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短編小説『この手が届くのは』

「どうしよう……」
 陽菜は途方に暮れていた。あろうことか何もない場所でこけたのである。幸い大した怪我はなかった。だが衝撃でかけていた眼鏡が吹っ飛び、タイミング悪く自転車にひかれてしまったのだ。
 自転車に乗った人は「やっべ」と言いながらもそのまま通り過ぎていってしまった。確かにあんな予想もできないタイミングで眼鏡が転がってくれば「自分のせいじゃない」と思いたくなるだろう。だけど足を止めて謝るくらいはしてほしかった。でもこんなのほとんど自分の責任だ。
 問題はこの眼鏡を作った時期だった。本の読みすぎで視力が低下した陽菜は、眼鏡を新調しなければいけなくなった。それがまさに昨日新調したばかりなのである。
「大丈夫ですか?」
 陽菜はうつむいていた顔をあげる。いつのまにかそこには女の人が立っていた。逆光のせいなのか顔がよく分からない。女の人と思ったが声は高くもなく低くもなく、もしかしたら男の人かもしれない。不思議な雰囲気の人だった。
 陽菜は自分が未だに道に膝をついていることに気が付きあわてて立ち上がった。転んでから一度立ち上がったのだが、眼鏡を手にして再び膝をついてしまっていたのであった。
「だ、大丈夫です!」
 そして手に持った眼鏡を見て再度肩を落とす。
「あの自転車の方も謝るべきですよね」
 その人は自転車が去っていった方を一瞥する。陽菜は見ず知らずの人が自分のフォローをしてくれたのがうれしかった。
「あんなとこに眼鏡を吹っ飛ばしたわたしが悪いので。でもそう言っていただいてありがとうございます」
 陽菜は一度頭を下げてから視線を元に戻す。
「え?」
 いつの間にかその人の手に眼鏡があった。
「え? あ、あれ?」
 陽菜の手には眼鏡がない。とするとあれは陽菜の眼鏡だろうか。いつの間にあの人の手に? しかもひび割れた眼鏡は新品同様になっていた。
「どうぞ」
 元に戻った眼鏡を差し出されるも、陽菜は驚きのあまりかたまってしまっていた。その人はクスリと微笑んで陽菜に眼鏡をかける。
「戻したついでに一つオプションをつけておきました。その眼鏡はちょっと先の未来が見えます」
「は? え?」
「それでは。足元に気を付けて」
 陽菜の理解が追いつかないまま、その人は背中を向けて去っていった。
 
 夢でも見たのかな、と眼鏡を自室の天井にかざしながら陽菜は思う。でも確かに自分は派手に転んだし、この眼鏡は自転車にひかれた。手品でも見せられたのだろうか? しかし眼鏡を用意しておくなんて不可能だ。
 それにあの人が言っていた意味深な言葉も気になっていた。
『ちょっと先の未来が見えます』
 眼鏡が直った喜びよりも不可解なものへの恐怖のほうがおおきかった。

