●ひろゆきの「蚊」のような身体性の話


ひろゆきはプーンプーンといやな音をたてて飛び、ちくっと刺す。
刺されたほうは痒くてたまらないが、やり返してやろうとしても、ひろゆきは姿が見えない。あいかわらずプーンプーンといやな音がする。

ひろゆきには、身体性がない。あっても極小なのだ。

身体性とは何かというと、集団への所属、帰属とか、仲間とか、固定した思想とか、一貫したアイデンティティ、歴史とか、空間とかである。
要するに自分が守るべき領域である。

沖縄の座り込み側と揉めたようだが(あまり深く追求していない)、沖縄側には大きな身体がある。
本土から虐げられてきた長い歴史や、基地があるという空間性、そして組織、仲間、思想、思い。そういうものが濃いリアリティを持っているだろう。

基地建設を強行する政府側もそれ以上に濃い身体性を持っている。
身体と身体のぶつかりあい、それは反対派も望むところだろう。
しかし、身体の見えない相手とは戦えない。

反対派とひろゆきの対決で、「反対派は違法行為をしている」と言われたようだ。
反対派は「国家の横暴、暴力、弾圧に対して少しくらいの違法がなんだ!」とは、現代のネット社会では言い返せない。

それが反対派を代表する意見のように扱われてしまうからである。
「反対派は違法を肯定する反社集団だ」というレッテルが一人歩きしてはたまったものではない。
このように「身体を持つ側」は全く小回りが利かない、がんじがらめの言論になってしまう。

ひろゆきはその点、「蚊のように舞い、蚊のように刺す」ことができる。

再び、ひろゆきの身体性のなさを論証しよう。

2ちゃんねるはインターネット初期にたいへんな働きをした。
匿名の投稿者はそれこそ、身体性がなかった。
どれほど他者に辛辣でも「じゃあお前はどうなんだ?」と問われることがなかった。
問いようがないのである。
これは卑怯な言論であると僕は思っていた。
「思っていた」と過去形なのは、今日ではそれは定着してしまって、水準になってしまったので、それを卑怯と呼んでも冷笑されるだけだと思うのね。
だから、世の中には、そういう存在があると思うしかない。

言論とは、もともと立場があるものだった。
労働者の立場、資本家の立場。
教育者の立場、商人の立場、会社員の立場、生産者の立場。
誰が言ったかによって重みが違う。
立脚点が違えば、視点も違う。
そこにもう少し有益で歯車の噛み合った議論の余地もあったように思う。

匿名者同士が発言するようになって、立脚点のない宙に浮いた「正義」を奪い合い、そういうことが遵法主義的な風潮を強めただろう。

ひろゆきにとって、2ちゃんねるは身体であったかと思ったが、所有権はわけのわからないことになっているようだ。
それについてはよく知らないのでおくとして。

2ちゃんねるは全国で訴訟まみれで、ひろゆきは莫大な賠償金を払う立場にあるという。
しかし、「払わんもんねー」ということで法的には許されるらしい。

そういうことでひろゆきは、日本中でもっとも無責任かつ、身体性(守るべき領域)の欠けた怪人となったのだ。

顔と名前は出しつつ、見事に個人で2ちゃんねるを体現したのである。

だから、ひろゆきと論争する人間はかわいそうである。
王将の駒のない相手と将棋を指すようなものだ。
ひろゆきが負けることがない。

そのような身体性のなさは、批評において有利である。
相対性と自由性がある。

しかしながら、言論はどのような働きをするかを見ないといけない。
そのような言論が増え、賛同者が増えたらどのような働きをするか。
その観点から人の話を聞き、また自分も語らないといけない。

ここで僕は古い尺度を持ち出す。
体制と反体制。
この言葉は一時期古臭く、たいへんに無効であった。
しかし、今となってはいちばんわかりやすく、有益である、流行って欲しいと思っている。

今の体制を支持しているのか。
疑問を感じ、変えなければいけないと思っているのか。

その件に関して中間派のような顔をした言論人は、いずれ体制派に闇落ちするケースが多い。
誰とは言わんが、注意深い人なら、そういうケースをたくさん見ていると思う。
体制派になるとよほどいいことがある、あるいは悪いことが減るのだろう。

ひろゆきは、単純に闇落ちすることはないように思う。
しかし、結果的にはほぼ体制派を補完する働きをしていくはずだ。

というのは、政府与党を批判してもつまらないからだ。
安倍のもりかけ問題にしても、与党は根拠なく否定したり誤魔化すだけで、自分の言っていることが非論理的でも少しもたじろがないのである。
もう真っ黒だから、いまさら汚点があっても目立たない。

したがって、ひろゆきがもりかけ問題についてつつくということは考えられないだろう。

その点、野党側は正義の主張をしているように見せることが多い。
その結果、汚点、弱点があれば、与党の10倍くらい目立つ。
「ブーメラン!」とか言われて嘲笑される。

ひろゆきは、もともと2ちゃんねるの化身なので、反応が多いところに飛んでいって刺す蚊なのである。

正義とかにはまったく興味がないと思う。
だから、「このことを批判することが今の世の中にとって重要だ」という発想は欠けている。
結果が大騒ぎになればいい、という観点だけで今日もチクリと刺すのだ。

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