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⚫️入院してなお自分で考え主体的であろうとした話 2


*ロキソニンを捨てる

食後の薬は二種類出された。
ロキソなんとか。まあロキソニンでしょう。
もう一つは胃薬。

ロキソニンが胃に悪いから胃を守るために胃薬を飲めと。
こういうデリカシーのなさが嫌いだ。

Aという薬を飲むためにBという薬を飲む。しかし、Bという薬を飲むにはCという薬を飲まないとダメだ。CのためにD、DのためにE……。

もちろん実際には医師はBで止まるというだろう。しかし、理論的にはこの連鎖も許される。
投薬のための投薬という概念を容認している。

経験的にロキソニンは痛風のあるレベルを超えると効かないと思っている。
僕はこの2種類の薬を見つからないところに捨てた。
主体的ではありたいが、「あの患者は言うことを聞かない」というレッテルは貼られたくない。
敵対的な関係になると、話し合いで意見が通りにくくなるからだ。

*匙加減の話
医者の薬も匙加減、という。
これは江戸時代くらいの粉薬の話ではないかと思う。
薬の選択だけではなく、同じ薬でも相手の状態、症状によって量が変わる。

また微量の毒を転じて薬とする、ということもよくいう。
となると、薬を触媒的に使うという概念があったのだろう。

これは相手(患者)をよく見ないと できないことだ。

江戸時代を想像するに、藪医者も相当いたかもしれないが、名医もいた可能性がある。
実際のことはわからないし、評価しようもないだろう。
学校の歴史では日本の医学の記述は「解体新書」以降である。
蘭学、西洋医学中心の世界観である。
和算は西洋とは体系が違うが相当高度な数学だという。
医学で同様のことがあってもおかしくない。

現代では用いる薬のヴァリエーションも限られている。
全て製薬会社から提供され、錠剤で量の微調整もない。

薬品がそれぞれの患者の体内でどのような効果を及ぼすか、医師はいちいち想像しないであろう。
ただ「効能」として書いてある「意味」を処方する。
副作用などはおおよそ例外として軽視される。
しかし、薬品に効能も副作用もない。
ただ作用があるだけだ。

現代の保険診療の医学システムは名医など必要としない。
問診は形式的であり、聴診、触診などはほとんどない。
すべて機械的な計測の数値を平均値と比べることで成り立っている。
むしろパーソナルな診断や治療方法は組織運営の障害になりかねない。
弾き出されるだろう。
日本全国のマクドナルドでおいしくもないハンバーガーが食べられるように、どこでも同じような検査、診療が受けられる。
庶民のための大量生産の医学、それが保険診療である。

歯科では保険診療はむしろ「例外」化しつつあると感じる。
医療格差が顕在化しつつある。
保険診療はっきり言えば「貧乏人の医療」になる方向だろう。
日本の医学は潜在的にそのような格差化を目指しているはずだ。
たぶん日本の行政、規制のあり方、その他さまざまな障害があって、日本の診療科では、明解な差別化の方向にはまだ進みにくいのだろう。
今は予防医学の領域で、高額医療の売り上げが伸びていると思われる。

そんなことをあれこれ考えながら僕は薬を捨てた。

*パンをご飯に変える

病院食はまあまあだ。
家の食事がかなり薄味なので抵抗がない。
食事の他に楽しみも少ないし。

献立の一つ一つに普通の人用のようなマークがついていて、他に糖尿用とか、腎臓病用とか、いろいろ組み替えられるのだろう。

朝はパン食だった。
給食みたい。
パンの裏側を見ると、ショートニング、乳化剤をはじめ、添加物のオンパレード。
聞いたことがない添加物まで入っていて、今まででもいちばん多いくらい。

ノンブランドだが、パン会社を医者の関係者がやっているのではないか。
添加物にはガイドラインがあり、その範囲内なら「無害・影響はない」と信じているのだろう。

だから馬鹿正直に堂々と添加物を列挙している。

僕はイヤだね。

上記のように献立は組み合わせキットのようになっているので、天使さんに「パンをご飯に変えられる?」と聞くと翌朝からご飯になった。

ただしおかずはパン食のまんま。
あまりご飯に合わない。
マーマレードがふりかけや、のりの佃煮には変わった。

*抗生物質をめぐるバトル

検査の結果、僕の痛みは「痛風」で病名確定したようだ。
なんとなく偽痛風でなくてよかった。
よく調べてないが、バチモノみたいではないか。

痛風は足指など狭いところがなる人が多いらしいが、僕の場合、足の甲と膝にくる。
最初左足の甲に来て、左膝に来て、右膝にもほぼ同時に来た。
片足なら激痛でも庇ってどうにか立ったり歩いたりできる。
両脚では庇いようがない。

右足の甲が腫れてくると、女医さんは蜂窩織炎(ほうかしきえん)の疑いを事実上撤回した。
右足から左足に転移することはほぼ考えられないそうだ。

しかし、言い訳としてCRPという炎症の数値が異常に高く、誰に聞いても痛風でこんな数値になることはない、という話だったらしい。
何度もいうが、それで入院できたのだから、僕のほうから言うことはない。

