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「わっつはぷん?」~グリークラブ香川フィンランド公演・異聞

私のハンドルネーム「楽水」誕生の顛末である当時の記録文をサルベージしました。お笑いついでにご紹介。(^^)

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「えっらい汚い水やのう!何じゃあの色は!?」

野太い声でS井会長が毒づいた。シベリウスが支援した芸術家の家に向かうバスからトゥースラ湖を望む。なるほど森と湖の国フィンランドという割には水面が青くない。どれくらい汚れているのかなと思ったのがそもそもの間違いだった。

トゥースラ湖畔の木造の家を見学。壁一面にとられた大きな窓から広々とした湖が外に見える。なるほど、これを眺めながら絵を描いたのだ、と胸落ちする。それにしても汚れた湖水を眺めていたのでは芸術の糧とはなるまい。

外へ出て仲間と離れ、林を抜けて湖畔に近づく。ちょうど岩が湖に張り出している。そうか、森を散歩してはここに佇んで絵の構想を練っていたに違いない。それにしても汚れはどうだろう。覗いてみたら案外、魚が泳いでいたりして。丸い岩の上をそーっと湖方向に歩を進める。確かに濁っていて透明度がまったくない。波がないのが海とは違うとこ

ずるっ!うわっ!

一瞬で身体を翻し丸い岩に爪を立てたが革靴の底を滑らせた薄いコケのせいで滑落を止められない。

ずるるずるずずるずるザブザブザブ!

落水。あっと言う間に首まで湖水に浸かりそこで何とか滑落が止まった。水面から首を出したまま深呼吸をする。落ち着け落ち着け落ち着け。

ゆっくり指先を岩に置いてジリジリとよじ登ってみる。腰まで上がったあたりでまた滑落。

再挑戦。滑落。

水中で足を動かしてみる。ズボンと靴のせいで、あまりうまく泳げない状態であることが分かる。

再挑戦。滑落。

深呼吸。何とか岩から手が離れずに確保できているのが救いだ。顔まで湖水に浸かってしまっていたら間違いなくパニックになっただろう。濁水のため底が見えず足先には何も触れないので深さがまったく分からない。あたりを見回す。青空が少し曇りがちになり少し風が出てきた。周りは同じような岩ばかりで横に移動しても岸に登るとっかかりはなさそうだ。幸い水は冷たくなかった。

手に持っていたデジカメと手帳を何度か向こうに投げ上げて確保し再度、挑戦。滑落。

ダメだ。このままではジリ貧。覚悟を決めるか。

いくつか方法を考えて決断。息を吸い込み腹に力を入れる。

「おーいっ!おーいっ!」

近くに仲間がいることを祈り大声で呼ばわる。もちろん日本語に決まっている。以前、同じような状況でスミマセーン!と叫んだ仲間がいたことを思い出した。

「おーいっ!助けてーっ!おーいっ!」

首まで水に浸かって岩にしがみついたまま、再び叫ぶ。

人の声がした。こちらを覗く人の頭が見えた。仲間のY本さんとF本君だ。

助かった。

「どうすればいいですかっ!?」
「ロープか棒を持ってきてくれっ!」
「分かりましたっ!!」

F本君が機敏に走り去った後、Y本さんが岩の上をジリジリと降りて近づいてきた。

「来ないで!二重遭難になります!」
「いや、行ける所まで」

 一緒に足を滑らす所を想像してゾッとする。

「じゃ、せめて靴を脱いで裸足になって下さい!」

 分かった、と言って裸足になったY本さんが近くまで降りてきて手を伸ばしてくれた。恐る恐る手をつなぎ、それを支点にゆっくりと丸い岩をよじ登る。共倒れを恐れて、もう絶対に大丈夫という所まで身体を起こさないようにしていたが、もう良さそうだ。そっと立ち上がる。ああ、助かった。

F本君の急報でそれぞれにモップやロープなどを持った仲間たちが集まってきた。救出劇が無言で進んでいたため二重遭難が脳裏をよぎったF本君だったが、もう大丈夫らしいと判断、即座に救助隊から報道担当へと素早い変わり身を見せる。決定的写真が無事、カメラに収められた。

靴も靴下も下着も何もかも全身がドブ臭い。デジカメその他を岩の上から回収し、全身から汚れた湖水をしたたらせながらバスへ。さほど寒くはなかった。幸い今夜は船中泊の予定だったため一泊分の着替えを持参している。添乗員のK谷さんが借りてきて下さったタオルで身体を拭き、やっとパジャマ代わりの半ズボンとTシャツに着替えた。衣類を絞ってビニール袋に入れ、とにもかくにもドライな状態になりホッとする。

一息ついて外に出た。事情を知らない仲間が急にラフになった衣装を怪訝な顔で見ていた。

昼になりバスで予定通り郊外のレストランへ。美味しいコース料理が並んだテーブルの下で、紙ナプキンを大量にいただいて靴に詰め込み乾燥を試みる。食事をしながらドジを笑い合う。ま、笑い話にできて良かった。Y本さんは文字通り生命の恩人です。

その後、一旦ホテルへ。スーツケースをシリヤラインに運ぶためにバスに積み込むのだ。全員の搬出終了を見計らい自分のスーツケースを出してクロークですべて着替える。これで何があったか外見からは分かるまい。下着類はあっさり廃棄。どうせダイソーだ。シャツとズボンはそれぞれに思い入れもあり一応ビニール袋に。シリヤラインにランドリーがあることを祈りつつ何食わぬ顔でバスの座席におさまった。

しばらくバスは走り港に着いた。シリヤラインはフィンランドからスウェーデンに向かう十二階建ての豪華客船。今夜は船で泊まり明朝はストックホルム観光だ。

フィンランドはユーロ、スウェーデンはクローネなので、明日の活動のために両替の必要がある。当然、財布も濁水をたっぷり吸ったため紙幣はすべて湿っていて妙にドブ臭い。ええい厄払いだ全部クローネに換金してしまえ。窓口で財布の紙幣をすべて差し出した。

小太りのダンディーな担当官は、受け取った紙幣をチェックする際にひどく濡れていることに気づいた。挙動不審にも見える怪しげな東洋人の顔をチラッと見て、彼はニヤッと小粋に笑いよく響くバリトンで言い放った。

「わっつ はぷん?」

                     (2008.8.14)

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