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自分で自分の人生を創り出しているという事実。人生のレールの切り替わりには思い切りが必要。

自分だけのことを考えることと、
まずは自分を最優先に大切にすることを混同しない。

究極的には他人に何をしたって良い。

でも、そのアクションで結果的に自分が傷つかないか。
それが一番大事な判断基準。

誰かの悪口を言って、
本当に自分がスッキリするなら言えば良い。

悪口を言うこと自体は問題ではなく、
むしろ良いことです。

感情が浮かんでくること自体をコントロールすることは不可能。
それは意識の外にあるものだから。

ただ、浮かんできた感情に対してどう反応するか。
それはコントロールすることができます。


浮かんできたあの人への思い。
むかつく。あーいらいらする。

この感情にフタをすると、行き場のないガスが溜まっていき自分が腐っていきます。


吐き出したり何かで中和したりしたほうが良いでしょう。

ただ、
その思いを本人へ直接ぶつけるかどうか。
これは自分で選べます。

言い方、言うタイミング。

たとえば
衝動的にぱーんと怒りをぶつけて今後悔している状況なのであれば、
今どうするか決めることができます。

放置するか、ごめんねと謝るか。

いやいや、謝れない。
というのであれば謝らなくて良いし、
その無性にむかついている気持ちにどうアプローチしようか選べば良いのです。

なんでむかつくのか原因をたどっても良いし、
サンドバッグを殴りに出かけても良い。

お風呂に入るのが安らぐならとことん湯に浸かれば良いし、
寝てスッキリするならとことん眠り続ければ良い。

自分ですべてを選んでいるし、選べるという価値観が
腑に落ちると人生はとたんに楽になります。


最悪な現実を見て、これも私が創り出したのか!と
落ち込んでしまうことがあるかもしれません。

でも、それは過去の自分が選んだ現実です。

選択と現実化の間には時差が必ずあります。
それが、現在の地球での法則です。

だから、現実を見て一喜一憂する必要はまったくありません。

まったくありません、と聞いて素直にそうなんだと思える人は
もうとっくに豊かな現実を見ていることでしょう笑

ここに現実化のジレンマがあるんですよね。

見たくない現実を見続けて、
本当に自分がこの現実を創り出しているの?と認めることはなかなか難しい。

でも、このなかなか難しい、という思いがあるからこそ、その現実が現れている。

こればかりは否定しようがありません。

見たい現実を見たいなら、
切り替えのタイミングが必ず発生するということです。

でもそれはアクションが必須というわけではありません。

現実は自分が創り出しているといいましたが、
自分の何が創り出しているのか。

それは意識です。

直接的に言えばスピリットです。

魂です。

魂の願いが現実化しています。

わきゃーうきゃーと比較的強めの怒りや喜びが
生まれる出来事は、大抵エゴの声が現実化したものです。

ここにメタ的構造があるので理解しにくいですが、
エゴの声が現実化していると思っているけど、
その奥に「エゴの声を現実化させた」魂が常に控えています。
魂はそれを観察しています。

ドラマや映画はのめりこむから面白い。

どうせ作り物でしょ、と達観したとたんにリアリティがなくなります。

ドラマがドラマであるから、登場人物に感情移入できるのです。

それとまっっっっったく同じことがこの現実世界でも起きています。

いや、魂がそれを観察していて、その魂が本物の自分であるとするならば、
現実と呼んでいるこの世界も実はバーチャルなのかも?

リアリティとはなにか、バーチャルとはなにか。
わからなくなってきましたね!!!!

大切なのは、
日々のささいなタイミングで自分らしい選択をしていくこと。
その選択を受け入れ、繰り返していくこと。

わたしがわたしであり続けること。

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