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「ゆたかさ」になる勇気

「ゆたかさって何だろう」

おいしいものが食べられる、周りの人に恵まれている、健康に暮らせる・・・
人によって「ゆたかさ」の価値尺度が異なることは言うまでもない。

今回は、「ゆたかさ」とは何かについて議論していく。
筆者の結論としては、こうだ。

「ゆたかさ」は個々の事象ではなく、人間の中に介在する「枷を外すこと」を指している。


例えば、「おいしい食べ物が食べられること」を「ゆたかさ」の尺度として考える。
このおいしいとはどこまでを指すのか?

超高級シャトーブリアンステーキを食べた時なのか、オホーツク海でしか漁れない高級魚を食べた時なのか・・・(どんな魚や)

一概に「これを食べた」で豊かになるはずは無い。

仕事で疲れた時に食べるラーメン、風邪ひいた時に家族がつくってくれるおかゆなど、TPOに合わせて「ゆたかさ」も変わってくるだろう。

ここで重要なのは「何を食べたか」ではなく「ゆたかさを感じたか」である。
人間の中には「ゆたかさリミット」が存在する。自らを縛る枷をイメージすると良い。この枷がかかっているときは「ゆたかさ」を感じていない時である。

この枷を外す方法は実は簡単だ。
自分が外すか外さないか、つまり「ゆさかさ」を感じる「勇気」を持つことだ。

最近「ゆたかさ」を全く感じられていない人は自分の胸に手を当てて考えて欲しい。
知らず知らずのうちに、「ゆたかさ」のリミットをかけすぎているのかもしれない。

「ゆたかさ」に必要なものは、実は「勇気」だったのだ。

幼少期にバカにされた友達を見返す必要も、自分のことを蔑んでみる人に鉄槌を打つ必要は全くない。その抵抗に「ゆたかさリミット」が外れることはない。そういった欲求はあなたの枷をさらに重くするだろう。

人生とは、ある意味「ゆたかさ」との戦いなのかもしれない。しかし、この戦いの敵は自分であることは言うまでもない。


ゆたかさって何だろう。


ではまた!


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