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弁慶が始まった場所、霞ヶ関に行ってきた!

1972年頃〜約13年間、屋台の弁慶は霞ヶ関の農林水産省前で営業をしていました。社長と現地を訪れた後、その頃の話を会長に聞いてまとめました。


霞ヶ関の駅からすぐ。農林水産省前。

多くのビルが立ち並ぶ、農林水産省前。すぐそこには国会議事堂。
こんな場所で屋台営業ができていたのが今となっては信じられませんが、
上記写真の左側の塀の前、ここで弁慶は屋台営業をしていました。
右の電信柱横の木に提灯を引っ掛けて営業が始まります。

ここは霞ヶ関駅からほど近い、周りは日本の行政機関ばかりの場所。
当時は、周りにコンビニなども一切なく「ここだ!」と思い付きで屋台営業をはじめた現会長。
毎日屋台を出し続けたところだんだんとお客様も増えて売上も安定してきました。

昭和のワイロの話(もう時効ですよね….)


屋台営業が楽しくて仕方なかったらしいです

ただ、ここは公共の道路。
違法営業で警察に目をつけられていたので、近くの交番の警察官には毎回100円でらーめんを食べてもらい、大目に見てもらっていました。

1番お世話になっていた警察官が定年退職間近の時。
「もう面倒見れなくなるからそろそろ店舗を持ったら?」の一言から店を探しはじめます。

とはいえ、どこに店を構えたら良いのか分からずにいた現会長。
ある日、常連のタクシー運転手に卓球に誘われ、綾瀬で開催される卓球の練習に車で向かいました。

偶然通りかかった堀切菖蒲園

カーナビもスマホもない時代。
訪れたことのない綾瀬への道のりで道に迷ってしまい車でウロウロしていたところ、ふと通りかかった堀切菖蒲園付近の店舗を見つけて「ここだ!」とひらめき、すぐに店舗を契約しました。※現 堀切店

そして、少ない資金と最低限の改装で堀切店をオープン。
しかしそうすぐにお客さんが来るはずもなくヒマを持て余す日々。

そんな時、とあるタクシー運転手がお客にオススメの店を聞かれ「堀切にあるらーめん弁慶」と回答します。その客は偶然テレビの関係者でした。

テレビの取材が放送されてからは、狭い店がぶっ壊れるくらいの大混雑
(※社長談)。

お店の混雑で大変そうな父親を見て渋々、イヤイヤ手伝っていた長女が現在の社長です。

提灯を引っ掛けていた木が後ろにあります
農林水産省の塀の前にて営業。現在なら開店後5分で警察呼ばれます

昭和すごい

思い付きでの行動力がものすごいですが、それ以上に昭和のおおらかさにびっくりしました。
観光も兼ねて霞ヶ関付近にぜひ行ってみてください。
国会議事堂を生で見るのも久しぶりですが、それよりも本当にここで営業してたの.…?とびっくりするはずです。
「ここだ!」じゃねーよ、と現在ならなります。

あとタクシー運転手さんのナイスアシストがすごい。

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