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『グリッドマンユニバース』の感想書く。

やべー映画を観た。

やべー映画を観た。先週公開された『シン・仮面ライダー』も(いい意味で)やべーと思ったがそんなもんじゃねぇ。なんかもっと凄くとんでもない物を観てしまった。
つい数日前までは『シン・仮面ライダー』で頭がいっぱいだったのに、それが跡形もなく何処かへと吹き飛んでいった。

『シン・仮面ライダー』の感想をまとめるまでは『グリッドマンユニバース』は観ないぞ、というマイルールを設けていたのだが、結果的にはそれが良かったようだ。脳内がグリッドマンに侵略されてしまった今、『シン・仮面ライダー』についてはもう何も書けそうにない。

という訳でこの映画の感想を書いていこうと思う。言うまでも無いがネタバレ全開ユニバースなので注意。

グリッドマンユニバースとかいう映画

1993年に『電光超人グリッドマン』という特撮テレビドラマが存在した。それを原作として作られたのが2018年放送の『SSSS.GRIDMAN』、そして2021年放送の『SSSS.DYNAZENON』だ。
世界線の異なるこれら2作品をクロスオーバーさせお祭りしちゃおうぜ! というのが今回の『グリッドマンユニバース』である。

さてこの映画、「想像し得る限りの全ての要素を限界まで詰め込んでシェイクしたら宇宙が生まれた」という感じの映画である。
この「全ての要素」という言葉がミソで、恐らく視聴者が想像できる程度の要素は全て詰め込まれている。

公開前に「新条アカネは出るのかな」や「ガウマは登場するのかな」みたいな声を割と見かけたが、観終わった今ならこう言える。
なんだ、そんな事で心配していたのか?」と。出るなんてもんじゃねえ、もっと訳分かんねぇもんが山程出たぞ!!

映画冒頭でTRIGGERのロゴがアップになる時、「実写の目」が見えたのでいや多分来るんだろうなとか思ってたらめちゃくちゃ来てうわぁぁぁぁぁ!!!!

なんで「僕普通です」みたいな顔してるんすか

この映画の恐ろしい所は、冒頭から尺が折り返すまでの1時間程は「僕は普通の劇場版ですよ」みたいなフリをしている所だ。
確かにいくつかホラー要素こそあるものの、「まあTV本編で完結した作品の劇場版ってこんなもんだよな」を地で行くのが前半の1時間。
だが2度目の戦闘を期に違和感が爆発し、全てが滅茶苦茶になって始まる怒涛のグリッドマンユニバース。マジこえーよ。

それこそ最近流行っている『RRR』のように、「最初から最後までクライマックス!」という作品も良いと思う。
だが今回は前半の圧を抑えめにし(ただその中でも見せ場はしっかり作っているので決して退屈な訳ではない)、その中で少しずつ不穏の種を蒔いていた。
だからこそ後半以降の怒涛の展開によるカタルシスがより一層胸に響くという側面があるのだと思う。

自分が感じた一番の違和感は「ジャンク、無かったよな?」という物。
最初に裕太がジャンクショップで六花達に舞台の脚本を見せてもらった時、いつもの場所にジャンクは存在しなかった。(今改めて確認したが、TV本編最終回でジャンクは撤去されているので、これが正しい状態)
だが「怪獣」が街に現れた時、「そこ」にジャンクは平然と存在していた。当然のように鎮座するジャンクを前に、裕太は当然のようにアクセスフラッシュしていた。
いやいやいやいやいや! ちょっと待てお前。

最初に鑑賞した時は「ジャンクが無かったのは気のせいか?」だとか「アングルの都合でジャンクが映ってなかっただけなのか?」と思って自分を納得させてたんだけど、やっぱり無かったよね!!

