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解読 ボウヤ書店の使命 ㉒-2

 近頃は雀たちが活発で、昨日(2023年5月24日)も螺旋階段を降りようとすると傍の柵に止まって高らかにチュンと鳴き始めた。一羽の雀がどうしてあんなに響き渡る声を出せるのか。そしてあの真剣な、切実な鳴き方が出来るのか。螺旋階段なので、ひとつくるりと回って降り、見上げるとまだその柵に止まってチュンと鳴いている。もうひとつ回って降りて見上げてもチュン。ずっと鳴いていた。
 降り切ってから地面を見ると、昨夜の風で杉の樹の葉がそこら中に落ちて、ウリさんの動画に出てきた缶ボックスの図案に似ていると思った。
 ――ショーが始まるな。
 私は察知して微笑んだ。
 森を抜け、北の庭園に行くと真っ先に小高くなった丘に登った。松の木の下には日光浴をしている人が居たので迂回し、雨で生じた大きな水溜りで餌をついばんでいる鴨たちの横を通り抜け、子育て中なのでほとんど鳴かないヒヨドリと「ピ」とだけ挨拶をし、ムクドリ、鳩、カラスと目で追いながら歩いた。できれば大通りに抜ける秘密の小道を使いたい。ところが、そこには男性が一人立っていて、隣の施設ではイベントがあるらしく音楽の音合わせらしきものが聞こえてきた。
 ――今日はあの道は使えないのか。
 諦めて正門から出るために遊具が置いてある広場を突っ切ろうとすると、ベンチに特徴的な人が座っていた。この特徴的な人はさきほどの秘密の小道の入り口に立っていた人と同じように私の方を伺っていて、それだけではなく、明らかにあか抜けていた。あか抜けたファッションをする素人と、明らかにあか抜けた普通の人風のファッションをする玄人が居て、その違いが何かとは説明できないが、特徴的な人としか言いようがない。
 ――ショーの主役かな。
 軽く日傘に隠れながらその前を通った。
 正門から出ようとすると、ピッピピピとピータの声がする。
 ――ああ、ピータがいるのか。
 杉林の方へ行き、樹上を探すとそこにピータが居た。カラスが一羽、バサバサっと来て、様子を見守っている。
 ピータとはヒーヨなどをいくつかやり取りし、いくつか花を撮影すると、またコッチコッチと鳴く。
 ――どれどれ?
 エウリディーチェと鳴く。見上げていると、私の横を何か黒い影がすっと横切った。カラスかなと思ったが、それほど気にせず、エウリディーチェと返し、ふと下を見ると
 ――ああ、また羽根だ!


 綺麗な抜いたばかりのヒヨドリの羽根。私はありがたく拾い、それ用のバッグに入れた。
 エウリディーチェとお礼に口笛を吹き、ピータも返してくれる。何度かやりとりして立ち去ろうとした時、カラスが私の横すれすれにブワッと飛んだ。近頃、雀もよく私の頭の上スレスレをシュワッチと飛ぶ。これは線を切断してくれているのだ。今日のショーはこれで終わり。

 基本的に、私のヒヨドリはこの時期は鳴かない。雛育ての時期には鳴かないのだ。完全に隠れ、互いに居ることがわかっても、合図のようにピとしか鳴かない。ゆえに、高らかにエウリディーチェを歌うピータは異世界から派遣されたものなのだが、それは最初からわかっている。首の傾げ方や振り向き方が仲間のヒヨドリとは全く違うし、私のヒヨドリの歌うエウリディーチェは「ウエリヂュワチエ」と低い声、ガラガラ声で鳴くだけなのだ。
 それにしても、どうして異世界から送られてきたピータが「エウリディーチェ」を歌うのだろう。私はあれを聴くと「絵を売りでいい知恵」とか「エリでいいッチェ」と聞こえる。文を書くのは止めて絵を売ればいいと言っているようにも思える。しかし、私の仲間の雀やヒヨドリはそうは言わない。ベランダの柵をコツコツと嘴で叩いて、早く文を書けと言う。ヒヨドリが雛育てで来れない時期は、雀がヒヨドリと同じように柵を嘴でコツコツと叩いて、文を書けと言う。
 ところで、上記で私は「私の仲間の」という表現をしたが、要するに、この辺りを守護しているカラスが「米田素子」を通じて話をしていると解釈してもらってもいい。「米田素子」自身は、あの異世界から送られてきた(あるいはホログラフィックな)ピータとそれ以外について、特に区別して仲間かどうかとは考えていない。ポケモンゴーみたいなものかなと思って楽しんでいる。でも、不自然なことをして、現実的に雛育てをする野生のヒヨドリの邪魔をしないようにしてほしいとは思う。

 さて、短編小説『心に咲く花』の解読に入ろう。すっかり忘れていたのだが、この花シリーズは最初の『スカシユリ』からの連作短編で、『スカシユリ』は主人公はハトコ、そしてこの『心に咲く花』の主人公はハトコの娘であるサクラとなっている。

 冒頭を読んでみよう。

《花が一輪、細い花瓶に生けてあるのが見えた。引き戸と柱の間、二十センチほど開いた隙間から表出する花びらの黄色が鮮やかで、サクラは思わず足を止めた。出勤前で忙しく、慌ただしく通り過ぎようとしたところだったが、立ち止まるほどに違和感を覚えたのだ。
(お母さん、珍しいわね、花を生けるなんて)
 母親のハトコが花を生けることが不思議に思えた。しかも、それはハトコ自身の部屋だった。部屋と言っても、階段の下にあるスペースを物置として使う代わりに、どうにか畳を入れて部屋らしくしただけの空間だ。窓もなく、天井と言えば階段の裏側だから傾斜している。屋根裏部屋のようだと言えなくもない。
 サクラは、一瞬、中に入ってその花の種類を確かめようかとさえ思ったが、狭い空間とはいえハトコの部屋であり断りもなく入るのは悪い気がしてやめたのだった。あまり時間もない。中に入ることはせず、少し覗いただけで通り過ぎ台所まで行った。》

