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ヨルダン北西部の古代遺跡「ウンム・カイス」から国境を眺める【JOCV Day159】

ヨルダンの北端に位置するローマ遺跡である「ウンム・カイス」を訪れた。ここではシリア、パレスチナ、イスラエルとの国境を眺めることができる。

■ウンム・カイスはどこにあるのか

ウンム・カイスはヨルダンの北西部に位置する。

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矢印で示した場所がウンム・カイスである。東側の砂漠地帯を除けば、ヨルダンの北端に位置しており、シリア、パレスチナ、イスラエルとの国境はすぐそこである。

ヨルダンの首都アンマンからウンム・カイスに行く場合は、イルビッドという街を経由する。バスや乗合タクシーが定期的に出ており、イルビッドまではおよそ1時間半。

今回はヨルダン人の友人に車を出してもらったが、イルビッドからウンム・カイス行きのバスも出ている。所要時間は40分ほどである。アンマンからであれば日帰り観光も十分に可能だ。

■ヨルダン北西部の都市「イルビッド」

イルビッドの人口はおよそ約30万人で、アンマン(約130万人)、ザルカ(約80万人)に次いで3番目に大きい街である(2019年 WorldoMetersより)。

中心部には考古学で有名なヤルムーク大学、東部にはヨルダン最難関の理工系大学であるヨルダン科学技術大学(Jordan University of Science and Technology, JUST)を擁する学園都市である。またシリアのダラアへと走る道路も通っており、シリアへの玄関口としても知られている。

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イルビッドの中心部は多くのお店が立ち並び、人々で賑わっていた。

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ヨルダンで3番目に大きい街のバスターミナルだけあって、バスの発着も休むことは無い。タクシーも簡単に捕まるほか、UBERも利用できる。

ウンム・カイスはイルビッドの中心地からさらに北西へと車を走らせることになる。

■ウンム・カイスとは

ウンム・カイスはローマ帝国が軍事基地として建設した都市(デカポリス)の一つであり、当時は「ガダラ」という名前の都市であった。7世紀にヤルムークの戦いを境にローマ帝国による支配が終わり、イスラームの支配下となった。その後8世紀に東地中海沿岸で発生した大地震によってウンム・カイスは衰退したと言われている。

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西へと延びるローマン・ロード。かつてはヨルダン渓谷を超えて現在のパレスチナ、イスラエルの方まで続き、人や馬が荷物を運んでいたらしい。

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ローマ帝国時代の商店街の跡。

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ローマ劇場はアンマンやジェラシュのものと比べると小ぶりで、黒い石で造られている。どうやら玄武岩のようだ。

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かつての大地震によって崩れている場所が至る所にあった。

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ウンム・カイスは11世紀末にはオスマン帝国の支配下になったが、遺跡の石を転用して村の建物の多くが造られたようだ。ウンム・カイスには西劇場と北劇場の2つのローマ劇場がかつてはあったそうだが、北劇場は既に失われている。

■ウンム・カイスで見かけた生きもの

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遺跡内では馬が岩の隙間から生えている草を食べていた。ローマ帝国の時代に活躍した馬の子孫なのだろうか。

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岩の隙間からたくましく生えているシクラメンの花。今回は真冬の訪問になったが、春になると一面に多くの花が咲くようだ。

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ジェラシュのローマ遺跡と同様、ウンム・カイスでもトカゲをたくさん見かけた。

■ウンム・カイスから国境を眺める

前述した通り、ウンム・カイスからはヨルダンとシリアの国境を見ることができる。

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写真正面やや左側に見えるのがガリラヤ湖である。大地溝帯の北部に位置する湖で、死海と同様に標高はマイナスである。

聖書で登場する「ガダラの豚」の舞台でもある。ウンム・カイス周辺で布教活動をしていたイエス・キリストのところへ、悪霊に取り憑かれた人がやってきた。イエスは悪霊を豚に乗り移らせ、豚は崖からガリラヤ湖へ転がり落ちて死んだという。

ガリラヤ湖の右側に広がっているのがゴラン高原で、手前にはヤルムーク川が流れている。ウンム・カイスはゴラン高原とヤルムーク川を挟んだ対岸の尾根に位置している。

ゴラン高原は第3次中東戦争でイスラエルが制圧してからはイスラエルの実効支配が続いている。2019年にはアメリカのトランプ大統領ががゴラン高原におけるイスラエルの主権を認めているが、国際連合はゴラン高原はシリア領と位置付けており、イスラエルの主権を認めていない。

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ゴラン高原とガリラヤ湖を眺めている友人。ウンム・カイスへは100回以上訪れているとのことだ。ガリラヤ湖およびその西側はイスラエルだと、日本語のWikipediaには書かれている。一方で彼らをはじめヨルダンに住む多くの人々からすれば、ガリヤラ湖もその西側の土地もパレスチナである。ゴラン高原の主権もイスラエルとシリアで争いが続いている。

自然が創りだした壮大で美しいこの景色に、人間が引いた境界線がどうしても移り込んでしまう。この境界線を巡る各国の争いを間近で見てきたヨルダン人の彼らには、この景色がどのように映っているのだろうか。

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