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野球紀行/野球王国松山 ~坊っちゃんスタジアム~

 四国に3万人収容のスタジアムができるという事を知った時は、他所事ながら嬉しいと思い、期待した。そして完成し、「坊っちゃんスタジアム」という愛称が決定した時は若干拍子抜けした。いくら松山が『坊っちゃん』ゆかりの地だからと言って、戦う場=スタジアムの愛称にまでしなくても良いではないか。大体『坊っちゃん』の作中で坊っちゃんは、松山の事をコキおろしてばかりいた筈だ。それでも松山市が「坊っちゃん」一辺倒なのは、名作ゆえの説得力か、漱石の松山を見る目の暖かさか。
 僕がはじめて坊っちゃんスタジアムを訪れる頃には、もうそのネーミングには慣れていたのだが、いざ行ってみるとスタジアム自体には正岡子規の功績を称える記念碑や資料ばかりで、肝心の漱石や坊っちゃん関連は何もない。坊っちゃんスタジアムの名前が許せるようになったのに、今度はそれが納得できない(子規と漱石は親友だったというつながりはある)。
 しかし野球界への貢献度という点では断然、子規である。最寄の市坪駅には「野球(の・ぼーる)駅」(子規の幼名が「のぼる」)という別名もある。何しろ子規が松山に野球を伝えたと言われる。その縁か、愛媛というか四国全体は「野球王国」と言われ、野球が盛んで、レベルが高い。
 その名に違わず、野球を大事に扱ってくれている事が、遠くから来た一野球好きには何となく嬉しい。僕にとってもひとつの故郷のような。球場の中から聞こえてくる歓声も、故郷の愛唱歌のような。

市坪駅。別名「野球(の・ぼーる)駅」。

 一回の攻防が終わると、両校の校歌が流れる。こういう田舎で聴く校歌というのは、なぜかノスタルジックだ。どこの学校かというと、地元愛媛の今治西と、徳島の徳島商。ノスタルジックというには、かなり凄い組み合わせだが(試合は春季四国大会)。全国区の強豪も、地元では普通の学校なのだな、と。甲子園の大観衆の前で活躍する彼らも、これが原点なのだな、と。松山にこの球場がオーバースペックなのか、王国きっての好カードにかかわらず、スタンドは閑散としている。それがかえって「原点」を強く感じさせる。
 試合は淡々と、しかし王国の威厳を保ちつつ展開する。高目をよくストライクにとられる。今治の四番秋月、高目を強引にレフト前。五番門田のゴロで秋月二塁へ。高校野球ではセオリーの、早い回でのバントがない。六番曽我遊ゴロ。七番越智2球目を左ライナー。何か淡白な、高校野球らしくないというか。これも王国の貫禄か。それも含めて原点か。
 と思いきやその裏、徳島商の八番広永がバント。あっさり現実というか日常に引き戻される。そう言えば何気に帽子を取る今治西ナイン、全員坊主である。今では高野連として坊主を強制してはいないので、あまり完璧な坊主は少なくなったが、自主的に坊主に徹しているチームはある。そういうチームに限り責任者が開き直ったように「うちは坊主ですよ」と豪語していたりする。豪語するという事はそれに対しポリシーを持っているという事で、都立高が普通の長髪で登場したりするのを「邪道」などと思っているのかもしれない。邪道の対極が王道である。そんな所に王国の自覚があったりするのだろうか。

スタジアムの威容。それでも名前は「坊っちゃん」。

 王道と言えば、高校野球の投手には、あまり「技巧派」であって欲しくない。スピードやキレで勝負できるのが理想である。言い方を変えれば、高校生のうちから変化球に頼る癖を付けて欲しくないのである。その意味では今治西の豊嶋も徳島商の平岡も、球威で抑えているという感じで、王国の高校野球を観ているのだという感じがする。ただし豊嶋は四球が多いか。しかし僕は四球の多い投手は好みではないが、高校野球に限っては本格派の素質を感じさせてくれるなら許せてしまうのである。
 唐突に、今治西のセカンドが大西から渡部に交代。さっき三振したからか。それでもサイン無死でもしたのだろうか。だとすると、王国っぽい厳格さだ(考えてみれば王国とは単に王が統治しているという意味なのだが)。その渡部がいきなりゴロをトンネルする。監督にしてみれば気まずいところであろう。チラリと人間味が(?)...。
 そんなエラーもあったが、序盤は概ね引き締まった展開で0-0。テンポも速い。豊嶋と平岡はどちらが先に捕まるか。ヒットは今治西が3、徳島商が0。平岡の方が打たれている。しかし豊嶋はコントロールが悪そうだ。僕の持論で行くと、捕まるのは球数と四球が多い投手と、エラーが多いバックである。

