サマッター瞑想
ビィバッサーナ瞑想と対になる瞑想法としてサマッター瞑想というものがあると教えられました。
ビィバッサーナ瞑想はあるものをすべて見るということに対して、サマッター瞑想はある程度目を向けるということに違いがありそうです。
サマッター瞑想は幸福感が得られやすいという一方、目を背けるだけに、掃除しきけない場所があるということです。
小学校の先生に、掃除が適当だと怒られて、その班で徹底的に掃除をしたことがあります。
しかし、たたけばホコリはいくらでも出てくるものです。
ほとんど際限はないということが分かりました。
このように、どこかで線引きをしなければならないのです。
指導者によれば、自分が気にならなければOKというようでした。
幸福を感じるには、気にならないレベルを上げる、つまり少しのことには気にしないという姿勢が大事です。
心を浄化する、例えば、負の物を清算するということについては、もう少し、気になるレベルを下げる必要があります。
つまり、自分のレベルに応じて、この閾値を上下する必要があるのだと思います。
自分自身にとっては、腰が痛いだの、あるところが痒いだのという身体的なものが辛いです。
身体的なものについては、ストレッチや、シップなどを貼ってケアしながら、瞑想するとよいかもしれません。
とにかく、精神状態について没頭した状態というものについては、ある程度つかめました。
だから、後は身体的な、外乱をいかに減らすかにかかっていると思います。
身体的に問題がない人であれば、身体的な外乱はないということです。
もしかしたら、身体的な外乱については、サマッター瞑想になっていても、
心理的な外乱についてビィバッサーナ瞑想になっていれば良いのかもしれません。
サマッター瞑想についてはこちらに
https://www.vipassanabhavana.org/jp/meditation-blog/samatha/
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