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連載小説 星のクラフト 11章 #4

 缶詰のオイルサーディンをクラッカーに乗せて頬張る。水もレモンサイダーも全く劣化することなく口にすることができた。
「この家、鍵もかけていないままだったけど、誰も来なかったのかな」
 ローモンドは瓶の口から直接レモンサイダーを飲んだ。
 一階の居間には相変わらず本棚があり、あの時、ローモンドが見つけて抜き出した状態のまま例の本が床の上に置いてあった。
「誰も来たような気配はないわね」
 私は五つ目のクラッカーを口の中に押し入れた。
「やっぱりこの宿泊所には誰もいないのだったら、ここで髪を切ってしまおう」
 ローモンドは自分の髪を引っ張って見せた。「前のように、黒く染めて、顎のあたりで切り揃えてほしい。変装するというより、あれが気に入ったの」
「ついでに、私の髪も切ってくれる? あの頃と同じように」
 食事を終えると、荷物からハサミと染料を取り出し、私達は交互に髪を切り合った。部屋には大きな鏡はないので、それぞれが覚えている通りに切り、私の持っていた手鏡で細々と確認した。短くしてから風呂場で洗い流し、ローモンドの髪を染める。
「同じような髪型だったね。こうしてみると」
 顔つきも似ている。
「年の違う双子みたい」
 すっかり元通りになった互いの顔は、見慣れているはずなのに、初めて見るものに思えた。
「どうしてあの時、クリーム色の羽根を拾ったの?」
 ふいに、ローモンドが旅立ってしまった時の悲しみが舞い戻ってくる。
「思い出せない。でも、とても大事な体験をしてきたのよ。羽根を拾って旅立ったことは間違いじゃない」
 彼女は毅然として言った。
 髪型が元通りになってしまえば、やはり時間も半日しか経っていない気がする。もう恨みがましいことを言うのはやめよう。
「それより、ホテルの予約をして、すぐにでも出発しましょう」
 こみ上げてくる涙を振り払うように、私は先を急いだ。

 車に乗り込むと、時刻は午後八時。
「何日の八時?」
 どちらのスマホも電池が切れていた。車内の時計に日付はなく、まだ確認できない。
「ホテルは予約が取れた。夕食も用意できるとか。スマホの充電はホテルでね。車用の充電器は用意してなかったわ」
 さっそくナビに従い、車を発進させる。自動運転機能も衰えてはいない。
「何時頃着くの。目的地に近い場所のホテルにしたんでしょ? けっこう遠いはず」
「高速を使えば、一時間ほどで着く。下道も夜はあまり混まないらしく、信号も点滅に変わって、速度を落として、何もなければ止まらずに進めるから」
「渋滞する昼間は別次元に旅行して、渋滞しない夜に改めて出発したと考えたらいいのかしら」
 ローモンドは窓を薄く開けた。
「その通りね。私もローモンドが旅立った時、たくさん涙が出て、人間らしい感情を体験することができたし」
「お嬢様の思惑通りかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。ねえ、人間になるのって、横道に逸れて、いろんな感情を体験することかな」
「ローモンドはその体験をもう忘れちゃったらしいけど」
 私も窓を少し開ける。草の香りを含んだ風が吹き込まれてきた。
「自分だって、ぐーすか寝てたくせに」
 頬を膨らませる。
「本当は私達、初めから人間だったんじゃないかしら」
「そうかも」
 旅に出る前に買いそろえた地球の子供らしい服装がよく似合っている。
「ローモンドは、こちらに戻って来た時、どうしてグレーのワンピースを着ていたんだろう」
「あの誰もいないホテルを離れてしまったら、違う次元に行っていたことなんて夢だったかのようだけど、あのワンピースが手元にあれば、絶対に夢じゃなかったって思える」
「忘れずに持って来た?」
 私の問いに、ローモンドは膝の上に置いた鞄を指してにっこりと微笑んだ。その中に入れてあるらしい。
「いつか、私も、ローモンドみたいにあの羽根を拾って旅に出ようかな」
「朝起きて忘れてしまった夢のように儚いよ」
 寂しそうな顔をする。自分は私を置いて旅立ったくせにと責めたくなる。
《ごめんね》
 テレパシーで謝ってくる。
「きっと、誰でもその時が来たら、そうするんだと思う」
 私も六十年という余分な時間を過ごしてみたい気がしていた。
「そして、きっとまた会える」
 車はほとんど止まることなく、スムーズにドライブを続けていた。

つづく。

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