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連載小説 星のクラフト コラム3

 私の名前は滝田ロダン。
 鳥や虫、花や草、樹木から聞いた話を書き留めるのが仕事。

 プロットを作らず、瞑想によって物語を引き下ろして書き留めるスタイルで書いているので、これが短編小説になるのか、それとも長編小説になるのかすらわからない。それでも、ひとまず長編小説で言えば、一つ目のクライマックスが訪れたところだ。
  連載小説『星のクラフト』に入る前に引き下ろした『カラスの羽根 運の卵屋』から自然に制作が始まったことを考えれば、これは鳥たちの告げる物語となる(引き下ろしている最中には、どこから来ているかを特定するのは難しい)。

 今日(2023年11月15日)、朝、珈琲を淹れた後、最近では儀式と化している土偶へのお湯かけ(アリの巣が作られることを予防)をしようとベランダに出た時、床に小さな羽根が落ちているのが見えた。これまでにも鳥達から羽根を授けられたことは多かったが、今朝見たものはかなり小さくて(爪楊枝程度の大きさ)、しかも未熟な鳥のものではなく、しっかりとしている。
 ――何かのお知らせだな。
 私はそう思って、摘まみ上げ、失くさないように机に置いて、朝食の支度の続きに向かった。


 それから午前中の用事を終わらせた後、ふと、思い立った。
 ――三井記念美術館に行ってみよう。
 どういうわけか、三井記念美術館はまだ足を運んだことがなかった。調べてみると、駅からも近く行きやすい場所にある。盲点だったか。

 外に出て、地下鉄に乗る前にヒヨドリたちのいる森に立ち寄り、鴨たちが浮かんでいる池を眺めていると、カラスが何か特徴的な飛び方(説明し難いが何かを伝えようとするふるまい)で近くの樹木に止まり、カアと呼び掛けるように鳴いた。
「カアスケ」
 私からも呼び掛け、微笑んだ。その後、森の中をあちこち歩いている時にも、とにかくカラスが特徴的な飛び方をし、カアと呼び掛けてくる。
 ――なんだろうなあ。
 それから、ヒヨドリたちに口笛で応答しながら森の中を歩き、先日の犬の形をした岩の前で紅葉した葉っぱを一枚拾って、岩の上に捧げた。なにかわからないけれど、近頃の鳥たちの呼びかけでは、その犬の形をした岩はなにか厳粛なもので、踏んではならないものであるらしい。それで、私は迂回し、美しい葉っぱを岩の上に乗せて、小さなつながりを作った。

 三井記念美術館『超絶技巧、未来へ!』に着くと、いきなりカラスのオブジェが出迎えてくれた。本郷真也さんの作品『境界』だ。

 ――なるほど、これが見せたくて、カアスケは特徴的な飛び方をしていたのか。 
 カラスの尊厳を決して損なわないオブジェだと思った。カアスケはそれが誇らしくて、見せたかったのだろう。
 他にも様々な鳥類、虫や葉、犬、などをモチーフとした作品が展示され、自然物の好きな私にとっては楽しくて仕方のない展覧会だった。そして、蒔絵に描かれた鳥の羽根。 
 ――なるほど。ベランダにもたらされたあの精巧で小さな羽根は、この蒔絵のことを言いたかったのか。 

 とにかく楽しみつくして外に出て、お昼でも食べようかと思いコレド室町辺りをブラブラ歩いた。お昼と言っても、飲み物とお菓子程度でいいかなと思ってカフェを探すも、タリーズもスタバもどこもいっぱい。それでも忍耐強く歩いていると、カフェではないがアートギャラリー《アートモール》を見つけた。 
 ――いい感じ。 
 私は爽やかな色に魅かれて中に入り、一階の絵を観た後、二階にも行ってアクセサリーを鑑賞し、再び階段を下りようとした時に、米倉三貴さんの『遠い日の詩』という絵が壁に貼ってあることに気付いた。 
――いい絵だなあ。 
 そして、制作中の『星のクラフト』の建物イメージに似ている(物語を引き下ろしてくる時には文字ではなく映像が下りてくるのだ)と思った。 
 ――欲しいなあ。 
 しかし、絵をいきなり買うというのも勇気がいるので、一階まで行き、他の展示物を再び眺めていると、今度はやまぐちたつやさんの『shell Bar』という建物のオブジェがあった。
 ――これも、物語の建物イメージと適合している。 
ふらりと入っただけのアートギャラリーだったが、なにか、縁を感じる。 そう言えば。
 昨夜、ユリゲラーさんの✖ポストを見ていた時、「木製の歩道橋、願いを叶えてくれる星座のプレート、橋に触れて、…」などの言葉があったことを思い出した。それにも影響されて、そもそも日本橋方面に足を運んでみたいと思ったのだった。
 やまぐちたつやさんのオブジェ『shell Bar』は木製だし、米倉三貴さんの絵『遠い日の詩』はどう見ても『星のクラフト』の建物や物語のイメージ通りだ。そして、アートギャラリー《アートモール》の前には、『カラスの羽根 運の卵屋』と同じガチャガチャが置いてあるのだ!(ここでは500円) 

 ――これは、どう考えても縁だ。アート作品を買わなくてはならない。 
 店先に座っていらっしゃった方に、やまぐちたつやさんのオブジェ『shell Bar』と米倉三貴さんの絵『遠い日の詩』をお譲りくださいと告げた。
 お店の方は
「米倉三貴さんの絵だけを買いに来られる方もいるほどです」
 嬉しそうに教えてくださった。
「やまぐちたつやさんのこのオブジェはいつからここに?」
 私はなんとなく、誰かがわざと置いたのではないかと思うほどタイムリーだったので、そう聞いてしまった。
「少し前からです。そして、以前、目の前のギャラリーで個展をされていました」
 と仰った。実績もある作家さんであることを伝えてくださったのだと思う。
 私はこのアートとの出会いが本当に嬉しくなった。
「また来ます」
 そう言って、ギャラリーを後にした。

 書いた物語を絵やオブジェとして見てみたいのは私の願望で、どうにかして自分で描いてみようとするのだが、なかなかうまくいかない。でも、こうして、どこかで誰かが作ったアートが、すぐにイメージと合致することがあるのかと思うと、肩の荷が下りたような喜びがあった。
 今回の物語の引き下ろしは常連の読者から
「風景描写や人物造詣を詳細にしなくていい。その代わり、即時公開してほしい。そして、物語の骨子を速やかに進行させてほしい」
 と言われて、骨子だけを手際よく制作しているのだが、アートがあれば、事細かに描写しなくても、こんな感じとイメージは伝わる。

米倉三貴さんの絵(額を外して撮影)とやまぐちたつやさんのオブジェ

 現在引き下ろしている物語の骨子は設計段階のラフのようなものだ。ラフのままがいいと仰る人も多いが、いずれは肉付けをして作品にしたい。作品にするためには一年ほど寝かせるのが基本。というのも、瞑想文学は、現行の事象とシンクロしてしまっている場合に物語の神聖さが損なわれる場合があるからだ。なので本来は即時公開しないのだが、今回は描写をしないまま公開することでそれを可能にしている(そうしておけば現行の事象とリンクしない)。
 この設計段階において、詳細イメージと合致しているアートはできるだけコレクションし、親しみ、肉付け段階のモチーフにし、また、それらすべてをデュシャンの提唱したレディメイド思想に基づく一連のものとして捉えられたら、こんなに楽しいことはない。

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