劇中で裕太が「アレ?俺期末試験受けてないよな…」という不安に苛まされていたが、それと同じ状況に我々も置かれた訳である。2回目こそ話の流れを知っているので「なるほど世界に違和感がある事の演出なのだな」と納得できたのだが、初見では本当にホラーでしかない。

他にも月の色が急に変わったりという不穏要素はあるのだが、個人的にはアンチくん由来のホラー現象が怖かった。風呂場の扉に手形が叩きつけられたのはマジでビビった。

DYNAZENON組の再会

この映画のメインはGRIDMAN組であり、DYNAZENON組はどちらかというとゲストの立場で描写も少なめだった。
だが、蓬達とガウマ(レックス)の再会が丁寧に描かれていただけで十分満足である。TV本編でのガウマとの死別は、我々視聴者目線としても不完全燃焼な部分があった。だからこそ、そんな彼らの再会にはとても感動した。
特に深夜のリビングで会話するシーン。あの場面には、ガウマと蓬の関係性が詰め込まれていた。泣きじゃくる蓬の頭に黙って手を乗せるガウマ。ガウマ隊で彼らが育んだ絆が確かにそこにあった。

蓬は割と大人びて見えるのだが、唯一年相応に見える瞬間がここかもしれない。

お前も登場するんかい!

物語が進むにつれ世界のカオス化が進み、ガウマは「ひめ」と再会することとなる。

いや「ひめ」出るんかい!!!!!

TV本編でガウマがあれ程切望しても会えなくて、会えない理由も示されて、「ひめ」に会えなかったとしても蓬達と出会えたから良しとするか……と我々視聴者含めて納得しようとしていたのに、あっそんな簡単に出てくるんですね!!でも会えて良かったね!!

何故出てきたのかと聞かれれば「だってそういう映画だもん」という答になるのだが、真面目に考えるなら「ガウマ」が「レックス」になるために必要な儀式だったからだろう。

ちなみにこのガウマと「ひめ」の邂逅のシーン、『電光超人グリッドマン』の18話「竜の伝説」の要素が取り入れられている。(目を隠して真っ暗だねーと言う所など)

この「ひめ」という人物については描写が少なすぎるので考察も難しいと思うのだが、個人的に一番引っかかったのは「よくできました」という台詞。この台詞は言うまでもなく南夢芽を代表する物。
その台詞を敢えて「ひめ」に言わせたというのは中々妄想が捗るところである。もしかすると夢芽と血が繋がっているのかもしれない。(ガウマと婚約したまま亡くなったので、直接の子孫では無いと思われるが)

また、「ひめ」が領収書に書いた日付は「7月32日」という本来あり得ない物だった。世界の混沌化が進みすぎて本当に7月32日が存在していたのか、はたまた「ひめ」がガウマに世界の異変に気付かせる為に敢えて変な日付を書いたのか。これも考察が捗る部分だ。
(この時点ではまだ「期末テスト前」だった。なので恐らく時期としては7月前半。ということは「ひめ」が敢えて変な日付を書いた説の方が有力なのではないだろうか)

…よくできました

ところでこの色紙めちゃくちゃ欲しいんだよなぁ、でも今の所2回観に行って外してるし、1/4という確率は挑み続けるには絶妙なライン。ぐぬぬぬぬぬ。だれかください

2年溜めてそれかよ!!

「ひめ」が出てくるという事で、TV本編では終ぞ明かされることのなかった3つの「人として守るべき物」の3つ目が明かされる。

「約束」「愛」に続く3つ目はなんと、「賞味期限」だった。えーーーーーーーーーーっ! 2年溜めてそれかよ!!

ちなみに自分は、冷蔵庫に眠っている賞味期限切れの食材の事を思い出した。人として守るべきものが守れていなくてゴメンナサイ。

賞味期限

この「賞味期限」、最大限に深読みすると「人間関係にも賞味期限がある」ということを言いたいのではないだろうか。
「約束」「愛」と並列の概念となると、そういう発想にならざるを得ない。

つまり、「ひめ」とガウマの関係は既に「賞味期限切れ」だということ。賞味期限が切れた関係なので、お互いそれぞれ新しい道に進みましょう、という意味が込められているのではないだろうか。

物語ラストでガウマと蓬が「賞味期限」について確認したのも、夢芽との賞味期限が切れてしまう前に関係を確かなものにしとけ、という意味が込められていたのでは。
なので蓬もいきなりの「実質プロポーズ」をかました訳だ。知らんけど。

