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「はじめて」って、なに?

はじめに

こちらは『37minアドカレ』の25日目の投稿となります。
僕が最終日だ! メリー・クリスマス!

はじめて

さて、まず結論から述べてしまいたいと思う。僕は「はじめて」がめちゃめちゃ苦手だ。
(昔と比べると)対人コミュニケーション能力は随分と改善された方だと思っているのだが、それでも僕がなお自分の事を「コミュ障」だと思い続けているのは、きっと「はじめて」が苦手なせいだ。

どのくらい「はじめて」が苦手かをざっと書いておこう。
何と言ってもまず、知らない飯屋に入るのがあまりにも苦手である。はじめての飯屋に行くなら、是非経験者に連れて行ってもらいたい。
普段行く飯屋と、そこと値段が同じで1.5倍くらい美味しいが入ったことのない飯屋が並んでいたとして、僕は97%くらいの確率で前者に足を運ぶであろう。
そして何よりチェーン店の存在は神である。

三十路のいい歳をした男が何を言っているんだとも思うのだが(いやこれを書いていた瞬間はまだ二十代だったんだけど)、でもそうなのだから仕方ない。

でもはじめてってあるよね

そんな「はじめて」が苦手な僕だが、だからといってこの2023年にその「はじめて」が無かったのかと言われると、決してそんな事はない。
むしろ、案外「はじめて」を体験する事の多い2023年だったという感触はある。

先程僕が如何に「はじめて」が苦手かという話をしたが、程度の差はあれど「はじめて」に対して抵抗がある人は少なくないと思う。
何かをはじめる為には、それなりの労力を払わないといけない場合が多い。
これくらいの歳になってくると、生活が安定してくる人も多いだろう。

昨日と同じ今日を、先週と同じ今週を、先月と同じ今月を、去年と同じ今年を過ごせば問題なく生きていける。同じことの繰り返しは非常に楽だ。
そんな状況で敢えて「はじめて」に挑戦するという事は、結構な一苦労である。「しないでいい事」はしない。そうなりがち。

だが逆に、その「はじめて」に対して積極的に突っ込んでいくタイプの人もいる。
それこそ『ぼっち・ざ・ろっく!』に憧れて楽器を買うとか、『ゆるキャン△』に憧れてキャンプを始めるとか、そんな話が分かりやすいだろうか。

こういう話は基本的に「オタクくんアニメに影響されるもすぐ飽きるwww」という取り上げ方をされることが多い。けれども僕としては、そんな風に何かをはじめる事ができるだけで凄いと思う。

はじめて2023

この文章においては本題ではないのだけれど、アドベントカレンダーの題が「2023はじめて」だったので、ここで僕が「今年はじめた事」を書いていこうと思う。

仕事の話

実は僕にも、どデカい「はじめて」があったりする。
自分は大学を出てから、就活&就職がしたくないという理由だけで個人事業主をやっていた訳なのだが、今年の9月くらいからとある会社と割と密に絡む事になった。
別にその話を詳しくするつもりもないので詳細は省くが、「もしかするとこのまま京都に骨を埋める事になるかもしれないな」と考えてしまうくらいの出来事ではあったりする。
会社となれば勿論関わる人も増えるし、色々な所へ赴く機会も増える。なので2023年の終盤は、僕にとっては割と「はじめて」尽くしだったりした訳だ。
多分それを言うのもここが「はじめて」なんだけど。

実は今年の最初くらいから「30になる前に少し環境を変えたいな」とぼんやり考えていて、それを受けて行動した結果の出来事である。
長い目で見てこの選択が吉と出るか凶と出るかは今のところ分からないのだが、能動的に「何かを変えた」事にはきっと意味があるだろう。(と思いたい)

4の話

実は「2023年のはじめて」と聞いて真っ先に思い浮かんだのがこれで、何かと言うと「映画を4DX・MX4Dで観るようになった」という話。
自分でも思うがかなりどうでもいい話で、さっきの仕事の話題と比べると落差が酷い。それでも個人的には、相当意味のある「はじめて」だった。

まず4DX・MX4D(以後はMX4Dと呼ぶ)が何かと言うと、簡単に言えば「席が揺れたり水が飛んできたりする映画」だ。映画鑑賞にテーマパークのアトラクションのような要素を足したのがこのMX4Dと言える。

MX4Dを初体験するまでは「映画で席が揺れる意味www」と思っていたし、
実際に初めてのMX4D中は「なんでこんな席揺れとんねんwww」と思っていたし、
鑑賞後は「席揺れた意味wwwバロスwww」と思っていた。

