陰キャと根暗とオタク

僕は、オタクだ。中2でラノベとアニメにハマってそれいらい何かしらの所謂オタクコンテンツと言うものにハマっている。アニメ、漫画、ゲーム、ボカロ、どれも僕のつらく苦しい青春を支えてくれたかけがえのないものだ。直近ではポケモンカードゲームをしていた。

所謂オタクコンテンツであるカードゲーム界隈に入って初めて気づいたんだけどオタクの中にも陽キャはいる。何なら根暗なのは僕だけだったのかもしれない。毎週飲み会、通話、毎日くだらないLINE、通話、なんというか僕には苦痛なものでしかなかった。もちろん行ったら楽しい。ただ、重い。


確かに、陰キャと根暗とオタクって同じジャンルの言葉で、イメージ的にはライオンとトラとチーター的なノリだと思うんですけど、ライオンとトラとチーターは違う動物であるように、陰キャと根暗とオタクもやっぱり微妙にニュアンスが違うよねって思う。

オタクの語源を調べてみるとこんなサイトが見つかった。

ソースが知恵袋で申し訳ないのだが、何個かサイトを見た感じこれが一番詳しく、わかりやすく書いてあったので、とりあえずこれを正しいものとする。

もちろん、この情報の正しさを保証しているわけではないのでご容赦を。 

オタクとはどうやらはじめは社会的から外れた人間たちのことを呼んでいたらしい。その事件と言うのが32~33年前なので今年22になる僕はまだ生まれる前だし、結構の人間がオタクと言う言葉の語源を知らないままオタクと言う言葉を使っていることになる。

現在のオタクと言う言葉は以前よりもポップに扱われており、アニメやゲーム、漫画などの所謂二次元のコンテンツが好きな人の総称として使われる場合や、野球オタクのように○○オタクという形で何か一つの物事に熱中する人を指す言葉としても用いられる。いずれにしても、30年ほど前から考えると非常に言葉の意味が変わったと考えられる。

じゃあ今度、根暗って何なのかってことを考えていくんだけど、まあ文字の通り根っこが暗いのかなって思う。自分の根っこにある何か。おそらく性格だとか特性だとか、あるいは深層心理だとか言われるもので、自分でもなかなか変えられることはできない。これは具体的な判断指数はないので自分が根暗かどうかは自分で判断するしかない。そう思っていたのだが、最近発見した方法がある。

自分の人生で、どれほど人間とかかわっているのが心地よいか

だと思う。僕は、ただの大学生で、それほど実験をしたわけではないが、明らかに人とかかわりすぎると、人付き合いがタスクになってしまって重い。毎晩友人とカラオケへ行ったり、彼女の家へ行っていたときよりも、バイト以外の用事はほとんどなく、休みの日は喫茶店かファミレスへ行き、こうして自分に関しての文章を書いたり、読書をしていた方が心地が良い。他人の目を気にしすぎる自分には、これくらいが心地がいい。たまに、気の合う友人と本屋をめぐるか、ガールズバーで適当に話を聞いてもらうくらいがちょうどいい。そう気づいた。

これを寂しい人生だという人間には黙れくそったれと中指を立ててやろうと思う。休日に友人とバーベキューをしたりカフェへ行ったり「キラキラした時間を過ごすものだ」と凝り固まった価値観で、「一人で落ち着いた時間を過ごす」ことが一番心地よいと感じる人もいるなどと思いもつかないあほもいるが、他人の価値観を想像できないかわいそうな方なので、適当にあしらうのがいいだろう。


最近はポケモンカードをしていないため、もはやオタクですらないですが、ちゃんと根暗な人間ではあります。根暗は根暗なりに、根暗を誇って、一人の時間を楽しんで生きていこうとおもいます。


なんか、適当に書いていたらあまりいい文章とは言えない何かが出来上がってしまったけどここまで読んでくれてありがとう。

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