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回答用紙に「断層」を書かなかった日

2月1日。
中学受験をしたこの日のことは、
毎年なんとなく心のどこかで引っかかっている。


十数年前の、受験当日。

寒空の下、ぞろぞろと緊張した面持ちの子供が学校に入っていく。
今考えるとその光景はなんとも異様な雰囲気を放っている。


早朝だというのに、受験校の前で塾長が応援に駆けつけてくれていた。
(K井先生といい、この恩師のことを私は絶対忘れてはいけないのだが、それはまた別の機会に書かせていただくとする)

頑張れよ!と喝入れをしてもらって、
私も番号をつけられた子供達の中に混ざっていった。


当たり前だが、周囲ははじめましての子達ばかり。
子供特有の無遠慮さでまじまじと知らない顔を見回していたとき、


この子達に負けたくないと、


なぜか急にそう思った。






それから、



落ちたくない。





漠然とそう思ったことを覚えている。




受験というものに対して真面目な子供ではなかったし、ましてや勉強も真剣にやっていなかった。

成績は悪いままで、
合格できるかどうかも危ういラインにずっといた。


自分が知らない子達に混ざって、
受験番号順に並べられていくとき、
初めて自覚した。






私は今から、
この子達に勝たなくてはいけないのだ。




前の席に座った知らない子の後頭部を見て、
そんなことを思っていた。



四教科受験だったため、
国語、算数、理科、社会、と順番に受け、
最後に面接、の流れだった。




理科の問題。
一箇所空欄のままにしたところがあった。



受験において、「わからなくてもとりあえず書いとけ」は鉄則である。
が、その場の空気にやられて正常な判断がつかなかったのか何なのか、
自信がないところを空欄のままにしてしまった。





断層かな?

断層っぽいな


違うかな


断層か?

違いそう


違うかも


書かないでおこう




そうして空欄のままにした。





なんとなく心残りのまま提出して、
続けて社会の問題、
最後に面接を受けた。

ちなみに私の面接をしてくれたU野先生はその後の学校生活で色々とお世話になるのだが、
その時なぜか目の上にアザがあったため、私の中で「アザの先生」として定着することになる。





合否は当日の夜に貼り出されるため、
自分の目でそれを確認したかった私は、母に同行をお願いし夜まで学校近くのカフェかどこかで時間を潰そうとしていた。

母はネットでも合否出るから、
あと4時間もあるしそれで見ようよと言ったが、
私は聞かなかった。




学校を出るまでの間の廊下に、
さっき解いた問題の解答が張り出されていた。

後で答え合わせができるよう、ほかの受験者はメモしたり写真を撮ったりしていた。

答えを見るのが怖かったので通り過ぎようとしたが、
あのとき空欄にした理科の回答だけやけに気になってしまって、ちらっとだけ確認した。


断層かな
違うかな

などと思って書かなかった解答欄には、

綺麗な赤文字で「断層」と書かれていた。





それを見た瞬間、



あ、落ちた、



と思った。




言っておくが、断層が書けなかっただけである。
たぶんそれ以外にもたくさん間違いはあって、
きっとひどい回答用紙だったと思う。

でも、とにかく断層と書かなかった事にものすごい後悔をして、逃げるように校舎を後にした。



合否貼り出しまであと4時間弱。


母に付き添ってもらって、
学校付近のモスバーガーに入った。

そこで夜まで時間を潰すつもりでいた。

母が買ってくれたメロンソーダを飲みながら、


私は泣いた。




「みー(母)。


絶対落ちた。


落ちたわもう。



理科、

断層かなって思ったところあったんだけど、

違うかなと思って書かなかったのね、

さっき答え見たらね、

やっぱり断層だった。


書いとけばよかった。


落ちたかもしれない。


断層って書いとけばよかった。




絶対落ちた」




もう一度言っておくが、
断層が書けなかっただけである。
心配すべき箇所はほかにも多量にある。

苦手な算数はどうだったかとか、
今日がだめだったと思うなら次に備えなければとか。
考えるべきことはたくさんある。
のに、
ただもう、それどころではなく、
色々棚にあげて、
とにかく「断層」が書けなかったことが悔しく、悲しく、絶対絶対落ちたと思ったのだ。

モスバーガーで、それなりに人目を気にしながら泣いた。

中学受験のありがたみを理解できるほどできた子ではなかったので、
塾に通わせてもらっている身でありながらいつまでこんな勉強をせねばいけないんだと思っていたし、
やり過ごせばいいとも思っていた。

ただ、子供の自分なりに受験戦争という場に置かれていたこと、そのただならぬ空気の中にいたという子供ながらの自負もあって、やっぱり落ちたくないと思ったのだろう。

なんだかんだ、志望校での生活を想像しながら勉強(とも言えるかわけらないがテキストを解いた気になる行為)をしていたのだろう。



モスバーガーで、落ちたと泣きながらメロンソーダを啜り、あと4時間待つと言って聞かなかった私を、
母は連れて帰ってくれた。


ネットでも合格発表見れるよ。



それで見よう。

大丈夫だから。




私はようやく頷いて、
黙ってついて帰った。




夜。

家のパソコン部屋を締め切って、
1人で合否判定を確認しようとした。

のに、どこのページにあるかわからずもたついていたら、
痺れを切らした母親が部屋に入ってきた。



「どこ!?あった!?」


合否発表ページを見つけた母が、マウスを奪ってきた。

私は半ギレであっちに言ってろと喚いて、
右斜め後ろに下がらせた。





画面に向き合い、


丁寧に、


並べられた番号を、




目で追っていこうと、




した、



とき









「あっっっっ!!!!!!!!!!!!!!」







母は視力が1.5もあるものだから、
画面から少し離れていてもすぐ見つけたのだろう。










あった。






断層って書かなかったのに。






あった。






あってくれた。










あとはもう、塾長に電話したり、
後日に控えていた受験はしないと伝えたり、
たしか祖母がピザだか寿司だかを取ってくれた気がする。







その夜はどうしても寝付けず、


母と同じ寝室で、並んで深夜2時頃まで、


カーテンから漏れる光をずっと見ていた。








小学校6年生の、


2月1日。






断層って書かなかったけど、
なんとか合格できた。










社会人になった今、2月1日はなんてことないただの1日になってしまったけど、

たぶん今後一生、

心の中に何かが残っている日であることは変わらないと思う。




子供なりに、それなりに緊張したり後悔したり、
悲しかったり嬉しかったり。



そういう色々な思いを抱えて迎え、


そして終えた日であることを、


どうか忘れないでいたい。






この時合格できた学校で、
私は10年間を過ごすことになる。
その時の思い出は、また少しずつ書いていこうと思う。





どうか、すべての受験生に幸多からんことを。


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