今治西応援団。左上「一六タルト」に地方の趣。

 予想通りというわけではないが、均衡を破ったのは四回裏の徳島商。五番平岡が自らチーム初ヒット。六番鶴羽のバントの後七番貝塚レフト前。すかさず貝塚二盗。守りの甘い相手にいよいよ牙を剥いてきたという感じ。さっきバントを決めた広永がスクイズ、1点。高校野球ではいくらでもある、悪く言えばセオリー通りの得点パターンだ。しかしそれを生で観ると何とも言えない凄みがある。そのセオリー通りの事をやるために彼らは猛練習をしている。その凄みである。
 小技で1点を失い、動揺しているであろうところで九番阿部は強振。右中間を抜き2点目。パターンを変えての、実に効果的な2点である。僕は心の中で得意げに「やっぱりな。このまま徳島が勢いに乗りそうだ」と思っていた。ヒット数もあっさり徳島商が抜いている。
  今治西にはチアリーダーがいるが、踊るわけではなく、手を動かしているだけで恥ずかしそうな様子。徳島商の部員は拍手だけ。そう言えば、野球の応援でよく歌われる定番ソングが両校ともまったく出てこない。その良し悪しはともかく、遠くに来たのだという充実感がある...などと、もう勝負は着いたかのように試合の外に注意が向いたかと思うと、徳島商はダメ押しに失敗。二番鶴羽が右越え長打も、三塁を欲張りアウト。豊嶋が持ち直してきたような。

スコアボード。大掛かりなオーロラビジョンがないのがプロ常打ち球場との違い。

 一死から秋月がヒット。それはいいとして続く五番門田のゴロにファースト阿部もたつき。記録はエラー。曽我一、二塁間を渋く抜き1点。ファーストにしてみればエラーしたばかりのところを抜かれると辛い。七番越智倒れ豊嶋に代打高橋。なかなか絶妙の代え方だと思う。その高橋の三ゴロを悪送球、同点。徳島商も乱れてきた。この試合、わからない。
 豊嶋の後を受けた山田はストライク先行の後ボールが続くと言うパターンで危なかったが開き直りかストレートが思い切りよく2三振と抑える。やっぱり良い継投だ。
 かたや平岡は2点は取られているが、抑えている。八回表は難なく三者凡退。平岡に分がある?いや山田次第だ。その山田は二死から出塁の平岡に二盗、三盗を決められピンチを招くが何とか切り抜ける。八回終了。ここまでまったく行方がわからない勝負だ。いよいよ九回の攻防。
 表、今治西。四番秋月右越え三塁打。はじめてスタンドが色めき立つ。門田、フライで良いところだが外よりをヒット狙い。抜けそうなところをセカンド末澤ナイスキャッチ。曽我0-3から高目明らかなボール、歩かせる。越智番バントの構え。いきなりパスボール?と思いきやファール。ホッとする徳島商。これまでの展開があればこその、緊張の連続である。徳島商にしてみればまずスクイズを警戒。それを前提に考えるところ。しかし次の球があっさりとライト前に運ばれる。今治西、勝ち越し。平岡、ここを抑えたら凄い投手なのだが、切れてしまったか、そのまま2点追加。

スタジアム内にある野球歴史資料館。閉まっていたのが残念。

 裏、徳島商。九番阿部にヒットが出た以外は山田が抑える。試合終了。5-2で今治西。
 平岡は良い投手で、山田はちと不安定。僕のいつもの感覚ならば徳島商に分があった。しかし考えてみれば野球は、予測通りに行く部分と、そうでない部分があるから面白いのである。公営競技の予想をしているわけではないのだ。久しぶりに野球の面白さの原点に触れたような。「王国」を尋ねた意味はそんなところにあったのかもしれない。
 狭い市坪駅のホームは、少し人が集まっただけで一杯になってしまう。客はそれぞれ、試合の内容や、明日の日程の事を話している。必然的に野球好きが集まる駅になっている。この球場をプロ球団が本拠地とするようになったら、この駅では観客を捌ききれないだろう。坊っちゃんスタジアムに球団がやってきて、大きくなった市坪駅に、もっと多くの「王国民」が集まり、文字通り「野球駅」になる...。
 そんな事を考えていたら一両編成の可愛らしい気動車がやってきて、しばしの空想から覚めた。(2003.5)

[追記]
 徳島商の平岡政樹はその年のドラフト4巡目で巨人に入団。一年目から一軍と期待されたが…肩を痛めなかったら巨人のエースになっていたかもしれない。引退後大学受験してちゃんと卒業して、球団でマネージャー(GMではない)として立派に仕事をしている。「文武両道」とは決して派手なものではなく、具体的にはこういう事だと思う。

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