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野球紀行/奥甲子園? ~米子市民球場~

 高山から山陰に移動するなら、一旦富山に出て、日本海沿いに行くのが自然なように思える。しかし鉄道の連絡が悪く、翌日の米子での試合に間に合わすにはどうしても山陽を経由しなければならない。距離的には遠回りなのに、時刻表と格闘の結果、やむを得ずそういう結論になった。こんな風に、山陰という地域は、どこから行くにも不便な所というイメージがある。
 東加古川のホテルを早朝に発ち、西を目指す。電車が伯備線に入ると、岐阜から東海道-山陽としばし続いてきた「表街道」の旅からまた「裏通り」に入ったような趣で、落ち着いた気分になる。何となくそんな気分になるのは、この旅がそろそろ終わりに近づいているのと、車窓のせいだと 思う。
 黒い瓦屋根の家がちらほら見えるようになると、もう山陰に入ったという感じがする。日本のどこからも行きにくい場所が、もっとも日本らしい景観を残している。野球はどうだろう。日本らしさを残すという事は、欧米の文化が浸透しなかった、あるいは届かなかったという事でもある。特に鳥取県は、高校選手権の参加校数は全国最少。それは良いとしても、少なくとも甲子園では振るわない。社会人の王子製紙米子はもうない。現在、社会人の登録チームはゼロである。多くの人は単にこれを人口の少なさのせいだと考えているかもしれないが、僕には「西洋の匂いのするもの」を潜在的に受け付けない精神的土壌がこの地方にあるように思える。ある文化がその地域で浸透するかどうかに、人口は直接関係がないからだ。

「阪神タイガース鳥取米子応援団」。別に騒がしい応援はやってなかったが。

 しかし日本という国は、野球という100%外国産の競技を、上手に取り入れるどころか独自の文化にまで育ててしまった。もしスポーツについて一切の知識を持たない人物が、日本で野球を観戦したら、野球が日本で始まった競技だと思いこんでしまうかもしれない。僕は、日本的な山陰の町並みに野球場があって、野球をやっていてもまったく違和感がないと思っている。しかしこの地方にある野球場は「野球場」であるべきで「ボールパーク」ではない。いかにも小奇麗な公営球場という感じの米子市民球場で、もう少しそんなカラーが欲しいとか思うのだった。
 さて山陰独特の、ファン気質の方はどんなものかと思ってまだ人の少ない内野スタンドをウロウロしていると、「阪神タイガース鳥取米子応援団」の横断幕が。対するカープは何も無し。今日の試合は「カープ×タイガース」であって「タイガース×カープ」ではない。だからどちらかというとカープ寄りの雰囲気が支配するものと思っていた。この辺も山陰地方のわかりにくさという気がする。同じ中国地方のカープか、交通が関西とつながっているからタイガースか。つまり文化が広島か関西か。僕の中での答えはもうしばらく後に出ることになる。

子供が飲み物を売り歩く。

 一軍の方は3年連続最下位をやってしまったタイガースだが、「ファームは強い」というのがここ数年の傾向である。今年も結局勝率 .628の2位と安定した結果を残した。そんなファームの強さが上の方になかなか反映されないので、ファンの中ではこのファームの存在が心の支えというか、かなり大きくなっているのではないだろうか。
 先頭の上坂が田中から初回先頭打者ホームラン。カープの方は、ライト伊与田が日差しのせいか目測を誤ったり、セカンド兵動もフライをポロリ。条件はどちらも同じだが、何となくタイガースに土地堪があるように思えてくる。米子と広島と兵庫の位置関係は、ちょうどやじろべえのような感じだが、そのやじろべえが東に傾いているような。
 広島は中国地方最大の都市だが、「中国地方の中心」ではないと言われる。一歩広島を出るとあまりカープのファンがいなくなるのもそれを表しているように思える。名古屋や福岡のように隣県に影響力のある街ではなく、そんなところがカープのチームカラーにも反映されている感じがする。