 ここだけでも、サクラがハトコのことをなんとなく見下しているのがわかるのだが、これは特別なことでもないのではないか。
 現代では社会全体で「専業主婦」を差別して馬鹿にするように心理操作されているので、娘であっても母親を見下すことはよくある。もちろん、この心理操作が立派に少子化に一役買ってきただろうと思う。当たり前のことながら、大変な子育てや家事と賃金労働(ここでも男性の補佐的なものがほとんど)によって人生のほとんどの時間を拘束されることを望む女性がそれほど多いはずはない。ほとんどの場合、子供を産まない選択をして、決してみんなから見下されることのない賃金労働に励むだろう。それが人情というものではないか。

 続き。

《「おはよう」
 ハトコがサクラの方を見もしないままに言う。足音を聞いて、サクラが二階から降りてきたことに気づいたのだろう。タイミングよく炊飯器からご飯をよそっている。「食べるでしょう?」ようやく、ここで、素早く黒目だけを動かしサクラを見た。
「うん、少し」
 床に通勤鞄を置き、ダイニングテーブルの椅子を引き出して座り、ハトコをじっと見つめた。パジャマ姿のままで朝食の支度をしている。
「どうしたの?」
 ハトコは、サクラに見つめられたことで気まずく感じたのか苦笑いをすると、ご飯の入ったお茶碗をサクラの前に置き、置くとすぐに、今度はお味噌汁を椀に注ぎ始めている。
「いや、別に」
 サクラは見つめるのをやめて、テーブルの上に置いてある箸を取り、温かいご飯を一口食べた。ハトコが湯気の立つお味噌汁の椀を目の前に置くと、黙って箸を置き、今度は椀を両手で持ち口を近づけて、舌を火傷しないようにふうふうと息を吹きかけてから啜った。三つ葉の香りがする。椀を傾けながら上目使いにハトコの方を窺う。
「なによ」
 再び投げかけられた視線に気づいたらしく、ハトコもサクラを見た。
「今日のお味噌汁、三つ葉だね」
「朝はネギがいやだって言うから三つ葉にしたのよ。いけなかった?」
「ううん、ありがと。おいしい」
 サクラは椀をテーブルに置いた。持ち替えてご飯を口に運ぶ。ハトコはおいしいと言われて安心したのかほのかに口元を緩ませて微笑み、お茶を煎れようとして、棚から取り出した茶筒の蓋を開けて中を覗いた。
「あら、いけない。なくなりかけよ」
 ため息をついている。申し訳なさそうにサクラの方を見て
「最後の方はお茶が粉っぽくて、茶漉しから出ちゃうのよ。でも買い置きはなかったと思うわ。今日はこれでいいかしら?」と言った。
「別にいいよ」
 小皿に乗っている卵焼きを箸で半分に割りながら答え、ご飯の上に乗せてから口の中に放り込む。ハトコは
「そう、ごめんね」
 と言い、サクラ用の赤い縦縞模様の入った湯呑にお茶を注いだ。湯気が立ち濃いお茶の香りがする。はい、どうぞと、湯呑がテーブルに置かれたので飲んでみると、ハトコのごめんねと言った意味が分かった。底に沈んでいたお茶の粉が舞ったせいか、飲むと口の中にも入り込んで舌がざらざらとし、サクラは思わず顔をしかめた。
「やっぱり、粉っぽいのが口に入っちゃったでしょう。ごめんね、今日新しいのを用意しておく」
 ハトコはグラスにお水を入れ「はい、すすいで」と、サクラに手渡した。
「ありがとう」
 受取って素直にそれを飲み、舌のざらつきが消えてから、「いつもなら茶葉の最後は捨てちゃうの?」と聞いてみた。
「捨てないわよ。私が飲むのよ。それほど急いで出かけることもないし、沈んでいる茶葉を起こさないように、ゆっくり飲めば気にならないから」
 サクラは、ふうんといった風にうなずき、もう一口だけグラスの水を飲んで、残りのご飯とお味噌汁を食べ終えた。
「ごちそうさま」
 食べた後の食器を重ねてから立ち上がる。食器を流し台に運ぶハトコの後ろ姿に向かって「じゃ、行ってきます」と声を掛け、洗面所まで行き、歯を磨いたり口紅を塗ったりして身支度を仕上げると玄関の外に出た。外はよく晴れている。玄関の扉を閉めてから腕時計を見ると六時半。まだ急ぐほどの時刻ではない。ほっとして、肩に掛けたバッグをきちんと身に寄せるように持ち直し、姿勢を正して歩き始めた。》
 
 ハトコがやたらとサクラに気を使っているのがわかる。「専業主婦」の居るどの家でも同じような状態になるわけではないと思うが、さきほど書いたように、現代の社会全体で「専業主婦」を差別して馬鹿にする心理操作によって、「専業主婦」本人もハトコのように卑屈になっていることはよくあるだろう。
 実際には、たとえば「税収をアップするために故意に非効率的な運営をする職場を捏造して賃金労働させる場でする仕事」と、「家庭における子育てや家事の仕事」を比較すると、後者の方が人間の命にとって重要な場合もある。それなのに、一様に「専業主婦」をタダ働きさせた上に見下すという、二重の過ちをこのまま繰り返せば順調に少子化は進行するだろう。


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