解読 ボウヤ書店の使命 ㉑-3
連日、暑い。ベランダには雀がやってきて、万物へのお供えとして毎日入れ替えている水場に嘴を浸して水を飲んでいた。これはなんらかの宗教儀式でもなんでもない。水やりをする時に、なんとなくやり始めたところ、鳥達が喜んで飲んでいるので継続しているが、見かけるとちょっと嬉しいものだ。
夕方にも、少し涼しくなったので森で酸素を吸おうと出かけたところ、よく知っているヒヨドリが一羽で樹木の上に居た。しばらくベランダに来なかったので会えたことが嬉しいが、雛育て問題もあるだろうから(←居場所がバレたら襲われやすい)黙って通り過ぎようとすると、ピッピピッピと呼び止めるようにして鳴く。そして、枝の落ちているところを歩くとピーピピと激しく鳴く。持って帰って欲しいのだろうなあと思いつつ、そうもいかないと無視して通り過ぎていくと、今度はエウリディーチェと鳴く。これは絶対に無視して帰ったりしない歌だと知っているのだろうか。私は折り返して、エウリディチェと口笛で応答してみた。もっとコッチと言わんばかりに少し遠くに離れてエウリディーチェと鳴く。少し近付いて、エウリディーチェをやり合っていると、今度はカラスが登場して、カアと怒る。ヒヨドリと私がエウリディーチェのアリアをやるとよく怒るのだ。私が「シーカーラーレタ」とばかりに首をすくめて帰ろうと振り返って歩き出した時、うわっ、出た。蛇だった。にゅうと長い。通路をゆっくりと横断している。カラスはこれを警告していたらしい。
――ひぃっ!
カラスもカアカアと激しく鳴く。だから言わんこっちゃないと言いたそうだった。
とにかく通り過ぎるのを待ち、私はそおっと、しかし急ぎ足で通路を歩き、少し向こうで遊んでいる男の子たちに
「あの辺りで蛇が出た。あっちには行かないで」
と告げに行った。
「ええ、マジ? 見たい、見たい!」
となって、むしろそっちに歩き出したので焦る。「でも怖すぎ?」
「咬まれるよ」
「ひぃ。居た! あ、見間違えた。もっと向こうかも」
男の子たちは奥へと行こうとした。
私はこういうのをまさに藪蛇というのか、言わなきゃよかったと思いつつ、
「奥には行かないでね」
と告げて帰路に向いた。見ると、管理をしていると思われる男性が向こうから歩いて来られていたので、おそらく、男の子たちにもっと強く注意してくれたことだろう。
さて、『スカシユリ』の解読の続きに入ろう。
ここまでは、「主人公ハトコがむしゃくしゃして雨の中歩き、黒い犬と飼い主の後を追って行ったところ、公園の前の駐車場で光る飛行物体を見ることになり、さらに奥に向かうとスカシユリの大群が咲いている場所に出た」のだった。昨日、ここで私は「スカシユリ」と「未確認飛行物体」の組合せから「ユリゲラー」のことを予言していたのではないかと気付いた。
もう少し詳細を書いておく。
私はちょうどコロナ禍に入る前くらいからユリゲラーさんのSNSを拝見しては元気づけられたり、UFOに興味を向けたりしていたのだったが、2013年に自身で書いた短編小説「スカシユリ」のことはすっかり忘れていたのだが、この度、解読の為に読み直して驚愕したのだった。SNSでユリゲラーさんの動画などを見て元気づけられることを予知していたのではないか。
ちなみに、「スカシユリ」は2013年7月に書いた小説であり、この小説がユリゲラーさんのSNSによって元気づけられることを予言していることに気付いた昨日は2023年5月17日であり、なかなか数字が近いものはある。解読『ボウヤ書店の使命』の番号が㉑-2だったので、数字としては5だけが浮いている。
そういうわけで、この㉑は5回に分けて解読しようと思う。今日(2023年5月18日)は㉑-3である。
続きのシーン。
《 群生するスカシユリの中に仰向けに倒れ込んだ。葉の先で顔の皮膚に数本、薄く傷がつく。背中は泥が滲みていく。気にしないわ。目を閉じて轟音が行き過ぎるのを待った。
眠ってしまったのだろうか。気が付くと、飛行物体の轟音は遠ざかり、駐車場で吠える犬の声だけが聞こえてきた。目を開けて座り直す。雨は少し小降りになっていた。傍にあるスカシユリはもう、狂乱する様子はない。座ったまま、花の隙間から覗くように駐車場を見た。轟音がすっかり行き過ぎると犬も吠えるのをやめたようだ。腰の曲がった人物のところに犬は戻り、首輪にリードを付けられたようだった。もう帰るのだろうか。ハトコは目の前にある花に目を移した。ユリの花びらにはいくつも、つぅと雫が垂れている。