広いコンコースに並ぶ売店。ボトル持ちこみ禁止とかで、コップに注いで売るのだが、ボトルより量が少ないのだった。

 スタンドは2~3割の入りだが、全体がメガホンを叩きながらタイガースの応援。甲子園の縮図のようだが、子供が売り子をやっているような一種ののどかさが山陰という感じがする。いろんな所でファームの地方巡業を観ているが、地元の子供がスタッフをやっているのをはじめて見た。胸に「YONAGO」帽子にY、袖に「VICTORY」のユニホームの少年がファール番。制服の女子中学生が売り子。もっと小さい少年も黙々と飲み物を売り歩く。その後ろをもっと小さい子が「バイト~」とか言いながら付いていく。子供が売り子をやっているというのは、言葉に表すと決して良いイメージではなく、「けしからん」などと怒る人もいるかもしれないが、実際に見てみるとこれが結構新鮮な光景なのである。「社会教育の一環」なのか、単に人が少ないのかわからないが、女の子が男の服を着ると結構カッコイイのと同種のカッコよさを感じる。もちろん都会の球場の売り子のように洗練されてはいない。つまり「サマになって」はいないが、「絵に」なっているのだ。わざわざ遠くまで来て、「そこでしか見れないもの」を見ると嬉しくなるではないか。

大人しいタイガースファンという不思議な光景。

 大人の仕事をする子供というものを見て、ふと漫画の『じゃりン子チエ』を思い出し、大阪のイメージが米子と直結してしまった。甲子園は大阪ではないが、試合は六回、関本が3ランで田中をノックアウト。この辺りで「仮想甲子園」が成立。その裏のカープ攻撃中に風船を膨らます音があちこちから聞こえてくる。『六甲おろし』が流れた後、一斉に風船が飛ぶ。なかなか壮観。その裏のカープの攻撃でもポツポツと風船が。
 八回に代打今岡登場。観客一斉に盛り上がる。今岡がこんな所で何をやっているのだという気もするが、ここは現実のタイガースに疲れた(?)ファンが、人知れず密かに強いタイガースを堪能できる場所なのだ。今岡ぐらいのサービスはあって良いだろう。
 その今岡はセンターフライ。次の濱中を見逃し三振。この回から登板の広池はほとんどストレート勝負。そのうち出てくるかもしれないが、試合の方はもう7-1でほぼ決まり。なるほどここでは強いタイガースを堪能できる。頻繁にウエスタンのタイガース戦をやれば、米子は「奥甲子園」 になる(?)。

最寄駅はちょっと貧弱。

 それにしても米子と関西の結びつきとは何だろう。文化が流れて来たからか?人が流れて来たからか?「山陰の商都」と言われるだけに大阪の縮小版のような存在なのか?なぜ米子市民球場が「奥甲子園」に見えたのか。色々理由付けをしてみても、決定的な決め手に欠けるような気がしていたところ...。
 さっきまで野球カード交換をして遊んでいた子供が、パンフレットでハリセンを作ると、おもむろにどつき合いを始めたのである。彼らはちょうど僕の目の前にいた。僕の心の霧(?)は一気に晴れた。
「ハリセン文化だ」
 つまり関西なのである。彼らはそれを見せるために最初からそこにいたのかもしれない。
 8月は一日中暑い。しかし9月が近くなると、日が翳る時、ほんの少し涼しさを感じる事がある。行きは、一体いつ山陰に入ったのかはっきりしなかった。着いてみるとそこでは静かな街の野球場で強いタイガースを楽しんでいる人達がいた。車窓から黒瓦屋根の家並みが消えると、気持ちが 現実に引き戻され、「あれは何だったんだろう」という感覚が涼しさと一緒に襲ってくる。帰りも、いつ山陰から抜けたのかはっきりわからない。あの地方には、たくさんの神話が残っている。昔から色々と不思議なものを人々に見せてきたのだろう。(2000.8)

[追記]
 今岡誠を除くと一番有名になったのは濱中治だろうか。後にヤクルトに来たときは「打線に厚みが出る」などと喜んだものだが、5試合の出場に終わり、そのまま引退した。

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