端的に言ってしまうと、初回のMX4Dでの鑑賞体験は非常に悪かった。(そこら辺の話をこの記事でしている)
僕は今年、神映画である『グリッドマンユニバース』に足繁く通って、それはもう馬鹿の一つ覚えみたいに毎度毎度涙を流していた。だが唯一泣けなかった回があって、それが「MX4D初体験の回」である。
席が揺れるだの風が吹くだのの煙が出てくるだの、降り掛かってくる情報が雑音すぎて映画に集中できなかった結果だ。

そんな最悪のデビューだった訳だが、本当に慣れというのは恐ろしいものである。
結果的にはもう6回くらいMX4Dで鑑賞をしただろうか。2回目のMX4Dグリユニではもう既にしっかりギャン泣きしていたし、数をこなす内にMX4Dの訳分からん演出も、鑑賞体験の一つとしてすんなり受け入れる事が可能になっていた。
今ではMX4Dでの鑑賞も、余裕で選択肢に入ってくる程には受け入れてしまっている。(でもやってる劇場が遠いのと値段がバカ高いのは厳しい)

ここで何が言いたかったかというと、僕は今年MX4Dを通して
「未知の体験に対する恐れ」
「実際の初体験における衝撃」
「数をこなした事による慣れ」
を分かりやすく体験することが出来た。
勿論こういった事象は、生きていれば幾度も起き得る事だとは思う。
だがこのMX4Dにまつわる体験は非常に体系だったものであり、僕の中で印象深い出来事だった。なので今回この記事で取り上げた訳である。
これもグリユニの映画としての素晴らしさと、MX4D限定の3週連続入場者特典のおかげである。
MX4Dを忌避していた自分にその挑戦をさせたのは、言うまでもなく浮かれポンチ夢芽ちゃんの特典が欲しいという情動であり、『グリッドマンユニバース』への情熱だ。

消えゆくはじめて

「はじめて」自体は人生において無限に発生するイベントである。人は目の前の「はじめて」を「いつもの」という路に変えながら歩いていく生き物だ。

だがそれぞれの事象における「はじめて」というのは、本当に一回コッキリしか存在しない。ある「はじめて」は、いつの間にか消え去ってしまう。

実はこの文章の仮タイトルは「はじめてのチュウ」だった。
それは別に初キッスの話を書こうと思っていた訳では無く、「はじめて」から真っ先に連想されたワードがそれだけだったというだけの話である。
だが実際の所、はじめてキスをした時にどんな気持ちだったかと聞かれても全く覚えていない。それどころかはじめてのセックス、いわゆる初体験の時にどんな事を思ったかもよく覚えていない。(ただ我ながら気持ちの悪いことに、その日付自体は今でもビタビタに覚えている)

中・高・大と男性に囲まれ続けた自分にとってはどエラい体験だったはずだが、その時の自分の感情自体はほぼ覚えていないというのが実情である。

人生には無数の「はじめて」があり、その都度都度に僕たちに情動を巻き起こしてくれる。
だがその情動も時が経つと共に薄れゆき、時には自分に都合の良いように改変されてしまう事すらある。

それは非常に勿体無いことじゃないか?

僕は今年、特にそう思うようになった。それはやはり『グリユニ』や『MX4D』、そしてこの『2023はじめてアドカレ』を通してによる部分が大きい。

はじめてを残していくこと

これまでに何度も述べてきたが「その人にとっての初体験」は、本当に貴重な物だと思う。今まで知らなかった宇宙に触れることによって、その人の中に新しい宇宙が生まれる瞬間である。
その時芽生える情動は計り知れない物だろう。
その感情を生み出すことが出来る事こそ、人間の素晴らしさであると僕は信じている。だが、それを容易に忘れてしまうのも人間という生き物だ。

だからこそ僕は、その「はじめて」をその瞬間に形にする大事さを伝えたい。

今回自分が参加したアドカレでも、ここまでで既に24個の「はじめて」が披露された。僕の記事も含めるとなんと25個だ。
このアドカレが企画されたことによって、25個もの宇宙がネット上に生まれた事になる。それを読んだ人達が、思い思いにまた個々人の感想を抱いて……、更にそこから新しい宇宙が生まれる。

だからこそ僕は、この企画をはじめてくれたみなみんをとても尊敬している。この場を借りてこっそりお礼を述べておこうと思う。こっそりね。

だがこの「はじめて」を残す行為には、それ以上に大きな意味があると思っている。
例えば書いた当人が1年後、5年後、はたまた10年後に、自分の文章を読み返したとする。
きっとそこには1年後、5年後、10年後それぞれの感想が生まれるだろう。

