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『伝説の日本シリーズ』 最高の思い出 後年

 1992年、1993年の日本シリーズは、ヤクルトファンになって本当に良かったと思う最高の思い出です。実は、野球ファンの間でも、「史上最高傑作」と呼ばれたりもしているようです。伝説の死闘についてご紹介します。

 (大変失礼ながら、以下は敬称略です。)

 そして、いよいよ翌年の1993年の日本シリーズです。

 この年は前年と異なりヤクルトも安定した強さでぶっちぎり優勝(80勝)で、球団史上初のセ・リーグを連覇しました。打倒西武、前年の雪辱を果たすべく日本シリーズへ突入です。

 あの万年Bクラスと言われ、本当に弱かったヤクルトが、まさか2年連続で優勝できるなんて、夢のような気持ちでした。

 そして、絶対王者の西武も安定した強さで、圧巻のパ・リーグを四連覇(74勝)し、四年連続の日本一を目指して日本シリーズでの頂上対決となりました。

 今度は、事前の評判は、前年とは異なり、まったくの互角、どちらが勝ってもおかしくないが多かった気がします。中でも、デストラーデが抜けた穴が大きい、西武の選手が高齢化してきているや、昨年の経験からさらに成長し若くて勢いがある、ヤクルトの打線が強力だからとかで、若干ヤクルトの方が評判が良かった気がします。もちろん、西武のベテラン陣の経験が豊富、先発から抑えまで投手陣がしっかりしてるなどで西武が有利とかの意見も多かったです。

 結果は、またしても結局第7戦までもつれ、最終戦にヤクルトが勝ち、4勝3敗で見事に日本一になりました。

 思い起こせば、前年の1992年は、第7戦での広沢の走塁に泣き、この年は、第7戦での広沢の勝利を呼び込むホームランで泣き(感動の嬉し泣き)と、第7戦は広沢選手が目立っていました。

 そして、前年とは異なり、この年は、飯田のバックホーム刺殺のスーパープレーが飛び出したり、古田が自らの判断でゴロゴーでスタートし、広沢のショートゴロの間に得点したりと、西武がやっていたスキがない完璧な野球をヤクルトがやっているなどとも言われ、野球の質も高く、内容もかなり充実していました。

 とにかく本当に嬉しかったのを覚えています。ヤクルトファンになってから、初めて目にした日本一の瞬間でした。

 この西武とヤクルトの戦いは、2年間トータルでみると、結局、両チームで14試合もの死闘を戦い7勝7負という全くの互角の結果の戦いでした。

 ヤクルト球団にとっては二度目の日本一、名将と呼ばれていた野村監督にとっては、初めてとなる悲願の日本一、名実共に名将となった瞬間でした。これからヤクルトの黄金時代が続きます。ヤクルトの黄金時代は本当にファンとして幸せでした。またぜひそうなって頂きたいです。

 この年は高津が抑えのエースとして君臨していたのも非常に大きかったです。高津はこのあともその後の日本シリーズでは一度も失点しておらず、防御率ゼロの記録保持者です。

 また、左の杉浦、右の八重樫、角といった生え抜きの大ベテランがいたのも大きかったです。精神的にもチームの支えになっていたと思います。

 それにしても、このときは、飯田、荒井、古田、広沢、ハウエル、池山、秦、ハドラー、土橋、笘篠、城など、超強力な野手の打線があり、本当に強かったなと思います。なんと、年間で3割を打っているハドラーが8番バッターでした。

 投手陣も、先発系の岡林、川崎、西村、伊藤智、荒木、石井一、中継ぎ抑えの伊東、高津、内藤、金沢、山田勉など、充実していました。(ヤクルト投手陣は、いつも怪我さえなければ。。)

 また、こんな生き生きとしたヤクルトがみたいです。これからもヤクルトスワローズを応援し続けます!

 以下は、このときの感動のyoutubeです。もし、リンクが見れなくっていたら、すみません。

第7戦 勝利を呼び込む4番広沢の3ランホームラン!
https://youtu.be/q66ID_rT8oI

第4戦 ID 野球のヤクルトの隙のない強さを見せつけた伝説の飯田のバックホーム刺殺のファインプレー
https://youtu.be/7hVXMr2Ctw4

第7戦 高津がリリースで締めくくり、日本一の瞬間
https://youtu.be/NH3xcRf6R2E

野村監督と森監督の後日のTV 対談
https://youtu.be/L61-OYJz5nU

1993年の日本シリーズ wikipedia

 2020年シーズンは残念な結果となりましたが、高津監督、池山二軍監督というこの当時のレジェンド監督コンビですので、来季のヤクルトの活躍に期待したいと思います。

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最後までお読み頂きありがとうございました。😊

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