裕太と六花の関係性も、そう思うと「賞味期限」がキーワードになっている気がする。告白のタイミングを逃し続けたせいで裕太は、「賞味期限」が切れそうになってしまっていた。しかし実は六花は六花でいい感じに熟し続けていて、結果的にあの告白したタイミングが二人の関係にとっては一番の食べ頃だったってワケ。いや知らんけど。

怪獣優生思想

「全部出る」と述べたのは嘘ではなく、しっかり怪獣優生思想の面々も登場している。ただ残念ながら(恐らく)1カットのみの登場に留まってしまった。あの劇場版の密度で、更に性格がめちゃ濃い4人が乱入してきたら流石に収集が付かないという判断なのだろう。

劇場総集編『SSSS.DYNAZENON』の時点で怪獣優生思想の出番が信じられないくらい削られていたのである程度予想していた事ではある。ただ彼らの活躍(というかムジナ)も見てみたかったので、その部分は正直残念。(もしかするとこの映画唯一の不満点かもしれん)

新条アカネ

どこか妙だった世界の謎がアンチと二代目により明かされ、響裕太はグリッドマンを救うべくアクセスフラッシュを試みる。その瞬間出会ったのが「本来の姿の」新条アカネだった。

言うまでもなく新条アカネはGRIDMAN世界の人間ではなく、別世界の人間である。つまりは『SSSS.GRIDMAN』の最終回で視聴者全員の度肝を抜いた「実写パート」再来である。
演じているのは当時と同じ新田湖子で、カバンにしっかりと「あの」定期入れが付いている。(どちらかというと『UNION』のMVからの続きと言った方が良いかも、友達3人出てきたし)

恐らく、実写の彼女が登場する所までは予想していた人も多いのではないだろうか。
だが彼女は、怪獣使いの得意技であるはずのインスタンス・ドミネーションを使ってアレクシス・ケリヴを使役し、再びグリッドマン世界にやってきた。
しかも怪獣優生思想の面々のような服にコスチュームチェンジしてである。ちょっと胸デカすぎじゃないっすかね。もしかして現実世界で貧乳がコンプレックスとか

まさかここまで新条アカネがガッツリ絡んでくるとは夢にも思わなかった。せいぜい外の世界から裕太達の活躍を見守ってるくらいなんだろうなと思ってたけど、全然そんな事無かったぜ!!

いやそもそもインスタンス・ドミネーションを使うのが予想外過ぎる。実写の彼女が、手を顔の前に持って行ったときには鳥肌が立った。(アニメ画の新条アカネの姿がオーバーラップする演出もそれに輪をかける)

とここで、劇場総集編『SSSS.GRIDMAN』の入場者特典で配られたイラストカードの絵柄がめちゃめちゃ素晴らしいのは皆知っているだろうか?

劇場総集編『SSSS.GRIDMAN』でこれ配ってたんですよ

裕太に内海、六花といったいつもの面々と新条アカネが心から楽しそうにしている。こういう光景を見たかったなと思……

って新条アカネがインスタンス・ドミネーションのポーズしてる!!!

まさかこんな所に前フリがあるなんて本当に思わなかった。これに気付いた時にすげーデカい声が出た。隣の部屋の人ごめんなさい。

さて実際の所、新条アカネはTV本編時からあのポーズを披露していた。

フォッフォッフォッフォッフォ

だがこれはあくまで「バルタン星人のマネ」であり、彼女が怪獣好きである演出以外の何物でもなかったはず。(そもそもこの時点でインスタンス・ドミネーションなんて概念は存在しない)
だが手の形が同じなのを良いことに、製作陣は彼女にインスタンス・ドミネーションをさせたのだろう。よくやった!
これは同時に、アレクシス・ケリヴを戦いの場に引っ張り出すという役目も果たしている。一石二鳥やで!

