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普通の暮らしとは何か

(※この記事は、社会福祉法人 京都障害者福祉センターの「法人ニュース」に掲載した、2023年度5月号の記事を転載しています。) 
 
 この法人ニュースですが、編集している立場という事もあり、職員の皆さんが書かれる記事を事前に確認し、毎回「何を書こうかな…」と考えて います。 そのような中、「永遠のテーマ」と題し、だい ご学園の中野清楓さんが書いた記事を見て、素敵な記事だなーと感じながら、「新規採用職員研修」の一部を担っている者として、また記事にある「普通の 暮らしとは何か」を研修で問いかけた者として、少しばかり中野さんの記事に追記したくなり、この欄を使い、私の感想等を書き記します。

中野さんの記事 ↓↓


 はじめまして。中野清楓と申します。この春大学を卒業し、正規職員として皆様と一緒に働かせ ていただくこととなりました。これまでもアルバイトとしてだいご学園に在籍しておりましたが、4月からは利用者さんの担当を持たせていただき、より利用者さんのことを考える機会が増え身の引き締まる思いです。 皆様のお力をお借りしながら、利用者さんのより良い生活のサポートが出来るよう日々精進して 参ります。
 さて、話は変わりますが、3月31日に法人の研修を受講致しました。様々なことを学ばせてい ただいたのですが、その中で「普通の暮らしとは何か」を考え、1人ずつ自分の意見を話す時間がありました。私の中の「普通の暮らし」と、同じ研修を受けた方々の「普通の暮らし」は、同じよ うな違うような、不思議な感覚でした。
 「普通の暮らし」とはどんなものを指すのか、私はまだ自分の納得のいく答えを見つけられてい ません。おそらく、永遠のテーマになると考えます。
 数年後、十数年後、はたまた数十年後。働きながら成長していく中で、自分の中の「普通の暮らし」を見つけて、さらに探し続けていけたら良いなと思います。 (だいご学園:中野 清楓)


 まず中野清楓さんが感じた「同じような違うような、不思議な感覚」は、他の方との違いから生じてい ます。「同じような違うような」は、同じである部分と違う部分の双方がある様、つまりその双方が入り混じっている様子であると考えています。 しかし、何がどのように違うのか、はっきりとした違いを言葉にはできにくい。そのため、その捉える事が難しい曖昧さを「不思議な感覚」と表現されています。
 私達は選択できない環境下に生まれてきます。そのため同じ部分と違う部分があって当たり前の話では あるのですが、改めて自分の「普通」を、他の人から表出される「普通」と突き合わせながら、法人理念である「普通暮らし」に寄せる。その上で「普通の暮らしとは何か?」を皆で考えてみる、という研修を行いました
 その思考の過程で、様々な感覚を皆さんは抱くことになったのではないかと想像しているのですが、中野清楓さんは、自身が感じた「不思議な感覚」、つまり曖昧さの正体に「納得のいく答えを」見つけるためには「永遠のテーマになる」と記されています。 僕はこの「永遠のテーマになる」という部分を見て、中野さんの眼差しの奥にある謙虚な姿勢を感じました。
 この社会福祉援助である私達専門職の仕事は、正しい正解、正しい答えのない他者の人生に関わりを持つ事になります。人それぞれが違う「個」があり、歴史がある。多様性が広がっている世界になります。 そのため、他者と違う事は当たり前であり、「普通」という曖昧さが当然ある社会福祉援助の世界の中で、容易に「納得がいく答え」にはたどり着けない。まさしく「永遠のテーマ」であり、それに近づけら れるように、日々試行錯誤しているといえます。
 今回新規採用職員研修に参加頂いたのは5名でした。皆さん、自分と他者との違いに対して真摯に考えて頂きました。この自分と他者との違い、つまり自分との他者との間、その差分という事になります。そ の差分を埋めるために、多様な物差しを自分の中で育み、当事者が望む支援を届けていく仕事になります。
 専門職は「自己覚知」が重要である・必要な事であると教えられますが、私は他者を知る事で、自分と の差分を理解し、自分を振り返りつつ自分を知る事ができる、と思っています。そのような営みの中で永遠のテーマに近づけていく事ができるのではないかと考えています。

 ここで、1冊の本をご紹介致します。 「生きるための哲学」(岡田尊司 著)です。 上述した通り、私達一人ひとり、違う生き方をしています。また私達は私達自身が生きづらさを抱えている当事者でもあります。
 この本では、自分のこれまでの生き方を振り返り事ができ、これから「自 分らしく生き抜くための勇気と指針を見出す手かがりに」なる本だと感じて います。ぜひご一読ください!


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