CRPは標準値が0,3以内。
0,5超えると炎症らしいので、21は少なく見積もって普通の状態の40倍以上になる。
それがどうにもわからない、と腕組みする。
数値など、どんどん変わるものだ。
僕は 「γ-GTPが1500になったことがある」と病気自慢しました。
女医は「それは大したことがない。CRP21のほうが異常」と一蹴しました(笑)。
どうもこの女医さん負けず嫌いの節がある。

(参考 γ-GTP1500になったときの診断書入り

薬を飲まずに2カ月でγ-GTPが1500から50に下がる
http://synchrome.asia/2015/09/07/1054/)

蜂窩織炎(ほうかしきえん)の疑いが晴れた以上、抗生物質の点滴はもういらない。
しかし、女医は抗生物質は摂り続けないと、薬剤耐性菌が生まれるという主張をします。
しかし、もう4日も点滴しているから十分ではないか。
そんな話をしました。

抗生物質にはさまざまな副作用があり、また腸内フローラを破壊する。
人と菌は共生しているのです。
それを殺していいわけがない。
僕は人体は自然の最高峰であり、投薬は自然破壊だと考えているのです。
投薬による表面的部分的なメリットと、自然破壊のバーター取引以上のものではない。

その日は夕方だったので、今夜の点滴は甘んじて受けて、明日から拒否しようと決めました。

薬剤耐性菌を死滅させなければならないなら、一体いつまで抗生物質を摂ればOKといえるのか。
理論闘争になるかもしれないのでネットで調べました。
薬剤耐性菌が生まれるピークは一週間で30%という記事を読みました。
この記事が正しければ、薬剤耐性菌は減るどころかこれから増えるということになります。
いつまで投与するのか、という根拠を聞けば、十分に話し合いになると思って調べは終了しました。

30%という数字も何を指しているのか。
種類にしろ、量にしろ、身体中の菌の30%が耐性菌になったらたいへんな気がします。

ネットの記事は信用できないというかもしれませんが、そもそも体内の菌の様子など誰も知らないのです。部分的な実験観察の数値でああだこうだと言っているだけで誰も実際に見た人などいない。

今改めて調べると、最低3日は投与する必要がある、という記事もありました。
たぶん諸説芬々だと思います。

普通に考えてみましょう。
ある菌が耐性菌になろうとしている。
もう少し投与すれば耐性菌にならずに滅びる。
しかし、ある製薬会社のサイトによれば「腸内細菌の重さは1.0~1.5Kg、その種類は1000種類以上、その数は600~1000兆個」とある。

1000種類のうちの1割が耐性菌になる可能性が出たとして、さらに抗生物質を投与した場合、残りの9割にはどのように働くか、と考えてみる。
その9割の中で新たな耐性菌候補が出てくるでしょう。
そうすると体内の細菌を全滅させるまで抗生物質投与をやめられないということになる。

ミス・ジェノサイド。体内の菌を全滅させたいと願う奴。
ひょっとしたらミセスかもしれないけれども。そういう異名を心の中で献上して翌日の理論闘争に備えたのです。

朝から担当医と話し合いたいと伝えていたけれども、抗生物質の点滴のほうが先に来ました。
それも何か婦長さんではないかと思われる何か有能で実務的、芯の強そうな年配の女性です。
今まではもっと若い人だったのに、これはミス・ジェノサイドが何かプッシュしたに違いない。
強敵が来た。

「僕は点滴を受ける前に担当医と話したいのです」
「何?」という視線を彼女は僕に向けました。
どうなることかと思いましたが、「ちょっと納得がいかないことがあって」と続けると女性はいっぺんに軟化しました。
「納得は大切ね」

「患者の納得」というキーワードがたぶん何かの教本に書いてあるのかもしれません。
強敵かと思ったのが、あっさりといい感じで引き上げました。

そのあと、どういうわけか、もっと若い何も知らない看護婦がどういう行き違いかもう一度点滴に来たけれども、こちらも帰しました。波状攻撃です。

*退院を決める

1,2時間経って、ミス・ジェノサイドは来ました。
こちらの意志が堅いと見たか、抗生物質の話は最初からしませんでした。
理論闘争は未然に回避されました。
彼女は主張がはっきりしているようで、変わり身が早く、機敏で頭もいい。
ひどい仇名は献じましたが、この若い女医さん決して嫌いではありません。
いっしょに飲んだら楽しそうです。

このとき何の話をしたか忘れましたが、早めに僕のほうから「明日退院するつもりだ」と言いました。
痛みは去りませんが、数歩は歩けるようになっていたのです。
これなら家で用便もできそうだと思いました。

だいいち、入院していても、点滴はゼロ。
薬も捨てるでは寝ているだけです。
それならまだ家のほうができることがある。

もう一つは、皮膚科の立場に配慮したのです。

もともと感染症の疑いで入院したのですから、そもそも入院理由が消失したこと。
そして、抗生物質を打っているなら「念のため」ということができるけれども、打たなくなるとはっきり可能性を否定したことになります。

そうなると、皮膚科の主治医としての立場も宙に浮いてしまう。
整形外科との連携がある以上、形が悪いでしょう。

抗生物質の拒否と退院をセットにすれば、「感染症の疑いが晴れたから退院」とすっきりするのです。

そんなふうにして翌日気持ちよく退院となりました。
退院の日程も自分で主体的に決めたわけです。

短い入院体験には面白い(僕自身にとって)話がまだたくさんありますが、「入院してなお自分で考え主体的であろうとした話」はこれくらいです。

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