新条アカネに似た少女

物語序盤、モブキャラの中に新条アカネに似た少女がいたのに気付いた。髪型こそ違うが、髪の色や服装がほぼ新条アカネのそれであり、他のモブと比較しても明らかに目立っている。(しかも3度くらい登場していた)

この明らかに目立つモブは誰なんだ!? と疑問に思っていたのが、どうやらシナリオに「ゲストキャラ」を登場させる予定だった頃の名残らしい。なるほどね。

アレクシス・ケリヴ

先程はさらっと流したが、TV本編で黒幕だったアレクシス・ケリヴもちゃっかり『グリッドマンユニバース』に参戦している。しかもその実力と飄々とした立ち回りで、グリッドマン達の勝利に間違いなく貢献してみせた。お前がデレるんかい!!

だがなんと言っても印象的なのはインスタンス・アブリアクションだ。TV本編で幾度となくグリッドマンを苦しめたこの技が、まさか巡り巡ってグリッドマン達を助けるために使われるなんて夢も思わなかったよ。マジで全部やってくるよな!

主題歌流せばいいと思っとるやろ!

インパーフェクト

アレクシス・ケリヴのインスタンス・アブリアクションにより、一度消えてしまったはずのダイナレックスが再び僕らの前に姿を現した!(しかもなんとかビーム!付き)
そのダイナレックスに、TV本編時のようにガウマ隊全員が乗り込みダイナゼノンに変形。
ちせの「皆さんご一緒に」の声と共に轟くのは「ダイナゼノン、バトルゴー!」の叫び声。後ろにかかっているのは『インパーフェクト』。こんなん泣くやろ、つーか泣いた。めちゃくちゃ泣いた。
なんかもう演出全部がズルい。『インパーフェクト』のかかり方も、ダイナレックスの登場の仕方も、蓬と夢芽の再会も、何もかもが完璧すぎる。
自分がこの映画を観て一番テンションの上がったシーンは、間違いなくこの場面。「ダイナゼノンバトルゴー!」の部分は一緒に叫びたいくらいであった。

ダイナレックスが帰ってくるまで、蓬は消えてしまったDYNAZENON組の中で一人孤軍奮闘していた。最終回でやってみせたインスタンス・ドミネーションという荒業まで繰り出し、一人ボロボロになって戦っていた。
そんな彼が、またかつての仲間たちと共にダイナゼノンに乗り込んで戦う姿は本当に感動的だった。ガウマ隊ってやっぱいいよね。

でもそんな涙が、二代目のぐんぐんカットで半分くらい引っ込んじゃうのもこの映画の魅力。まさか二代目までもがバチバチに参戦してくるとか夢にも思わないでしょ。

UNION

間髪入れずに流れる『UNION』。そしてグリッドマン達の新たな合体の手助けをしたのは新条アカネであった。そこがまた良い。
「怪獣を創造する力」を持つ彼女が、ちせのゴルドバーンへの思いを具現化したのだろう。本編では敵であったはずのアレクシス・ケリヴと新条アカネが、それぞれの得意技でグリッドマンの最終決戦を支援してみせたというのが非常にエモい。エモすぎる。

「何って、新しい手だって言ってるでしょ!」
「ついでに新しい足もあるんだぜ」
「新しい翼も!」
「新しい武器も全部!」
「「グリッドマンの力に!!」」
↑これを『UNION』をバックにやってるのが熱すぎて泣ける。

uni-verse

そんなこんなで倒したかと思ったマッドオリジン(ラスボス)だが、アレクシス・ケリヴと合体し、無限のエネルギーと無限の命持つチート野郎になってしまった。
だがここまで来て僕らのグリッドマンが負ける訳が無い。この作品の主題歌でもある『uni-verse』をバックに、破壊光線と修復光線を同時に浴びせるというなんかすごい作戦で、見事最強の敵を打ち破ってみせた。
(この場面でも、敵に飲み込まれたはずのアレクシス・ケリヴがナイスアシストしているのがまたニクい。しかもこの時点ではアカネとの繋がりは切れているはずなので、彼の独断行動という事になる。デレすぎ!)