「次それ貸して」
「いいよー」
 放課後の美術室。陽菜は美術部に入っている。先輩達は四人。新入部員である陽菜達も四人。そしてこの四人は小学校の頃同じクラスで仲の良かったメンバーであった。
 中学に上がってからそれぞれ別のクラスになったのだが、同じ部活に入ったおかげで毎日放課後に顔を合わせられるようになった。
 しかし陽菜はこれでいいのかとも思っていた。
 トイレに行こうと美術室を出る。廊下で練習をしているのは吹奏楽部であった。
 陽菜のいる美術部はとてもゆるく唯一の発表の場が文化祭くらいのため、それに間に合えさえすれば後の時間は自由に過ごしていい。顧問も口うるさい人ではないため、「ここで読むくらいなら」と漫画を読むのも許可してくれている。
 気心知れた友達との心地よい時間はとても楽しい。だけどこの楽しさは廊下で練習しているあの人達とは別の楽しさの気がしていた。どちらの楽しさもそれぞれの良さがあるし、選ぶのは個人の自由だと思う。
 だけど陽菜は本当は吹奏楽部に入りたかった。その気持ちを未だに捨てきれていない。
 そこで陽菜は足を止める。一人増えている気がするのだ。三人でフルートの練習をしていたはずだ。それが四人になっている。陽菜は「もしや」と眼鏡を外す。景色がぼやけるのと同時に一人が消える。
 うるさい心臓の音を聞きながらトイレに飛び込んで鏡を覗き込む。見ているようで見ていない顔。あそこにいた一人は陽菜であった。
 心臓の音は未知のものに触れてしまった恐怖なのか。それとも自分があそこにいる未来を見た喜びなのか。
 入学してから一か月ちょっと。まだ間に合うはずだ。陽菜は部活を早く切り上げて帰宅した。親に吹奏楽部に入っていいかを確認するためであった。
 美術部の友人達は、残念がりつつそれでも「好きなことやったほうがいいよ」と陽菜を送り出してくれた。吹奏楽部でも歓迎してもらい、陽菜は充実した部活動生活を送っていた。
 しばらく未来は見えなかった。何度か「未来よ! 映れ!」なんて念じてみたが無駄であった。もしかして気のせいだったかも、なんて思い始めた頃。陽菜は未来を見た。
 それは教室で丸山さんと話をしている自分の姿であった。
 今でも一緒に過ごす子達はいるが、どうも馬が合わないのだ。残念なことに吹奏楽部の仲間は陽菜と別のクラスである。陽菜はクラスでもっと仲の良い友人がほしかった。
 未来の自分は丸山さんと仲良さそうに話している。きっと嫌がられることはないはずだ。
 意を決して陽菜は丸山さんに話しかける。
「あの、丸山さん。それ霧崎さんの小説だよね」
 丸山さんは物静かに本を読んでいる子だった。しかも読んでいる本がことごとく陽菜の趣味とかぶっていた。ずっと話してみたかったのだ。
「それがなに?」
 しかし期待とは裏腹に丸山さんは訝しげに陽菜を見た。陽菜は心が折れそうだった。だけど未来の二人は仲良く話をしているのだ。しかもあの人は『ちょっと先の未来』と言っていた。
 陽菜はくじけずに丸山さんに話しかけていた。次第に丸山さんも返してくれるようになり、話も盛り上がるようになった。
「小学校のときごたごたに巻き込まれてさ。もう一人でいようって思ってたんだ」
 仲良くなってから、丸山さんは最初に陽菜を拒んでいた理由を教えてくれた。
「でも陽菜があまりにしつこいし、それに面白いからさ。つい誰かと一緒にいるのもいいかなって思っちゃったよ」
 照れたように笑う丸山さんは本当はとても優しい女の子であった。
 陽菜はこの眼鏡のことが好きになり始めていた。丸山さんともこの眼鏡がなければ仲良くなれていなかっただろう。最初に冷たくあしらわれていた時点で諦めていたかもしれない。
 この眼鏡がいつ未来を見せてくれるかは予想がつかない。しかしそれから陽菜はクラスでは丸山さんと楽しく過ごし、放課後や休日は部活で充実した時間を過ごしていたので眼鏡の力を借りる必要もなかった。
 次に未来が見えたのは一年後。陽菜が二年生になってからであった。陽菜が生徒会の書記になっていたのである。陽菜は驚いた。吹奏楽部と丸山さんのことは自覚していた。でも今回はちがう。
「わたし生徒会に向いてると思う?」
「どうしたの急に」
 丸山さんは唐突な陽菜の言葉に目をぱちくりとさせながらも「いいんじゃない?」と即答した。
「陽菜ってまとめる能力あるからさ」
「え、そうかな」
 そこで陽菜は思い出す。部活でも二年生ながら頼りにされていることを。
 一年前なら自分が生徒会に入るだなんて考え付きもしなかった。
 しかし今ならやりたいかも、と思える。
「もっとみんなの前にでていいと思うよ。わたしも応援する」
 自分は前にでる性格ではないと思っていた。だけど「もっとこうすればいいのになあ」と思うことが多々あった。陽菜は決意する。そう思うのだったら意見を言える立場になろうと。部活との両立は大変かもしれないが、生徒会の人にだって忙しい部活に入っていた人もいる。
 しかし陽菜は不安にも思っていた。今この眼鏡に最初の頃に感じた恐怖はない。むしろ感謝の方が大きい。だからこその不安である。

 陽菜は一年ちょっと前の出来事をきれいに再現していた。こけた拍子に飛んでいく眼鏡。「やっべ」という声と共にひかれる眼鏡。そして。
「大丈夫ですか?」
 あのときの人だった。
「あ、あの! わたし聞きたいことが!」
「おやおや」
 その人は微笑みながらまたしてもいつの間にか眼鏡を手にしていた。眼鏡はまだ直っていなかった。
「また直してあげますよ。わたし、あなたのこと気に入っているので」
 相変わらず近くにいるのに顔がよく分からない。でも眼鏡に対する気持ちと一緒で、この人にも恐怖は感じなかった。
「ありがとうございます! だけど、あの、もうオプションはいりません」
「おや、気に入りませんでしたか」
「逆です。すごく助かりました。だからもういいんです」
 未来が見える眼鏡。なんて便利なものだろうか。でも陽菜はもう決めていた。
「わたし、未来が見えるからがんばれました。でも見えなかったらがんばれなかったかもしれない」
 未来が分かったからこそ諦めずに取り組めた。逆に言えば眼鏡がなかったら諦めてしまったのではないか。自分の努力はこの眼鏡ありきでしか成立しないのではないか。
「これに頼りきりになる前に卒業したいんです」
 その人は笑った。優しさが感じられる笑い声だった。
「これは最初から未来なんて映してないんです」
「え?」
「あなたの心の奥底にある願いを映していました。きっと今のあなたならなくても分かるんじゃないでしょうか」
 陽菜が瞬きをした間にその人は消えていた。眼鏡はいつの間にかきれいになって陽菜の顔にかかっていた。
 陽菜は辺りを見回す。いつもより景色が輝いているように見えた。

【おわり】

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