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判断をしない

以前、反応しない練習の感想をアップしたことがあります。
その中で、見逃しがちなことがありました。
それは、判断しないということです。

仏陀は、分からないことは判断しないということを解きました。
作者は、現代人は、ああでもないこうでもないと、判断しがちであるということを述べていました。

私は、ちょっとよく理解できなかったのですが、判断をすると優越感に浸れるというような内容が記載されていました。
確かに、判断すると、こころのもやもやになっていたことが解決できます。
それによって、こころのもやもやに終止符をうてるということもあるかもしれません。

私のドラムの投稿については、これに当たるかもしれません。
しかし、一度、判断すると、その判断に対して、あらたなもやもやがわいてくる場合があります。

例えば、同僚が「それはあり得ないんじゃない?」というようなことを言ったとしましょう。
あり得ないということは、意味がどのようにも取れますし、それ自体に、なにか直接的にどうしろという意見でもありません。

しかし、自分に対する批判であるととらえ、そう判断したとします。
するとあの同僚は私に批判的だという新たなもやもやが生じてきます。
これは、分からないことについて判断してことにより、新たなもやもやが生じた例です。

この場合、最初の同僚の「それはあり得ないんじゃない?」に対して、判断しないことにより、のちに生じるもやもやを封じることができるのです。

全てのことについて、判断しないことは得策ではないかもしれません。
しかし、判断することによって新たなもやもや生じるならば、選択的に判断しないという手法もアリと思います。

このように生きやすい方向に恣意的に自分の行動を選択するのもよいかと思います。

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