『インパーフェクト』に『UNION』、そして『uni-verse』。グリッドマン達全員が全力の力をマッドオリジンにぶつけていたように、制作側もありったけの主題歌を我々にぶつけてきた。
SSSS.シリーズの最終決戦で主題歌がかかるというのは最早定番であり予定調和であるのだが、しかし3曲の主題歌がほぼほぼフル尺で連続して襲いかかってくるというのは対処のしようがない。降参! 白旗! 状態。

そもそも過去作の主題歌が流れることには、やはり特別な意味を感じてしまうものだと思う。それこそ『SSSS.GRIDMAN』の最終回で『夢のヒーロー』が流れた時のように。(当時めちゃくちゃ泣いた。今回もすごくないた)

uni-verseとかいう神曲

最近の映画主題歌で印象深いのは『シン・ウルトラマン』の『M八七』なのだが、今回の『uni-verse』はその『M八七』の感動を超えてきた。

音楽の事は正直さっぱり分からんのでそれっぽい事すら言えないのだが、まずメロディが良い。実は映画館でこの映画を観るまで、ほぼほぼこの作品に関する情報は遮断していた。なので当然この曲を聞くのも劇場が初めてだったのだけれど、自然と身体がリズムに乗っていた。
そして映画を初めてみた日からこの曲をずっとリピートし続けている。ただでさえファーストインプレッションが最高だったのに、聞けば聞くほど味が増すスルメ曲ってどんだけ凄いんだよ。

普段音楽を聞くときに、歌詞というものをほぼほぼ気にしないのだが、この『uni-verse』の歌詞は非常に心を動かされる。正直歌詞の一行一行全てで書きたいことがあるのだが、特に印象深い部分だけ切り抜く。

あの時代に思い描いたヒーローは きっとまだ胸の中で生きてる
誰もが心に抱いているヒーロー像。その形は人によって様々だろうが、そのヒーローへの憧れが大人になった今でも自分を形作る大事な要素の一つなんだなと改めて認識させられる。
あの時代に思い描いたヒーローが電光超人グリッドマンだったとしたら、最高にこの映画を楽しむことが出来るだろう。

電光超人グリッドマン←ワンバース
SSSS.GRIDMAN←ツーバース
SSSS.DYNAZENON←スリーバース
グリッドマン←ユニバース

ワンバースとかツーバースとか、冷静に見るとダサい気もするけどそんな事一切感じさせないのがグリッドマンユニバース。様々なユニバースの積み重ねが『グリッドマンユニバース』を生み出したのだ。

時代は変わる 僕らも変わる それでも心はユニバース
時代が変われば人も変わる。それは当然の事。
変わる事を良くないと思うかもしれないけど、悪いことばかりでは無いはず。いつも心に太陽を抱いて、変わることを恐れず前進していきたい。

てかこのMVが最高だから見ろ!!

ユニバース

『uni-verse』を聞いていると、連呼され過ぎて「ユニバース」が何だかよく分からなくなってくる。ではユニバースとは何なのか? 一応個人的な見解を書いておこうと思う。(後でもうちょっと詳しく書く)

劇中でユニバースは「SSSS.GRIDMAN世界」や「SSSS.DYNAZENON世界」の事を指していた。だがこの作品が伝えたいユニバースは、「人間一人一人がそれぞれ持っている自分だけの宇宙」のことだと思う。

例えばこの『グリッドマンユニバース』の感想を教えてくれと言われたら、きっと十人が十人違う感想を抱いているだろう。

それは裕太や蓬達が、皆同じグリッドマンを見たはずなのに全然違う絵を描いてみせたことと同じだ。同じ1つの物を見ても、皆が観測した瞬間にそれぞれの解釈のグリッドマンが誕生する。あの絵1枚1枚が「グリッドマンユニバース」そのものなのだ。
人によって注目する点が違うし、たまにちせが描いたような解像度の高い解釈が生まれたりもする。みんな違って、みんながユニバース。