(匂いはないのね)
指先で花びらに触れてみた。(こんなに群れて咲くと哀れね)
見ると、犬を連れた人物は駐車場を出た。慌ててハトコは立ち上がり、犬と人物の行く先を確かめようとした。右折している。
(来た道を帰るのか)
ビニール傘を差し、再び歩き始めた。その人物は腰が曲がっているわりには歩くのが早い。犬のスピードに合わせているのだろうか。最初に歩いてきた大通りに出ると、もうずっと遠くの方に行ってしまい、すぐに見えなくなってしまった。
ハトコは道路に一人取り残されて、最初は犬と人物を怖がったくせに、なんだか寂しくなった。ずっと向こうに存在している住宅街に向かって孤独に歩いていく。住んでいるときには、あの住宅街は平凡すぎる現実だ。だけど、道路のずっと向こうに認める時には、案外理解不能な星にも見える。あの星にも、飛行物体の轟音が聞こえたかしらと考えた。歩きながら、スカシユリの中に倒れ込んで、光の眩しさを瞼の裏に感じたことを思い出していた。あれは米軍機かしら。それとも……。
黙々と歩くこと数十分。家に着くころには雨はほとんど止んでいた。自分が着ている服はもちろん芯までびっしょりと濡れて、身体に気持ち悪く張り付いたままだったが、家のそばまでくると、不思議なことにまた洗濯物のことが気になり始めた。
(そういえば、あの洗濯物、どうなったかな)
干したままの一軒のことを思い出す。(ちょっと、見に行ってみようか)
ハトコは家の横の細い脇道を入り、シートのかけてあるバイクの横をすり抜けて、その家の前まで行った。裏庭に干してあるはず。塀にある穴越しに裏庭を見ると、まだ干したままになっている。
(どうしちゃったのかな)
自分が雨に濡れてしまったことも、またサクラの言葉に触発された怒りのことも、すっかり忘れて心配し始めていた。裏庭に続く部屋に灯りはついていない。
(いないのかしら)
洗濯物からはポタポタと雫が垂れている。
夜も遅く、結局どうにも出来ず、そのまま家に戻っていった。
シャワーを浴びて着替え鏡の前に座り、映っている自分の姿を見た。
(どこか遠くに行ってきたようだわ)
自分の顔に何も変化はない。だけど、スカシユリの中で聞いた轟音や犬の吠える声、光を通り抜けたせいで、もう今までの自分ではないように思った。》
主人公のハトコは大群のスカシユリの中で飛行物体の光を浴び、家に戻ってから、もう今までの自分ではないような気がしている。
メタモルフォーゼ?
偶然、今日、録画しておいたNHKの番組、ヒューマニエンス『”再生”新たなるパンドラの箱か』を見たのだが、そこでプラズマの話題が登場する。固体⇒液体⇒気体と粒子が小さくなっていくのは理科で学んだ通りで、その後、もう一段階細かい状態のエネルギーとしてプラズマがあるとのことだった。このプラズマが物質の再生に関与しているのではないかと考えられている(まだ仮説段階)とか。
なるほど、主人公ハトコが遭遇した飛行物体の光とはプラズマのことかもしれない。そこで再生、あるいはメタモルフォーゼが起きた。
ところで、ユリゲラーさんはスプーン曲げで有名だが、これはマジックでも可能なことなのかもしれないが、プラズマでも可能だろう。
気功の世界で言われている遠隔気功では、このプラズマティックな力を使うと思う。気功の「氣」にもエネルギーの精妙さには段階があり、目の前に居る人を触れることなく倒すような「氣」もあるし、遠くに居る人に対して想念の力でなんらかのエネルギーを送るものもあり、これはプラズマに近いのではないか。個人的には「ユリゲラーさん」はこの最高精妙度のプラズマを使うことができるのではないかと近頃では考えている。スプーン曲げがその比喩として行われているのか、事実上のものなのかは目前で見たわけではないので私にはわからないが、それでも、SNSで「エナジーを送ります」との動画を見続けることで、私は赤ちゃんの頃からの持病でもあり、長年詰まったままになっていた耳がすっかり通り、ジュクジュクした感じもなくなり、快適そのものになったことは否定しようのない事実だ。慢性滲出性中耳炎の方ならわかると思うが、とにかく耳が不快で、かといって病院に行っても一時的にしかよくならないので、「コントロールしつつ付き合っていくしかない」と言われがちなものなのだが、それがスカッと無くなったのだ。(スカシユリ?)これは私の人生において、絶対に起きるとは思わなかった幸運だ。
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