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ある子育てママを応援📣あなたがやっていることは最上級の価値がある

今回は、子育てママの話です。親としてこれで足りているのか、もっとしてやらなくてはならないことがあるのではないか、とどこかで不安な気持ちを抱えているママがいました。そんなママをコーチとして応援するどころか、結果、わたし自身がとても学ばせていただきました。

わたしの友人に、三兄弟のママがいます。
上のお二人は双子さん。
日常時の夕食でも「合宿か?!」という量の唐揚げをつくり、ボウルいっぱいのポテトサラダが一瞬でなくなる食べ盛り。合宿サイズの炊飯器で何回もごはんを炊く毎日だと言います。

娘しかいないわたしも、育ちざかりの食事量には驚かされます。びっくりするほど食べるw 男の子の成長期の食事量は想像に余りあるなあと思います💦

ママの愛情ごはんでスクスク成長されている三兄弟。

でも、中学生にもなってきて、双子兄弟、それぞれに自分なりに考えて、異なる道を選択することも出てきたようで、ママは詳しい相談に乗ってあげることもできず、「見守ることしかできない…」という言葉を呟かれました。

もしかしたら、言葉の裏には、もっとうまく導ける力があったらいいのに、生活のお世話をすることはできても、それ以上にわたしは何ができているんだろう?という不安や内省のようなお気持ちがあるのかも…と感じる言葉でした。

でも、何をおっしゃいます!

【それが最高に素晴らしい】

わたしは思わずそう言っていました!

双子ちゃんが彼女のお腹にいる頃から、
彼女の子育て奮闘記を見てきたわたし。
尊敬するのは、いつもいつでも、
彼女が3人の「絶対なる安全基地」になっていることです。

お腹いっぱい、慣れ親しんだ味で胃袋を満たしている日々の努力。
どんなに汚したユニフォームも、ちゃんと洗って笑顔で練習に送り出すパワー。

何をやっても、どんな道をとっても、それをちゃんと受け止めてくれる母親がいることが、今までも、これからも、
3兄弟にとって、他には絶対にない、
めちゃくちゃ大きな支えになっているのを感じます。

まさに最高バリュー。

【具体的な導きは必要ない】

親になると、何か先人として子どもを導かなくてはならない、と思ってしまいがちです。

わたし自身も「親」として、娘に対して、何か価値あることを言わなくちゃとか、何かヒントになることを与えなくちゃと「べき論」が頭をもたげることがあります。

でも、本当はそれは子どもたち自身が見つけるんですよね。

学校の先生や、周りにいる先輩、大人、そして友だちや自分より下の子からも、毎日、多くの刺激をもらって、それなりに咀嚼し、自分のものにして、見つけていくんです。

親がやるのは、成人して巣立つまで、絶対安心な基地であること。
もしかしたら、大学生になっても就職して社会人になっても、絶対安心基地があることが大事かもしれません。

わたし自身、自戒をこめて、あんまり出来ていないなあと感じる中で、冒頭の友人ママをみて、本当にリスペクト。改めて学びました。

彼女が素晴らしいのは、最強の「安全基地」であり続けていること。

双子のお兄ちゃんも、末っ子の弟くんも、成長過程に応じて、自分で考えてそれぞれの道を選んで踏み出していくでしょう。
その中では、失敗することや、思わぬことにぶつかる日もあるでしょう。
でも、このママが安全基地として控えていてくれれば、どんな挑戦もできそうな気がします。

子どもを信じて、何が起きても受け止める覚悟を持って、
毎日、生活の【営み】を継続する。

出来そうに見えて、なかなか胆力のいる、最高バリューの創出です。

ライン黄緑

ビジネスや企業活動においては、変わらないのは死を意味すると言われたりします。合わせて、個人としても昨日より成長しないのは悪である、ダメであるという風潮を感じます。

実際、そうである部分も大きいと思います。

一方【営み】は、右肩上がりとは限らないものです。どちらかというと円運動。グルグル回る、同じ場所にい続けるための努力です。

家事をやっていると、掃除・洗濯などは特にわかりやすいですが、きれいにしたら、また汚す、それをまたきれいにして、また汚す、、、この繰り返しです。それを右肩あがりの成長では図れません。でも、右肩上がりじゃないからと言って、価値がないものでもありませんよね。徐々に朽ちていく家にも想いが宿る。

ビジネスの思考と、営みの思考。

人は生き物であること(今のところは)

混同して妙な悩みに突入しないようにしたいなあと感じます。


なかなかの男性社会で30年働いてきたテレビマンが、コーチングやカウンセリングで「自分らしく生きる」を支援中。限定少数しか出来ませんが小学生からシニアまで。