どれが良い、どれが悪いと優劣をつけること無く全てのグリッドマンの絵が結集した結果生まれたのが「グリッドマンUniverse Fighter」だった。皆のユニバースが、実体を持たないグリッドマンにUniverse Fighterという新しい姿を与えた。虚構が現実となったのである。
それこそが「ワンバース ツーバース スリーバース ユニバース 繋ぎ合わせて この歌になるよ」そのものなのだ。

本来は形の存在しない概念上のものを、現実のものと具現化してみせる力がある。それこそがユニバース。それが人間の力。

この「ユニバース」は、創作活動をしている人に対しては非常に当てはめやすい概念だと思う。「作品」を生み出すことは、宇宙を生み出しているのと同義であるから。
では創作活動をしていない人は? ユニバースではないのか?
決してそんな事は無い。それこそさっきの述べたように、既にこの『グリッドマンユニバース』を観た人達一人一人の中に、自分だけの『グリッドマンユニバース』が生まれている筈なのだ。

グリッドマン Universe Fighter

『uni-verse』はこうも言っている。「もっと聞かせてよ 自慢していいよ 君が生きた その証」「さあ顔を上げて 僕に見せて 君が持ってるユニバース」
どんなに拙い物を生み出したとしても、それが君自身のユニバースなのだから、恥ずかしからずに見せてくれよ、と。そしてみんなのユニバースが繋ぎ合わさる事で、また新しいユニバースが生まれる。これが僕らのユニバースなのだ。

なので自分も、この拙い感想文を世界に堂々と公開しようと思う。

創造性

主題歌も含めてこの作品は、「クリエイティビティ」が持つパワーを強く信じている
この『グリッドマンユニバース』が生まれたのは、言うまでもなく『電光超人グリッドマン』という作品が存在したからだ。『SSSS.GRIDMAN』や『SSSS.DYNAZENON』も同じく『電光超人グリッドマン』が生んだ物語。
一つの物語が更に多くの物語を生む。そしてその物語は人の手に触れることによって、その人だけのユニバースの一部となる。

また同時にこの作品は「虚構が人の心を動かせる」事も示してくれた。それは舞台を見て泣いた裕太や内海の姿にも現れているし、この『グリッドマンユニバース』を観て激しい情動を生んだ我々の姿そのものでもある。

人と人がお互いのユニバースを繋ぎ合わせてどんどんユニバースが広がっていく。そのユニバースがまたユニバースを生み、それに影響され人々の情動は無限に広がっていく。宇宙はどんどん広がっていく。

最近だとWBCでの侍ジャパンの優勝が多くの人々を感動させた。これは実際に起きた現象を観測しての結果である。
一方で『グリッドマンユニバース』は、1から10まで虚構であるにも関わらず、WBC同様に多くの人の心を動かした。冷静に考えるとこれって、物凄くとんでもないことじゃないか?
そしてその「とんでもないこと」の原動力こそが、一人一人が持っているユニバースなのだ。

Twitterのキャンペーン

現在Twitterにて、グリッドマンユニバース公式アカウントが以下のようなキャンペーンをしている。

要約すると「豪華商品が当たるかもしれないから、ハッシュタグをつけて作品の感想をツイートしてね!」という、言ってしまえばありがちなキャンペーン。
だがこれ、この作品においては物凄く特別な意味を持つ。

これはuni-verseの歌詞にもある「もっと聞かせてよ 自慢していいよ」「さあ顔を上げて僕に見せて 君が持ってるユニバース」という行為をやってみないか? とTwitter公式が後押ししてくれているのだ。(いやプロモーションの一環と言われればそれまでだけどさ)
さっきも述べたように、『グリッドマンユニバース』に対する個人個人の感想、それこそがユニバースである。 ハッシュタグという皆が見れる場にそのユニバースを投稿することで、各々のユニバースを重ね合わせることが可能になる。ワンバース、ツーバース、スリーバースと繋げて、また新しいユニバースを生もうとしているのだ。

映画館での体験は非常に受動的であるが、自分だけの感想を世界に向けて発信することでそれが能動的な物となる。
加えて、自分が刻々と変化する『グリッドマンユニバース』の一部になることもできるのだ。
つまりは、劇中で皆が描いた絵がグリッドマンUniverse Fighterになった事の追体験そのものとも言っていい。作品のテーマと完全に合致したこのキャンペーン、めちゃめちゃ凄くね?

