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野球紀行/小江戸と高校野球 ~初雁公園野球場~

 川越街道は自転車には居心地が悪い。車道は余裕がないし、歩道はオフロードのようにゴテゴテしていて疲れる。道を走るのに「居心地」というのは変だが、ずっとその道を走り続ける以上はそう言って良いと思う。
 それでも川越街道というだけに、目的地である川越と直接つながっているのでやはり走らざるを得ない。炎天下バテつつもひたすらペダルを回す。ようやく川越市内に入り、JRと東武の線路を越え、道が旧道のように狭くなると、さっきまで耐久レースみたいだったのが、一転、楽しいサイクリングに変わった。多重人格者のような豹変ぶりである。昔ながらの家屋が軒を連ねるようになり、車が減った。「小江戸」に入ったのだ。
 自転車で走りやすいというのは、暮らしやすい、居心地の良い街のひとつの条件だと思う。ここだけ見ていると、川越は暮らしやすい街だ。しかし僕はたった今まで「耐久レース」をやっていたのだ。小江戸というエリアとその外の間には、何か見えない壁がある。小江戸は意図的に守られた空間である。

狭山清陵、試合前のシートノック。

 第84回高校野球選手権埼玉大会。初雁球場は、その小江戸の中にある。考えてみれば高校野球にも、どこか時代とズレた、意図的に守られた世界を思わせる一面がある。整列する選手。高野連としては大分前から坊主頭を強制はしていない筈だが、自主的に坊主またはそれに近い頭にしている学校が多い。まずはその辺が象徴的である。
 それがこの街ではなんの違和感もない。だからここでは高校野球を、ただの試合ではなく、小江戸というテーマパークのイベントとして楽しむ事ができる。もっとも、高校野球の高校野球らしい時代は「昭和」であり、江戸時代とは全然違うが、タイムスリップができるという意味では、この街と高校野球は絶妙の取り合わせのように思える。
 一回戦を勝った飯能南と、狭山清陵との二回戦。パンフをみるとだいたいが地元の選手。どちらも甲子園の常連校というわけではないので、それが自然ではある。しかも初雁球場は小さいので、いかにも内輪のイベントというか、他所の町内のイベントを見物しているような感覚になりそうだが、小江戸の景観が不思議とそこに居合わせた人々を「同じ江戸の町人」として包みこんでいるような気もする。

日本の夏の図。頭上の松の木が良い屋根に。

 いわゆるドラフトマニアにとっても興味の範囲外であろう試合。しかしそんな試合も、一応甲子園とつながっているのかと思うと少し不思議な気分だ。蝉の声が心地よい。うだるような暑さをマゾヒスティックに耐えながら高校野球を観るのが、日本の夏だ。
 いきなりショートがエラーをするかと思えば、すかさず牽制でアウトに。のっけから下手さと上手さを見せる飯能南。狭山清陵の奥富は初回から一番と二番をいずれも2-1からスローカーブで三振。やるな!と思った。印象の強いプロローグで、すぐに僕はこの試合が好きになった。試合を好きというのは変な日本語だが、試合は生き物である。それも寿命わずか2~3時間という短命な。
 二死二、三塁で飯能南の七番小林がヒット性の中ライナー。これをセンター山本好捕。失点のピンチで好プレーが出る。良い試合に育ちそうではないか。しかし三回裏には二番本村の2点タイムリーで飯能南が先制。水を撒く応援団。そう、点が入ると味方の応援席に水を撒くのが夏の高校野球である。この慣習がいつはじまったか定かではないが、「嬉しいから濡れても何ともない」という喜びの表現であろう。次の得点に備えスタンド上のトイレに水を汲みにくる応援団。しばらく興奮が冷めやらずテンションが高いままなので、その場に居合わせた僕は落ち着いて用を足せない。

