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kotoriの巣立ち (エツセイ

〜出版までの道のり  

                 今秦 楽子

徒然に覚書として筆をとりました。
エッセイとでもいうか、
そんな文章を書こうと思います。

このたびnoteに記載していた「ことり合戦」
を出版する運びになりました。

それまでの気持ちを綴ってみたいと
思います。

♢そもそも

そもそも出版して何がしたいのか。

わたしが一番欲しかったのは
「共感されること」なのだと思います。

それは初めから欲しかったわけでは
ありません。
出版に向けて動くごとに日々ます「それ」

ある人がいいいました。
「共感されると浄化される」のだと。

きっとわたしの抱えるカルマが
「人からの共感」によって昇華されるのだ。
そういうことに気づきました。


自分のためにやりたかったことに尽きます。


是非、届くべき人に届いて欲しい。
もしも、その誰かの人生に触れたのなら。
乗り越えてきた苦難が報われるでしょう。
綺麗事ですがシンプルにそう願っています。



♢書き始め

きっかけはムスメとの別居のため、
成長アルバムを手離そうと決意したことに
時は戻ります。

懐妊中のコメント入りのエコー写真や
母子手帳、
生まれてから欠かさず綴ったアルバム達。

それらを手離すために
コピーしようとしました。文章にして。

執着がまだまだ強かったわたしは、
アルバムに映るムスメだけでなく、
その背景にある景色も想いも
ひとしきり描写したのです。

あれもこれもと書いていくうちに
気づくのです。

「きちんと問題に向き合っていたら
今のようにはならなかったのにな」

そう。

……後悔。

涙しながら
毎日パソコンに向かっていたのを
覚えています。


♢文章を調える

泣きながら綴って日々過ごしていた毎日
ですが、
文章にしてそれがまとまりを成した時、
わたしに変化がありました。

「ぐちゃぐちゃだった気持ちがまとまる」

心が震えて涙が止まらないのは
変わらなかったのですが、
泣き続けていた日常から、
少し涙の回数が減り、
少し刺激に耐えられる、

毎日毎日この少しずつを重ねて
日常を取り戻していくことができました。

コトバを紡ぐとコトバが繫る。
コトバを綴るとキモチが纏まる。

物語を綴りながら客観視する自分と、
主人公として物語を渉る京子の心情に
寄り添う自分が、
別なものになったからだと思います。

……俯瞰

怒濤の中に気持ちを綴る作業は
わたしを「俯瞰」してみる行為に
なりました。


♢トンネル

わたしには
助言してもらえる知り合いがありました。
その方は長崎に住んでおり
はるばる会いにいくわけです。

その道中の車窓の影、
トンネルを抜けると広がる坂のまち、
広がる海と空の広さや深さ。
そんな景色たちは
わたしの悩みを小さいものに
してくれました。

また長崎で出会った文豪、
遠藤周作氏の「影に対して」という文章との
出会いは運命的なものでした。

引用させてもらいます。

「アスハルトの道は安全だから誰だって歩きます。危険がないから誰だって歩きます。その安全な道には自分の足あとなんか一つだって残っていやしない。海の砂は歩きにくい。歩きにくいけれどうしろをふりかえれば、自分の足跡が一つ一つ残っている。そんな人生を母さんはえらびました。あなたも決してアスハルトの道など歩くようなつまらぬ人生を送らないで下さい。」

と母の手紙にあります。
それから周作は「沈黙」を生み出すのです。

往復するトンネルを抜けるたび細い光から

だんだん広く映ったのです。

わたしの住まう場所からうごかない限り
この出会いはなかったです。


♢出る杭が打たれること

昨夜、今朝あるSNSで
少し引っかかる質問がみえました。
「自費出版なのか商業出版なのか」
不意に出されるこの質問に
モヤモヤを覚えました。

逆にこの質問の答えはダレトクですか?

自費出版で出された小坂流加作
「余命10年」について
少し熱く語りたいとおもいます。

出版について右も左もわからない時、
文芸社さんの出版説明会に参加し
編集者さんからいただいたのがこの本。

文面も処女作と思うような所も見受けます。
けれどなぜこれが80万部数も売れる
ベストセラーになったのでしょうか。
皮肉にも作者は他界されており、
遺作だったからなのでしょうか?

