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野球紀行/社会人野球あれこれ ~NTT東日本船橋グラウンド~

「NTT船橋グラウンド」の避難場所表示があったので、もうすぐそこだろうと安堵した。確かにすぐそこなのだが、どこから入るのかわからない。結局球場の周りを一周したが、入口らしいものは見つけられなかった。しかし外から見ると、一応観客もいるようだし、どこからか入れるはずだ。
 球場の隣はNTTの社宅であろう建物がずらりと並んでいる。その3号棟の駐車場の奥に人が入っていくので、もしやと思った。通路と呼んでいいのかどうかわからない、狭い、通路のようなもの。これが球場の、観客にはたぶん唯一の入口だ。
 入ってみると、土手の傾斜が天然の内野席になっていて、木陰にベンチもあり、いい感じだ。ここも、地形を利用した掘り下げ式の球場のようだが、周囲の宅地をこちらが見上げるような感じになるので、掘り下げ式というよりは穴の中の野球場。しかも入口がわかりにくいので、野球好きだけの秘密の集会所でも見つけたようで、得した気分になる。

内野スタンドは芝生にベンチ。

 都市対抗が終わると、アマ球界が一気に秋に向けて加速するような、寂しさを覚える。しかし終わって間もなく、日本選手権に向けて静かに動き出す。この「秘密の集会所」でも東京一次予選が静かに行われている。試合はJR東日本×ローソン。NTT東日本のグラウンドでJR東日本が試合をするというのがややこしいが。
 先発はJRが右の五十嵐、ローソンはややアンダー気味の吉川。五十嵐はいいスライダーがあるようなので、どこで使うか見もの。吉川の手元で変化する球に泳ぐJR打線。「いいね」と言ったのはローソン関係者だろう。そう、周りを見ると、僕のような一般の観客よりも関係者らしい人の方が多く見える。一次予選とはいえ、アマ最高峰の社会人野球が、ずいぶん世の中に対して遠慮してやっているような気がする。野球に限らず、いわゆる「企業スポーツ」の衰退が顕著になって久しい。都市対抗に出場したチームにさえ、休廃部の憂き目にあったところもある。景気低迷のため、運動部を廃止する企業が増えてきた。

ローソン、試合前。

 企業だから、部門を維持できなければ、なくすのは仕方がない。スポーツは本来、企業や学校でなければできないというものではないと思う。ではクラブを運営する主体が企業でなくなったとして、それに変わるものが何か?という事を考えると、いつも行き詰まってしまうのである。では何だろう。「地域」か?確かに地域密着は理想だが、「地域」そのものは何らクラブを運営できるだけの格を持った主体ではない。では自治体や、地元の企業や市民の出資による合弁会社だったとして、恒久的な存在になり得るだろうか。
 音楽や映画やコミックなど、アートとかカルチャーと言われる分野では、どんなに景気が悪くても質の優れた作品は売れる。スポーツも本来それらと同列で、どちらかと言うと景気よりもチームの成績(つまり作品の質)に左右されるべきなのだが、僕の認識では、日本人は欧米人ほどスポーツ好きではない。スポーツのイベントは常に日本のどこかでやっているが、一般には存在すら知られていないものの方が多いし、スポーツ関連の雑誌や書籍は全体から見ると少なく、特に競技そのものに言及したものや記録集などの類は「人気」の割にあまり売れない。というか需要がない。「地域密着」を求める声が、景気に左右されない、普遍的な存在を求めるファンの純粋な声であればいいが、それすらも一時のブームでないとは言い切れない。

