我に返る感じというか、そんなものが湧くのです。私の違和感は、まだ間狂言に慣れていないだけなので似ていたとしても非なるものでしょうけれども、面白い気付きでした。

 ちょっと感想を書くはずが、思いのほか長くなってしまいました。次は三月大歌舞伎。豪華な公演が毎月行われることに驚いています。また、ちょっと下調べをしてから歌舞伎座へ行きたいと思います。

※誤り等ありましたら、そっと教えていただけますと幸いです。

図8