『普通』という言葉の恐怖

(※コロナウイルス流行前のエピソードです)
ある金曜日の夜。仕事が終わって、「あーやっと1週間終わった...帰ってモンハンやろうかなあ。」とか考えていると同僚が一言。

同僚「あれ、今日の懇親会行かないの?」
私「参加が任意だったし行かないよ」
同僚「え、社内の懇親会は普通行くもんでしょ」

このような時に使われる『普通』という言葉。その言葉を使われるだけで自分は異常というレッテルを貼られ、そのコミュニティから疎外されたような気持ちになる。

日本社会ではこのような見えない当たり前みたいなのが多く存在してると思う。自分のタスクを片付いても、上司より先に帰ってはいけない雰囲気。
絶対に行かなければいけない自主練。

確かにチームの輪も重要だし、思いやりや助け合いは重要なのは理解できる。ものすごく。実際自分が助けられたら嬉しいし。

でも大事なのはその人が自分の能力を活かせるような環境ではないだろうか。早く作業を終わらせられる人も、終わっても早く帰れないのではゆっくりこなすようになってしまうだろう。それが一人一人のモチベーション低下や生産性低下に繋がると思う。

コロナ渦で働き方が見直されている今だからこそ、帰られることがたくさんあるはず。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?