ネット裏の一部に特別席のようなものがある。意味があるのだろうか。

 狭山清陵の反撃は四回表。二死一、二塁から六番小山内が中前タイムリー。やはり水を撒く応援団。こちらもトイレへ補給に行くのだろうか。
 力は互角かな、と思わせた。狭山清陵は五回にも反撃のチャンスを掴む。八番奥富が四球。九番小谷野がバントの構え。当たり前のようにバントをする時というのは、相手が互角かそれ以上だと認識した時ではないだろうか。飯能南の左腕大串は、ファイターズの金村のようにキチンと手順をふんだ感じの几帳面なフォーム。小谷野は意図したところにあっさりバントを決める。一瞬セオリー通りの野球になったように思えた。セオリー通りの野球とは、バントをする野球ではなく、あっさりバントをさせてしまう野球だと僕は思っている。一番山本倒れ、二死から尾上なおバントの構え。こういうのはセオリーっぽくなくて好きだ。何か意図がありそうで。
 しかし大串はまともに勝負するのを避けたのか、続く加藤共々歩かせ満塁に。集まる内野。本当に互角の勝負だ。
 バッターは四番キャッチャー板垣。高目ストレート1-0。外に外して1-1。セオリー通りという気もするがインハイを突き、これを板垣打ち上げ大串の勝ち、と思いきや捕手西島捕れず。しかしこれでインコースに弱いと見たか、気を取り直し今度は外角高めに外した後、インローを打たせ遊ゴロ。ファールを捕れなかったのをナイスリードで取り返した西島。逆転のピンチを凌いだ飯能南。

初雁球場。一塁側から見ると掘り下げ式の球場なのだが、、、

 それ以降はやたら冴える両投手。「流れ」がどちらに傾くのか、まったく予測がつかない。もっとも僕がこの両チームに対して何の予備知識も持っていないという事もあるが。
 狭山清陵は五番杉の代打野口が外野フライ。これを外野が一斉に見失い、野口は二塁へ。六番小山内のバントも送球できず一、三塁に。守備が乱れた。七番栄のゲッツー間に1点。ついに同点、大喜びの応援団。トイレで補給した水は無駄ではなかった。最初は手拍子のタイミングもバラバラだった彼らも、だんだんと合ってきた。
 接戦では守りが崩れた方が負け、というのが野球の格言だ。しかも八回。ならば飯能南は負けるのだろうか。
 いや二死から大串が二塁打、四番山本タイムリーで3-2と勝ち越し。無死無走者で狭山清陵も一瞬気を抜いたか。とにかく最後までわからない試合になった。気合を入れなおす狭山清陵。ここがこの試合のポイントだったのかもしれない。僕の持論では「守備が乱れた」のと「気を抜いた」のとでは、前者の方が罪が重い。

、、、三塁側だけこの通り、丘を切り出したような地形。

 一番山本、投手の足元を抜く。二番尾上の時捕手西島が後逸。山本は二塁へ。守備が乱れて大量得点になる時の典型的な兆候ではないか。尾上は高目をバント。とにかく転がそうというバントだ。山本は三塁へ。三番加藤をゴロに打ち取るも、空タッチで走者アウトにできず。さっきはチャンスで打てなかった板垣の初球パスボールで同点。これで大串キレたか、中越えタイムリー、ついに逆転。
 予感的中である。大串は球がすっかり高目に集まっていた。そこからはエラーではなくヒットによる加点で一挙5点。気を取り直せと言っても駄目な状態だったかもしれない。守備が乱れ、投手もキレる。負ける時のよくあるパターンではあるが、何度見ても辛いものがある。好きになったはずの試合は、晩年(最後)を飾れなかった。また、いつもの「野球の怖さ」を見せられて終わった。怖さと面白さは表裏一体だ。
 その裏は狭山清陵の「あと一人」コールの中、最後の打者は代打。2-0からカーブを空振り。
 7-3というスコアを見た限りでは、力の差があるように見える。しかし実際はもっと面白い、熱気の中で育てられた試合だ。失礼ながらどちらも甲子園に行けるというチームではない。しかし最近、そんなチームを見ているうちに、「甲子園」とは別のところで、独特の熱気に溢れる世界が造られているのだと思う事が多い。小江戸が意図的に守れない唯一のものが、庶民の熱気というものではないだろうか。高校野球は、小江戸を江戸らしく生き返らせる事ができる一つの要素だと思える。
 これを書く少し前、初雁球場が閉鎖になり、新しい市営球場が造られるという噂をキャッチした。場所はわからないが、願わくば、小江戸と高校野球はあまり引き離さないで欲しい。そして、できれば「小江戸スタジアム」などと名付けられたら良いと思う。(2002.7)

[追記]
 その後初雁球場をどうするかという話は長らく進展がなく、ようやく2017年に基本構想を策定すると発表され、2019年に明らかになった方針によると、初雁公園は「歴史公園」として再整備され、野球場はやっぱり移転するらしい。
 当然今よりよほど立派な球場になるのだろうけど、例によって陸の孤島に追いやられそうな気がする。

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