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【創作小説】アイスを食べたいと私を押し倒したあの子は、まだ家系ラーメンスープを飲み干したことがない

茹だるような夏の日。

その日は午前に補講があって、帰りしな、昼ご飯として私はあの子と家系ラーメンを食べた。濃くてどろっとしたスープを私は全部飲み干したけど、あの子は飲み干すどころか麺も半分以上残していた。

そのままうちに来ると言うもんだからあげてやったら、玄関に入るなり私は押し倒された。

「アイス食べたい」
「食べればいいじゃん」
「……一緒に食べようってのに」

あの子はそう言うと私の唇に自分のそれを押し当ててきた。舌先で口内をまさぐられ、歯列をなぞられる。あの子の吐息が頬にかかるたび、背中から腰にかけてゾクゾクとした感覚が駆け上がってくるのを感じた。
あの子の手が私の胸に触れる。

「やめて」
「なんでよ」
あの子は不満げな声を上げる。しかしその手は止まらない。

私達は恋人ではない。ただの友人だ。それもかなり希薄な。
なのになぜこんなことをするのか、私はそれが不思議でしょうがなかった。

あの子が私のブラウスに手をかける。ボタンを外す指先が微かに震えているように見えた。それを目にした瞬間、私は思わずあの子の手首を掴んだ。

「やめようって。なんで毎回こんなことしてんの」

あの子は目を伏せて言った。

あのね、こういうことするのはあんたが初めてじゃないんだよ。あたしだって誰彼構わずやってるわけじゃなくてさ、相手を選んでやってんだよね。それにさ、こういうことは嫌いな人とするもんじゃないし、好きな人とするもんだと思うんだけど違う?……でもまあ、いいか。別に好きって言って欲しいとかそういうんじゃないから。ただ、ちょっと興味があっただけ。それだけだから。

あの子は早口にまくし立てるようにそう言い残すと、私の上から身体を退けて、小さくごめん、と呟いた。

その一言を聞いた時、私はなぜか泣きそうになった。
それは同情だったのかもしれないし、罪悪感でもあったのかもしれない。あるいはあの子に対する憐れみのようなものだったのだろうか。とにかく、その時の感情を表す言葉が見つからないまま、私は口走った。

「あんたが、ラーメンスープ全部飲み干せたらいいよ」

え、とあの子が顔をあげた。

「あんたラーメンのスープ全部飲み干せたら、続きしてもいいよ」

我ながら馬鹿げた提案だと思った。
なぜこんな事を言ったのだろう。
なんとなくさっきあの子がラーメンを半分以上残したことが引っかかっていたけど、この関係を繋ぎ止めたい意図はまったく持ってなかったのに。

それでもあの時はどうしてもそう言わずにはいられなかったのだ。

そんな風に言われたのは初めてなのか、それとも私のおかしな発言に驚いたのかはわからないけれど、あの子はしばらくぽかんとしていた。
やがて表情を引き締めると、わかった、と言って力強くうなずいて見せた。

それからというもの、あの子は毎日のようにうちに来るようになった。
決まってカップラーメンを二人分、ぶら下げて。

でも、食の細いあの子はいつもスープを飲み干せなかった。私が食べ終わる頃にようやく半分食べる程度だった。

少しずつあの子を家に入れる事を避け始め、次第に疎遠になっていった。

あの子と二人きりになる時間が、恐ろしくなり始めた。

私達の奇妙な関係は夏休みが明けても続いた。あの子は相変わらずカップラーメンを携えてやってきた。

しかし、ある日を境にぱたりと姿を見せなくなった。

あれ以来、あの子に会っていない。

きっともう二度と会うことはないのだろうと思う。









「お待たせしましたー!」

店員さんの声とともに目の前にどんぶりが置かれる。食欲を刺激する香りが鼻腔をくすぐり、胃袋がきゅっと収縮するのがわかった。

社会人になって数年、相変わらず私は隙あらばラーメンを啜っている。

割り箸を手に取り、麺を持ち上げる。ふわぁっと湯気が立ち上り、たちまち視界を覆う。

一口すすると、濃厚な豚骨醤油味のスープが口いっぱいに広がる。熱くて舌先がビリビリするけど美味しい。今度はチャーシューを一切れ持ち上げる。厚切りされた肉は見るからにもっちりしていて、噛むとジュワッと旨味たっぷりの脂が出てくる。うん、これもなかなか。次はメンマを一切れつまんで口に放り込む。コリっという食感の後、程よい塩加減でほんのりと甘い味わいが広がる。

夢中で食べ進め、スープを全部啜った。
さすがは人気店と言うべきか、文句なしに美味しかった。

大変満足して、
ご馳走さまでしたと手を合わせ、
席を立った時。





「アイス食べたい」





目の前の店員にゆっくり向き直る。








真っ黒な目がこちらを見ている。









あの夏と同じ目をしていた。











終 

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