最期の日

日本の社会だけに限らず、【死】について表現することはタブーとされやすい。終わりがない命は無いけれど、そこを深く知ることと【恐れ】が紐づいているように思える。

物事のゴールを決めるのに、なぜ人の命のゴールを考えることをタブーと感じるのだろう。ゴールとは、まるで良いことだけが結果として残せるそんな状況のことに限定させているのだろうか。

私には【死】がとても神秘的で、途轍もなく素晴らしいことのように思えてならない。

この地球を卒業していくこと
卒業したらどうなるのだろう
肉体は、焼かれて細分化され、いつの日か地球の一部になるけれど、
心や精神はどこへ行くのか。

どんなことを考えると、あまりにも神秘的で、凛として、美しい。

自身の最期の日のイメージは、まるで映画のワンシーンを観るようにフルカラーの鮮明な映像のように浮かぶ。

愛しい子どもと大切な友人、この人生で知り合った心を許せるそして尊敬できる、どんな状況でも幸せでいて欲しいと互いに思える私の人生の登場人物になってくれた方々が、美しい自然の中で集いゆったりとした時間の中で、楽しそうに食事をしながら、命を終えた私のことを笑顔で話している。
夕日が空を染め暖かい光と変わる中で、ここに集った方々が新しい繋がりを得て、幸せに残りの命を目いっぱい楽しもうと誓い合っているそんな夕方のワンシーンが常に脳裏にある。毎日。

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