忘れていた大事な何かを思い出すかもしれない。
遠い過去に思いを馳せるかもしれない。
懐かしい思い出に涙を流すかもしれない。
その瞬間の「はじめて」があったからこそ、今の自分があるんだという気付きがあるかもしれない。

もしそこに、過去の自分の想いが込められた文章が残っていたのだとしたら。残ってさえいれば。

日記X

僕は日記という物を書いたことがない。それは自分が三日坊主であることを誰よりもよく分かっているからであり、「日記なんて続くわけないよ」という確信があるからこそである。
だが30歳になってようやく、「定期的に日記を残す大切さ」を実感している。
もし学生時代に僕が毎日書いていた日記があったとしたら、いくら出してもいいから読んでみたいなと思う。(いや中・高くらいに書いていた文章が今でもネット上に残っているのはまた別の話だけど)

だがそんな僕でも、2012年から続けている日記のような物がある。
そう、Twitterだ。いや今ではもうXになってしまったか。だがここではTwitterで通したいと思う。
Twitterは言うまでもなくSNSというコミュニケーションツールであるが、それと同時に日記としての役割も強く果たしていると思う。

基本的にTwitterには140文字までという制限がある。
だがその手軽さから、変に着飾ったような日記よりも、その瞬間瞬間の情動がダイレクトに残されやすいと思う。

ではここで、10年前の僕がどんな事を考えていたのか、Twitterを遡って調べてみたい。

なんだい?これは

……10年前の僕も相も変わらず訳の分からん事を言っていたらしいが、ここまでくると妙な愛おしさすらある。(ちなみに補足すると、冬コミ前の追い込みで二徹くらいしてた時)

こんな風に後から振り返ることが出来る形で、その時々の思いが残されているというのは、本当に素晴らしいことだと思う。
皆さんも気が向いたら、昔の自分のツイートを遡ってみるのも面白いのではないだろうか。にしても最近のXはうんち過ぎると思うけど。

こんな事をドヤ顔で語っている訳だが、今後僕がしっかり日記を書き始めるかというと決してそんな事はない。
だがそれでも、自分の刹那刹那での想いを書き留める機会を増やしたいなとは思っている。

おわりに

「今年あった『はじめて』を書いて〜」というお題で「はじめて」そのものについて語るというのは、なんとも非常に邪道な気がする。だが心の広いみなみんだ、きっと笑って許してくれる事だろう。

先にも述べたように、日記をつけるのは非常に大事なことだと思う。
だが多忙な現代人にとって、定期的に文章を書くというのは想像以上に手間な作業だ。そもそも文章を書く習慣が無い人も多いだろう。

そこで今回の「37minアドカレ」がきっかけとなって「はじめて」を残す事の意義が少しでも伝われば、きっと人々の人生に少しの潤いが生まれることとなるだろう。
その恩恵というのは今すぐではなく、数年後、数十年後にこそ発揮されると思う。未来に向けて種を蒔く行為。涙の種、笑顔の花

もちろん後から当時を振り返ることはできるけど、それは何というか「生の感想じゃない」と感じる。
その後数年間で得た経験からの、個人的な願望が混じってしまっているようなイメージ。
だからこそ、その瞬間瞬間の想いを形にしておきたい。

「何かを書く」ということは、自分の中の宇宙を世に送り出すことだ。その宇宙に誰かが触れることによって、更に新しい宇宙が生まれる。

今回ここにも、25人の「はじめて」の宇宙が集まって、「37minアドカレ」という宇宙が生まれた。だがこの「37minアドカレ」も、多く存在するアドベントカレンダーの一部分。この広い宇宙には、たくさんの仲間が存在するのだ。

最後に、僕が書いたグリユニ感想よりこの文章を引用して終わりたいと思う。この思いは今年僕が『グリッドマンユニバース』を鑑賞してからずっと抱いている物だ。
いや、寧ろその思いはどんどん強くなってすらいる。

ありがとうuni-verse。
ありがとう2023年。

『uni-verse』はこうも言っている。
「もっと聞かせてよ 自慢していいよ 君が生きた その証」
「さあ顔を上げて 僕に見せて 君が持ってるユニバース」

どんなに拙い物を生み出したとしても、それが君自身のユニバースなのだから、恥ずかしからずに見せてくれよ、と。
そしてみんなのユニバースが繋ぎ合わさる事で、また新しいユニバースが生まれる。これが僕らのユニバースなのだ。
なので自分も、この拙い感想文を世界に堂々と公開しようと思う。

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