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欧州で野球が流行らない理由

 については諸説あるが、「日本とアメリカに勝てない競技に欧州は力を入れないだろう」というのが私の意見だった。

 それが1983年という大昔に出版された本で語られており、我が意を得たりという感じがしたので紹介したい。

 英国人が好むクリケットは、どう考えても野球ほど面白いゲームではない。といって、クリケットを棄てて、全面的に野球に鞍替えするほど、英国人はフランクで寛容ではないのである。貴族的なクリケット競技を、見事に大衆化してしまったような野球を受け入れられるのは、彼らにとって矜持の問題になって来る。
 フランス人にとっても同様で、ジャズは悪くないが、野球とアメリカン・フットボールは、という不思議な好き嫌いが見られるようだ。
 どちらも、その底には、野球を始めたところで、所詮アメリカ人の下風に立つしかないという劣等感と、妬ましさが働いているに違いなくて、歯を食いしばって無視するという以外に、方法がないらしい。それは、アメリカ野球という偉大な文化の存在を価値づける無言の証拠にほかならないと私には思える。

『12人の指名打者』から神吉拓郎による解説

 クリケットが野球のルーツかのような表現が気にはなるが、この頃すでに本質を言い尽くしていた人がいたのに驚く。文化としてあまりに偉大である、という背景。それもわからずに「世界でマイナー」としか言えない、日本の野球を取り巻くメディア、ファン...。

 こうした無数の創作の存在は野球が「偉大な文化」である事を裏付けるに十分であり、今ではたぶん入手困難な本書も「流行ってないからマイナーだ」という野球ファンのシンプルな脳みそには良く効く筈だ。

 特に最後のエピソード『閃くスパイク』が素晴らしい。ある田舎町の野球チームと、元プロの集まりだがすでに引退した年配者のチームが試合をする。田舎町の若いチームは相手を年寄りと思って甘く見るが苦戦する。主人公で19才、ショートを守る「ぼく」は、攻守交代のたび、相手の二塁手から的確なアドバイスを受ける。しかし後に彼が「ブラックソックス事件」に関わった一人である事が判明。球場全体が彼を敵視する中、「ぼく」は彼に対するリスペクトを止めない...。

 12編に共通しているのは、厳しさや皮肉の効いたユーモア、その他書き手の個性がそれぞれ違いながら根底に「優しさ」が根付いている事だと思う。本書のタイトル「12人」は12編の意味であり、同タイトルのエピソードがあるわけではない。


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