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それでも人生にイエスと言う【JOCV Day260】

ヨルダンから一時帰国して2週間が経った。当初は2021年7月までヨルダンで活動する予定だったので、図らずも大きく狂ったことになる。日本からでもできることはあるが、植物の生育を見ずに植物園の仕事を進めるのには限界がある。

自分は一体何をしているんだと思うこともあるが、自宅の本棚でこの本の背表紙を見ると少しばかり安心する。

V・E・フランクルと言えば「夜と霧」が有名だが、「それでも人生にイエスと言う」も良書である。

とてつもなくざっくりと言うと、生きる意味があるか問うことがそもそも意味が無いことだというのが、フランクルの主張である。

「私は人生にまだ何かを期待できるか」と問うことはありません。いまではもう「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。
<中略>
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。
春秋社「それでも人生にイエスと言う」27ページより

平常時に読むと「おお、そうか」くらいの感想しか抱かないが、JICA海外協力隊として帰国を余儀なくされている身からすると響くものがあった。

今置かれている状況も、私に何かしら問いを提起しているのだろう。その問いに答えることが、生きる責任なのかもしれない。

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