JR東日本、試合前。

 野球の場合、状況が固定されたまま頻繁に逆転のチャンスを楽しめるというのがひとつの魅力で、2-0とローソンのリードで早くも三回裏、一死一、三塁とJR東日本が同点のチャンス。そこで吉川が今日冴えているスライダーで須納瀬を三振に。ストレートの三振もいいが、変化球での三振にもしびれる。しかし新井山に左前タイムリーを許し1点。静かな試合ではあるが、全国大会を賭けたトーナメントだ。負けられないという緊張感がある。そんな場面で良島をアウトローに逃げる変化球で三振。抑えては打たれ、打たれては抑え、いいゲームになりそうだ。
 投げて、打って、守る。どの球場のどの試合でも、昔から無数に繰り返されてきた事だ。しかも一つ一つの動作は極めて単調。その動作だけをずっと見ていたら誰でも飽きるだろう。しかし我々はその動静に視線が釘付けになる。なぜか?
 それは「誰も結末を知らないから」だ。スポーツの面白さとはこの一点に尽きると言っても良い。個々の技能という点では、他のジャンルにもっと凄い人達がいる。しかし、陳腐化した言い方ではあるが、アスリートだけが「筋書きのないドラマ」を演じる事ができる。人の一生にも筋書きがない。だから、日常を戦っている我々大衆が、自己を投影しながら観る事ができるのである。娯楽ではあるが、スポーツには実はそれ以上のものがある。もちろん、今日の試合にも。

着替える選手。

 1点をリードしているローソンは、二死で追加点のチャンスにクロスプレーで本塁憤死。「もう点はやれない」と思った時、「もう点はやれない」というプレーと出会う。「自己を投影」できた時というのは、例えばこんな時だ。
 3-2で七回裏のJR東日本。二死で八長のフライを落とすライト古川。これが続く小野田の逆転2ランにつながる。一つのエラーで流れが変わる怖さ。ある人は、そんなシーンに身につまされる。「それ以上のもの」を感じるのは、例えばこんな時だ。
 そんな個人のミスもあったが、全体には引き締まった、誰も責めたくはない試合だ。もうひと波乱あればもっと面白い。そう思っていたら九回表、代わった萩原からローソン、一死満塁で東の右ライナー。これで4-4の同点。一打逆転のチャンスにさっき痛恨のエラーをした古川。ここで汚名を晴らしたい。少なくとも、先のエラーで身につまされた人はそう思う。
 ちょっと荒れ球、的を絞れなさそうな古川。スライダーが外れ1-3。高目のストレートをファール、2-3。内角のストレートが高いネットを越えるファール。しかしタイミングが合ってきた分、打ち急いだか、高目のボール球を遊フライ、残念。九回裏は代わった佐伯が一球ごとに「オラ!」と気合で抑える。延長に入り、試合がリセットされたような、最初の緊張感が戻ってくる。

引き締まった試合。

 プロの二軍と戦って、しばし勝つほどの社会人。いつも観る度に「セミプロ化」という言葉がふと浮かぶ。実質、セミプロのような選手も確かにいる。しかし「セミプロみたい」であるのと、本当にセミプロであるのとは全然違う。また、ファンが思っているよりも職場の仕事を大事にしている選手は結構いる。だけど、もし本当に、例えばアメリカの独立リーグに相当するものがあったとしたら...そんな事は多くの選手が、考えた事はあるのではないだろうか。
 一歩も譲れぬ延長戦。バントが増え、野球が緻密になってくる。決着が着く時は満塁でゴロとか、クロスプレーとか、最後まで「もがく野球」を予感させる。しかし、面白い試合ほど、最後まで良い意味で期待を裏切るもの。そんな面白い試合を面白がる人がもっと増えたら、文字通りスポーツを「ファンが支える」ようになるのだろう。そうなれば「スポーツで生きていく」事のビジョンも描きやすくなるのだと思う。
「期待」はスカッと裏切られた。試合を決めたのは途中出場の指名打者・池原のサヨナラホームラン。ちょうど佐伯の力が落ちてきた?と思われた時だった。(2001.8)

[追記]
 ローソンに野球部があった事に今のファンは驚くのではないだろうか。それだけではなく、結構有名な企業のチームがたくさんあった。パッと思いつくだけでサンワード貿易、JT、東芝府中、熊谷組、プリンスホテル、いすゞ自動車、河合楽器…。
 企業スポーツの衰退が言われて久しいが、エイジェックのような知名度がイマイチな企業のチームがむしろ増加傾向なのは意外に思う。もうアマチュア野球はこうした企業にまかせ、有名企業は事業として球団を持ち、NPBを志すようになれば良いと思う。

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