わたしの主観ですが、そうではなく

「命をかけて作品を残そうとした覚悟」

が人の心を揺すぶった結果なのだ思います。
小説家になった作者の意地が
そうさせたのではと感じます。

わたしの話に戻ります。
ことりの出版契約をするか否かの決断で
わたしも覚悟しました。

「家族を捨てること」

親、兄弟、娘たちをわたしは諦めました。
この覚悟が重要で今を動かしているのです。

出る杭は打たれる、打たれても、
そんな覚悟の前には
アンチテーゼなんて単なる人生のスパイス。

辛口でホットチリのようなそれなのです。


♢「了」と打つ瞬間

作者にとって、
文頭と筆末はこだわるものです。
本来、小説というものはプロットと呼ばれる
筋立て、構想をねった上で
物語を大きく眺めてから書き出すもの
らしいです。

わたしの場合、思考だよりです。
頭の中で組み立てられたなんとなく
こうやって盛り上げてこうやって締める。。
みたいなぼんやりしたものです。
けれどラストはこうしたいと
はじめから強く考えていたものでした。

こう書けば響くかな、
なんて想像していたのですが、
やはり最後も涙を流しながら
PCを叩きました。

紙に出力し、製本し、
ペラペラめくる楽しみを眺めながら
出来上がった冊子は
新しいわたしの分身でした。


♢余白と隙間

初校データが送られてきたので
わたしはドキドキしながら目を通しました。
目を通してびっくり。

「思ってたんと違う」

あえて原稿用紙で出したデータでもなく、
ある程度のレイアウトを想定した原稿を
送っていたのに、
わざわざそのレイアウトを崩してまで
ページを省略されて返ってきたからでした。

頭の中をこんな言葉がよぎりました。

「経費削減」

ページ数を削減して出版しようと思う
編集者の涙ぐましい努力が
そのレイアウト作業に込められていたように
感じました。

要望としてレイアウトを崩すのは
やめてほしい旨伝えました。

理由も添えて。

改章に1ページの余白を削減され、
1ページに3行の表記は
次の文脈が押しつけられました。

この1ページインクが乗らない無駄にこそ、
作者の気持ちが乗っていると説明しました。
文字にならない作者の思い。

編集者に届くといいな。


♢書籍ビジネス

ひと昔まえは原稿をコピーして出版社に
持ち込むのが
デビューのセオリーだったと思います。
今や、
持ち込みはメールでの応募がほとんどです。

4、5社に送りましたが、
全く返事が来ませんでした。

1社とはzoom面談がありました。
そこではまず、文芸は売れない、
というか売れる見込みが計れないので
自費出版のレーベルになります。
とはっきり言われました。

その出版社には原稿を読むこともされず、
ペライチの企画書だけでそんな返事が
来ました。

あなたが文芸賞をとった作家なら
あなたが一作目でヒットを飛ばした作家なら
喜んでうちで出版してもらうんですが。
そんな皮肉も言われました。

ただわたしには賞賛がありました。
自費出版会社に原稿を投げたのですが、
自信につながる書評をいただけたのです。
筆力がある
心を揺らす
そう言った言葉はお世辞とはいえ
書いてきてよかったと思える出来事でした。

今、決まっている出版社もタダで出版できる
訳にはいきませんでした。

150冊の買い取り。

作者も営業をする時代になったのです。

友達が150人もいる人気者ではない
わたしはファンづくりに精を出すのです。

今日もこうして原稿にむかう日々です。


♢作者の営業

初版のうちわたしには
150冊の手売りする「買取部数」
というノルマがありました。
これが今回の契約でのわたしの課題でした。

実はわたし、今まで物を売ったことがない。

扱ってきたものは目には見えないサービス。
また、それらを営業する人間は
別で私は奉仕人という特殊な業界で。
とにかく技術向上だけが目標だったのです。

そんなわたしが私財叩いて、
「人に売る」 
これが契約することを躊躇させました。

その時に相談した人からは
「サイン会開いたらいいじゃない?」
なんてことばに揺らいだりしました。

それは
迷惑をかける人たちの面影がよぎったり、
配るように売ってヒトは読んでくれるのか。
なんてマイナスに思ったりもしました。

思考の向きが
マイナスからプラスに変わった今、
150冊も、じゃなく150冊しか。
に思えるようになりました。
                     (その話はまたこんど)

うち30冊程度は地元の図書館に
各区一冊まわるように寄贈したいと
思っています。

なぜなら、
企画書を書く段階から読んでほしい読者は、
子育て真っ只中の主婦たちだからです。

子育ての中、
子供と少し距離を置ける時間が
図書館にあるのです。

子供が絵本をとる時間、
主婦は文庫を探すのです。

その文庫の一冊に
わたしの作品が輝いていたら、
素敵ではないですか。


♢次にやること

編集さんより返事がかえってきて、
プロフィールにQRコードが載せられること
が可能になりました。

わたしのプロフィール、見てびっくりです。

・大阪市出身
・2021年9月から執筆開始

           しかないのです。

というか小説家として情報は必要ないと
自負しています。

そっけない
プロフィールを華やかにするため、
今まで受賞作品なんてないわたしには
自分を表現するツールはなんだろう
と思いました。

こうして日々つらつら書いている文字も
わたしの「ヒトトナリ」が
わかりやすいのではと閃いたのです。

そして現在進行形のSNSは情報が新鮮です。

小説書いたら終わり、ではなく、

・わたしの中で、短編を週一回はさわる
・毎日、InstagramとTwitterを更新する

これをルーチンにしています。
書きためること
文字に触れ続けることが
これからのわたしの目下の仕事です。



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