学校に行き渋る子と一緒に学校に行ってみた
今日も7時35分に「いやだ―」という声が聞こえてきた。
集団登校を見送った後、玄関前で格闘するお母さんとその子のところに行った。「今日はおじさんと一緒に学校に行ってみるか?」と声をかけた。「うん、そうだね、それなら行ってみるよ」なんて、そんな簡単にはもちろんいかない。
8時には、道路にどうにかでれた。いろんなアプローチを試しながら、最終的には本人を抱っこして、8:30に校門に着いた。クラスメイトが待っててくれた。「まってたよ。よし行こうぜ」と下を向く子の背中をさすりながら、教室まで連れて行ってくれた。優しい友だちがいてよかったなと思った。
続いて、まだ家に残っているお兄ちゃんを連れていくことになった。そう、兄弟で行き渋りが起きている。
お兄ちゃんは、足取り重く歩き、お母さんの車に乗った。私も一緒に乗って教室まで付き添った。もちろん、簡単にはいかないので、いろんなやりとりがあった。
お兄ちゃんが着いた頃は、1時間目が始まっていたため、休憩時間まで隣の英語の部屋で待つことになった。そこには、別の子がいた。「よし!行くぞ!」と自分が思えるタイミングまで、いつもその教室で待っている子らしい。2人に話しかけても、なかなか心を開いてくれないため、お母さんと関係ない話をずっとしていた。
帰り道、そのお母さんが、「本当にご迷惑かけてすみません。でも助かりました」って話してきた。「いやいや、迷惑じゃないです。お節介だとは思いながら、何かしてあげたくて、こちらこそすみません。うちだって、『困ったから助けてー』という事があると思うので、その時はお願いしますね。お互いさまでやっていきましょう。たまたまだけど、お隣同士になったんですから。」
「今度、また家飲み会やりましょうね。旦那さんによろしく言っておいてくださいね」って笑って別れた。
私の知り合いの方から、「昔は、家庭でトラブルのあった子どもを数日預かったり、先生も地域の大人も、皆で子どもを育てようという無意識の感覚があったのか、お節介がそこら中にあった。今じゃ考えられないでしょ。」という話を聞いたばかりだったからだろうか。
自分の目指す人物像に、「昭和の地域にいるおっちゃん」が加わった。
明日の7時35分はどうかなぁなんて、すでにお節介モードは起動している。
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