蟹は普通の味だった

最後の決戦を終えた後、六花と内海は「なんだか良い物が書けそうな気がする」と、演劇の台本を書き直すことを決意する。
しかし蓋を開けてみるとその劇は、なにもかもグダグダのまさに素人演劇だった。六花のアカネへの思いが伝わるどころか、みんながその出来に大笑いする有様。
皆が心を一つにしたあの激戦を乗り越えて生まれた台本。普通なら「なんか凄い劇になって、お客さんはみんな涙して、文化祭大賞なんかを受賞する流れじゃん!」と思うかもしれない。
だが現実は無情なのだ。

ガウマが「ひめ」から購入した北海道産の蟹。蟹というのは彼らの思い出の味であり、5000年越しに再会を果たしたという感動の場面で購入したものである。
再びの別れの際に、ガウマから蓬に託されたという意味でも非常に重要な意味を持つ蟹である。
しかし蓋を開けてみるとその蟹は、「普通」の味だった。普通なら「その蟹がめちゃくちゃ美味くて、しかもその蟹に込められた皆の思いが伝わってきて事情も知らないお母さんが泣いちゃったりするだろ!」と思うかもしれない。
だが現実は無情なのだ。

このように、創作だからといって何もかもが上手く行って大団円! とならない所にこの作品の魅力を強く感じる。
自分のユニバースを自慢したとしても、上手くいかず笑われるかもしれない。普通すぎて特に評価されないかもしれない。それが現実だ。
ユニバースを生み出すこと自体は誰にでもできるが、それで人の心を動かしたいならそれ相応の訓練をしろ、と言っているのだろう。

ところで蟹をネタに実質的なプロポーズをかます蓬さんパネェし、それを聞いた時の夢芽ちゃんの表情可愛すぎませんか? (でも、そこそこ複雑な家庭事情の麻中家で、平然と蟹を食べてる彼女のメンタルが強すぎてビビる。正妻の余裕というやつか?)

内海……良かったね

内海将。響裕太と友人であるだけの、全くの一般人である。その「友人」である事、そしていつも側に居てくれる事に非常に大きな意味があるのだが、とはいえ戦う力を持たない彼は苦悩することもあっただろう。実際TV版最終回でもそのような心情を吐露する場面もあった。

しかも彼はウルトラヒーローに憧れる少年だ。そのヒーローを体現したかのような存在が常に隣りにいて、憧れなかった訳が無い。

そんな彼が、文化祭の劇中でとはいえ、「グリッドマン」になることが出来た事をとても嬉しく思う。
自分の言う「全部やってくれた」にはこれも含まれる。どんな形であれ、内海がグリッドマンになっている姿が見たかった。

内海は劇が終わった後もずっと「グリッドマン」の衣装を着ていたが、なんとなくその気持ちも分かるような気がする。彼にとってはその衣装を脱いだ瞬間こそが「非日常」の終わりなのだ。まだこの幸せな夢から覚めたくない、そんな心情なのではないだろうか。

その他小ネタ

電光超人グリッドマン

パンフレットを読んでビックリしたのだが、どうやら『電光超人グリッドマン』全39話それぞれのネタが、1話に付き1つずつ劇中に仕込まれているらしい。つまりこれだけで39個の小ネタ。
流石に電光超人の記憶も薄いので、これは円盤が出てからゆっくり探したい。

ウルトラマンレジェンド

特に『SSSS.GRIDMAN』はウルトラネタを積極的に披露した作品であったが、ウルトラマン自体の登場は非常に限定的であった。(宇宙船の表紙くらい?)

だがしかし、今回は遂に喋って動く「ウルトラマンレジェンド」と「ダークファウスト」が登場したのである。ウルトラファン大歓喜。(「宇宙の大いなる二つの力が出会いし時~」という台詞も原作そのまま)

どちらも原作ではアレクシス・ケリヴの声優である稲田徹氏が声を務めるキャラであり、まさしく「原作完全再現」と言った所か。(レジェンドとダークファウストが対面した事は無いが)

パッケージ(パンフレットより)

このパッケージ、他にもミラーナイト(CV.緑川光)のような小ネタが仕込まれているのが、個人的に一番驚いたのは『ウルトラマンガイア』に登場するPALがいる所。どんだけ細かいネタ仕込んでるんだよ!

ナンバープレート

怪獣が街で暴れている時、車のナンバープレートに「高峰 07-06」という文字を見つけた。恐らくこれはウルトラマンAに変身する北斗星司を演じた高峰圭二氏の誕生日が7月6日である事に由来する小ネタであろう。
他にも「森次」と書かれたナンバープレートもあったので(数字部分は見切れていたので不明)、もしかしすると他にも、昭和ウルトラ由来のナンバープレートがあるかもしれない。

(2023/10/25追記 書きました)

バイク乗りの青年

ジャンクショップに向かう途中で、力尽きて倒れ込んでしまった裕太をバイクに乗せた青年が居た。彼の声を演じていたのは小尾昌也。
言うまでもなく『電光超人グリッドマン』で主人公の翔直人を演じていた人物である。
実はこの小尾昌也、『SSSS.GRIDMAN』の第6回では「お客様」役で、『SSSS.DYNAZENON』の第5回では「(プールの)監視員)」役で登場していて、実は彼が声を演じるのも最早「お約束」となっている。

TV版で彼が演じたのは文字通りのちょい役。しかし今回の『グリッドマンユニバース』では、まさに「世界を救う」手助けをしてみせた。あのバイク乗りの青年がいなければ、裕太はジャンクショップまで辿り着けていなかったかもしれないのだから。
もしかすると彼は翔直人その人だったのかもしれない。

そう考えるとこの『グリッドマンユニバース』では、TV版3作品の主人公が力を合わせた結果、世界を救うことが出来たと言ってもいいかもしれない。これこそまさしく「ワンバース ツーバー(ry」

電光超人グリッドマン boys invent great hero

実はグリッドマンには2015年に日本アニメ(ーター)見本市で公開されたTRIGGER制作の『電光超人グリッドマン boys invent great hero』という短編アニメが存在する。

この作品は『電光超人グリッドマン』をアニメで出来るだけ再現するという趣旨の作品である。しかし最後にTV本編で悪役(新条アカネポジ(いやホントはアカネが武史に寄せているのだが))だった藤堂武史が、「グリッドマンシグマ」に変身するという演出があった。(これは当時の雑誌展開の流れを汲んだもの)

この短編アニメ、言わば『SSSS.GRIDMAN』が生まれるきっかけとなった作品と言っても過言でないので、あわよくば「ユニバース」の一部として登場しないかと思ったのだが、残念ながら参戦はならなかったようだ。少し残念。

このカットがカッコいいんすわ

しかしこの作品、今正規の手段で観る方法はあるのか…? 

まとめ

何度も言うが、全部が全部で全部てんこ盛りの、本当に凄い映画だった。監督などは「お祭り映画」と言っているが、そんな言葉の枠に収まらない程の情熱や力強さがあった。

鑑賞中はそのパワーに圧倒され、エンドロールで流れる『uni-verse』に感動し、帰り道で皆のユニバースを思い出してとても元気になれる作品。
何と言っても「創造することの大事さ」がとても大切かつポジティブに、それでいて力強く描かれているのが素晴らしい。これは電光超人時代からの変わらないテーマでもあると思う。
これを書いている現時点では2回鑑賞したのだが、まだまだ足りない、もっと観たいと思わせる作品である。

なんとなくだが、皆が望んでいた『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』は、こういう作品だったんじゃないだろうか? とふと思った。これまでのシリーズ全ての要素が全力でこちらを殴ってきて、観終わるとなんだか幸せになれる映画。これこそ物語の締めくくりに相応しい。

電光超人グリッドマンのラストシーン

(追記)続き


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